001

街を明るく照らしていた太陽はとっくに沈み、ネオンの光がギラギラと大通りを照らしている歓楽街。しかし、少しでも路地へと入り込めば、人工的な光は届かず暗い闇ばかりが広がっている。
そんな路地で、ぼんやりとした白い影がクスリと笑う。

「─ええ、勿論分かっていますよ。長い付き合いだというのに、信頼という文字が見えませんねぇ。悲しいですよ私は」

室外機の上に置かれたスマートフォンに照らされ、白い影は一人の男の姿をしていることが分かる。その男は、なぜか白衣をまとい、顔の大部分に真っ白な包帯を巻いていた。一目で怪しいと言える風貌の男は、楽しげに笑みを浮かべアタッシュケースの中の注射器を撫でる。

「それは大変ですねぇ…私でよければ治療はしますが、お代は貴方に請求しても?───おやおや、貴方であれば格安で私の腕を売りますよ。通常価格の2割引というところでしょうか?まぁ、安全な薬を打つかどうかは保証はしませんが、────フフッ怖い怖い」

スマートフォンには通話中と表示され、その下には《師範》という名前が浮かんでいた。
男はクスクスと笑い、一言二言話すと、黒い手袋がはめられた手でスマートフォンを操作する。フッと明かりが消え、元の路地の暗さに戻る。
男はアタッシュケースを閉じ、スマートフォンを白衣の胸ポケットにしまう。そして大通りの方へニタリと笑みを浮かべると、その反対側へと足を踏み出した。

「あの!」

決して大きくはない声、しかし耳にしっかりと残るまだ幼い声。男の後ろでコツンと1つ、小さな足音が路地に響いた。


「包帯を巻いているそこの貴方。尋ねたいことがあるのだけど、少しお時間いいかしら」

凛とした高い声が後ろからかけられ、男はフッと息を吐き笑う。
振り返ると、想像していたより小さな頭が男を見上げていて、少し驚く。男に声をかけたのは、まだ10もいかないような少女だった。パッチリと開かれた瞳は草原に空を落としたような色で、男はその色に感嘆の声を小さくあげる。しかし、男は変わらず笑みを浮かべてわざとらしく右手を掲げてみせた。

「いつ声をかけてくるのかと思いましたが、きちんと待てができるお利口さんだったようでなによりです」
「あら、通話中に声をかけるなんてとても失礼でしょう?」
「馬鹿な餓鬼でなくて良かった。で?私としては接触の仕方がとても斬新で面白いのですが、尋ねたい事とは一体?」

包帯の男、束井烙は医者だ。しかし、病院や医院と言った施設にいる医者ではない。所謂、闇医者と呼ばれる者だ。そんな烙に声をかけてくる人間など、外見の異様さも相まってかなり限られてくる。だと言うのに、少女は烙へと声をかけてきた。路地の角で様子を伺い、少しではあるが、束井烙という人間を知った上で話しかけてきたのだ。烙はそういう人間を二種類知っている。一つは自身に依頼、治療してほしい人間がいる場合。もう一つは、自身に恨みなどがある場合。前者の場合であれば、特に警戒することもないが、後者であるならば今回は少し楽しめそうだと烙は笑みを深める。

「斬新な接触?なんのことか分かりませんが、私はここが何処かを教えてもらいたいだけなのだけど。もしよければ教えてくださらない?」
「…は、?」

予想していた答えのどれとも違う返答に、烙は間抜けに声を漏らす。
少女は頬に手を添え、少し恥ずかしそうに顔を逸らしてフリルのついたスカートの端をキュッと掴む。

「お恥ずかしいのだけれど、慣れない道で迷ってしまったの」
「……迷子?」
「うっ…ええ、」

一瞬、自分を惑わすための嘘かと思ったが、反応を見る限り迷っているというのは嘘ではなさそうだ。二つに結んだブロンドの髪を揺らし、チラチラと伺うように少女は烙を見上げる。

「…利口かと思えば、そのような事情ならもっと適任の人間がいるでしょう。何故私に声を?」
「あら、お医者様なのでしょう?だったら悪い人ではなさそうと判断したんですの。申し訳ないのだけど、少し会話が聞こえた時に治療という言葉が聞こえたから、てっきりお医者様かと…」
「はあ、なるほど。では、私が良いお医者様でなかった場合、どうするつもりです?」
「良い、お医者様でなかった場合…?そうですね……」

少し考えるようなそぶりをした後、では、と少女は綺麗な笑顔を浮かべ、ポケットから卵のような丸い機械を取り出した。烙には縁のない物だったが、それはどこの小学生でも持っているような防犯グッズだった。

「兄に持たされたこの防犯ブザーを鳴らします!」

自信たっぷりに笑顔を浮かべた少女に対して、烙の口元は引き攣る。こんなところでそんな物を鳴らされてしまっては事情聴取をすっ飛ばし、即お縄にかけられてしまいそうだ。
「誤って鳴らしてしまった時はとてもびっくりしたわ」とクスクス笑う少女。こんなもの、脅されているのと変わりないなと頭を抱え、烙は諦めたように深いため息をつく。

「はぁ…、わかりました。で、一体どこに帰りたいんです?防犯意識の高い《迷子》のお嬢さん」
「ま、迷子を強調しないでくださいっ!」






金色の髪がふわりふわりと跳ねるように揺れる。
目に痛いネオンサインを物珍しそうに眺めながら歩くその姿は、完全に浮いている。浮いているといえば、烙自身も夜の歓楽街に馴染んでいるとは言い難いのだが、それは彼の場合どこにいてもそうだろう。
そんな二人に刺さる視線は決して良いものではない。それに気づいていないのか、それとも気づいていて無視を決め込んでいるのか、少女は足取り軽く、歓楽街を楽しむように進んでいく。

「ねえお医者様、あれはなにかしら」
「お嬢さんは知らなくて良いものですよ」
「……先程からそればかり。真面目に答える気がありませんのね!あと、私はもう立派なレディです」
「おやおや、これは失礼。ですが、好奇心旺盛な貴女には、お転婆なお嬢さんの方がお似合いかと」
「もう!」

プンプンと効果音でもつきそうな少女の怒りをけらりと笑って躱す烙。

少女は早くも人選を間違ってしまったと後悔していた。自身の選択に間違いはないと誇りたいが、今回ばかりはこの医者が本当にいい人間だと言い切る自信がない。

(いえ、決めつけてしまうのはまだ早いわ!現にこうして道案内をしてくれているし、きちんと大通りを選んで歩いてくれているもの!私の質問には答えてはくれないけれど…)

兄に結んでもらった髪を指に絡め、少女は少し視線を下に向ける。
少女、シャル・R・Cは日本に住む兄達に会いにこの日本へ訪れていた。しかし、英国では見られないようなものがたくさんあり、ついつい目を奪われてしまったのが良くなかった。一緒にいたはずの兄達はどこかへ消え、知らない街を一人彷徨う。不安や恐怖ばかりが心を埋め、ほろりと涙がこぼれそうになった時、白衣の男を見つけたのだ。
シャルが烙を見ていたのは路地での通話からでは無い。ある店から日本人ではない人と、今隣を歩く医者が出てくるのを見かけたのが始まりだ。その時、まだ聞きなれない日本語ではなく、母国語である英語が白衣の男から発せられ、シャルはそれにひどく安堵してしまったのだった。

「…ふむ、」
「?、どうかしましたか?」
「いいえ、なにも」

にこりと、烙が笑みを浮かべる。常に浮かべているような怪しい笑みではなく、少し楽しそうに、笑った。その瞬間、シャルの背筋に冷たいものが走るが、その笑みが自分に向けられているわけではない気がして首を傾げる。

いつの間にか、辺りは街灯の少ない住宅街へと変わっていた。







人間、女。子供。女、小さい女、少女。女の子、少女。少女。

「───。」

ふわりと揺れる、金色の糸。ふっくら赤い頬は柔らかそうで、噛み付いてしまえばほろりと溶けてしまいそうな、かわいい、かわいいおんなのこ。

「みぃつけた、」

可愛いかわいい小さな女の子。


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