真意は夜に溶ける
主に銃器や違法薬物の密輸を生業とする、とある敵グループのメンバーが1人が捕まった。その敵を捕まえたのが、要請を受け出動した抹消ヒーロー、イレイザーヘッドである。この敵は素早く走ることができる個性の持ち主らしく、その個性を使い首尾よく捜査の手から逃亡していたのだが、抹消ヒーローの前ではそれはもう呆気なく身柄を拘束されることとなった。
「で、相変わらずこいつは口を割らないんだね」
犯人確保の連絡を受け現場に到着した塚内は、相澤の捕縛布でぐるぐる巻きにされた敵を見下ろした。
「あぁ。どうやらこいつも、一応は組織の一員だという自覚があるらしい」
同じく敵を見下ろしながら相澤はため息を吐く。捕まえることは容易だったが、組織の構成や拠点を聞き出そうとしても全く口を割らない。身元を特定する私物も持っておらず、敵グループ摘発の有力な手掛かりだというのに、何も情報を得ることが出来ずにいた。
「ふーん…。仕方がないな。玉川、苗字を呼んでくれ」
「わかりました」
塚内から指示を受けた玉川は取り出した携帯でどこかに連絡をし始める。
「誰ですか、それ」
「うちの秘密兵器だよ。ああ、そうだイレイザー」
このことはどうか内密に。塚内は唇に人差し指を当ててにこりと笑った。
30分程すると、1台のパトカーが現場に入ってきた。パトカーの後部座席から降りてきたのは濃紺色のスーツを身に纏った、うら若い1人の男性だった。男性は塚内を見つけると脇目も振らずにこちらに向かってくる。
「塚内さん、お疲れさまです」
「ああ苗字、お疲れさま。非番だったのに悪いね」
「いえ、特に用事もありませんでしたので。そちらは?」
「今回犯人確保をしてくれたイレイザーだよ。イレイザー、うちの苗字だ」
「初めまして、苗字です。噂はかねがね」
「はぁ、どうも」
相澤の名前に対する第一印象は「こいつは本当に警察官か」だった。背こそ相澤と大差ないがその身体つきは男性にしては華奢で、細身のスーツに強調された両手で掴めそうなほど細い腰も、すらりと伸びた長い脚も、その辺の俳優やモデルに見劣りしないような端正な顔立ちも、到底警察官には見えない。直接塚内に紹介されていなければ疑ってしまっていただろう。
(まさか色仕掛けでもする気か…?)
塚内が言っていた「秘密兵器」の言葉が相澤の脳内を過る。一体この色男がどんな「秘密兵器」を持っているというのだろうか。
「苗字、早速なんだが」
「はい。こいつですね?」
相変わらず口を閉ざしたまま一言も発しない敵。ぎろりと鋭い眼差しで塚内と名前を睨んでいる。名前はそんな敵に近付き目線を合わせるようにしゃがみ込むと、おもむろに自分の左手の人差し指を噛みちぎり、そして出血しているその指を躊躇いもなく敵の口に突っ込んだ。
「な、」
突然行われた一連の行為に思わず目を剥く相澤。そんな相澤を余所目に、名前は目を白黒させている敵に問い掛ける。
「組織は全体で何人だ」
「…、俺をいれて、13人…」
「本拠は?」
「…保洲の、2丁目、去年潰れた消費者金融が入ったビル…、8階…」
「だそうです」
先程まで頑なに口を閉ざしていた敵は一変、とろりと虚ろな目をして、いとも簡単に名前の問い掛けに答えてみせた。敵からの供述を聞いた塚内は直ぐ様その場にいた警官たちに指示を行い、拠点となっているらしい雑居ビルへと向かわせた。その進捗の早さに相澤は呆気にとられる。なんだ。なにが起こった。
「どうだい?うちの秘密兵器は。すごいだろう」
「いや…驚きました。彼の個性ですか?」
「そう。苗字の個性、"自白"だよ。体液を摂取させた相手に対し、一時的に自分の意思とは関係なく自白させてしまうらしい」
「それは、またすごい強個性ですね」
なるほど確かに、これは警察にとって強力な「秘密兵器」だと相澤は納得した。口を割らない相手に対して強制的に自白をさせるなんて、敵側からしたらどんなに恐ろしいだろう。どんな秘密も名前の前には公然と同じなのだ。
「じゃあイレイザー、僕はこいつを連れて一度署に戻るよ。出動ご苦労さま」
訳も分からないまま組織の内部情報を漏らしてしまい真っ青になっている敵と共に塚内はパトカーへ乗り込んだ。あの様子ではもう逃げようなんて考えないだろう。きっと牢屋の中に居たほうが安全だ。塚内らを乗せたパトカーは署へと帰っていき、その他の捜査官たちもそれぞれ復していく。気がつけば現場に残っているのは相澤と名前だけになっていた。
「あなたは一緒に戻らなくて良かったんですか」
「俺は今日非番なので、このまま帰ります。あ、そうだイレイザーさん」
よかったらこのあと食事でもどうですか。きっと女性なら目を輝かせて頷くのであろう、なんとも眩い顔で名前は言った。
丁度まだ夕食をを摂っていなかった。時計を見たらいい具合の時間だった。そして何より、苗字名前という人物が気になった。初対面の人間と1対1で食事なんていつもの自分なら面倒だと断っていただろう。しかし気がつけばあまりお喋りではないはずの口が勝手にOKを出してしまった。名前がたまに来るのだとという居酒屋へ入り、店のおすすめだという焼酎のお湯割りを片手に適当に頼んだ料理をつまむ。酒も料理も美味く、それなりに度数のあるアルコールの効果もあって、2人の談話は次第に盛り上がっていった。
「相澤さんは教師もされてるんですね。二足の草鞋は大変でしょう」
「まぁ、それなりに楽しんでやらせてもらってますよ」
「あはは。すごいです。俺なんてこの仕事だけで精一杯ですよ」
「失礼ですが、苗字さんは何年警察のお仕事を?」
「えーっと、高校を卒業して数年してからなので…10年くらいですか」
「はっ?」
名前の言葉に相澤は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。高校を卒業して数年後、そしてまた10年…初めて名前を見た時、その見た目からおおよそ20代前半くらいだと思っていたので、まさかの自分と歳がほぼ変わらないという事実に、相澤は少し目眩がした。
「どうかされましたか?」
「いえ…、勝手に20代前半くらいかと思っていたので…」
「ああー…よく言われます。童顔なんですよね。お恥ずかしい」
名前は羞恥からなのかアルコールのせいなのか、ほんのりと赤く染まった頬を掻く。その仕草もどこか実年齢よりも若やかに見えた。それからそれなりに食事を終え、飲み物も焼酎から烏龍茶に変わった頃、相澤は気になっていた事柄を直接名前に尋ねることにした。
「苗字さんの個性…すごいですね。俺ももう何年もヒーローやってますが、あんな個性見たことも聞いたこともありませんよ」
相澤の言葉に、名前は持っていたグラスからちろりと視線を上げた。そして何度が瞬きをした後、殊更ゆっくりと口を開いた。
「そうですね…。俺は潜入捜査とかがメインでして。今日みたいなのもありますけど、基本的に、あまり表に出ないようになってます」
「俺の個性って、俺の体液さえあれば誰にでも使えるんです。もし俺が敵に捕まったりして、敵に俺の個性を悪用されたら大変なことになるじゃないですか」
「なので敵側には勿論、警察関係者にもなるべく俺の個性は知られないようにしています。塚内さんとか直属の上司なんかは知ってますけどね」
烏龍茶を飲みながら、名前はどこか他人事のように話す。同じく相澤も烏龍茶を飲みながらそれを聞いていた。
「そんな大事なことを俺なんかに言って良かったんですか」
直属の上司でもないのに。
「塚内さんが以前、イレイザー…相澤さんは信頼できる人だと言っていました。それに、あなたと俺は、なんだか似てる気がして」
「…!」
アルコールで熟れた唇に、とろりと潤んだ瞳の名前がやけに官能的にみえて、相澤は思わず息を詰まらせる。心臓がどくどくとうるさい。きっとこれはアルコールのせいだけではないと分かっている。しかしそれを認めたくない自分がいた。
「おっと、長居しすぎましたね。そろそろ出ましょうか」
「あ、ああ、そうですね」
名前の言葉にはっと相澤は我に返る。会計の際、お互いにここは自分が払うと言い張ったが結局折半になった。店を出て時計をみるともうじき日付が変わろうとしている。時間を忘れて飲むということがあまりない相澤は少し驚いた。これから家路についてシャワーを浴びて、眠れるのは何時になるだろうか。そんなことを考えていると前を歩いていた名前がくるりと振り向いた。
「今日はありがとうございました。ずっとお会いしたかった相澤さんとお話しできて楽しかったです」
屈託のないその笑顔は、相澤の最後の砦を崩すにはあまりにも強力すぎた。それでは、と去っていく名前の後ろ姿を見送りながら、もう何年も味わっていないこの気持ちにどう向き合おうかと、相澤はぼんやり考える。
「連絡先くらい、聞いとくんだったな…」
そう呟いた声は夜の街に溶けていった。
敵に捕まったら血液じゃなくて別の体液搾り取られそうですね、名前くん