
嘘吐きって言わないでね
そもそも、名前が碓氷真澄に恋をしたのは言ってしまえばただの一目惚れである。いや、一目惚れとは少し違うかもしれないが、概ねそのようなものだ。2年に進級してすぐ、出席番号を無視して適当に座っていいとのお達しがあり、何の幸運か学年ないし学校一のイケメンと名高い真澄の隣の席をゲットした。そして「よろしくね」と声をかけた先、一瞬目が合っただけの真澄にいとも容易く恋をしてしまったのだ。別に顔を見たことくらいなら何度かある。同じ学年で、同じ階に教室があれば、すれ違うくらいの機会はある。友達が騒いでいたこともあって、『碓氷真澄』の顔は名前も知っていたのだ。だけれど、その時点ではまだ名前は真澄に恋をしてはいなかった。だから何故恋をしたのがこのタイミングなのかは、名前にもわからないが。とにかく、名前は真澄を好きになった。そこからどうして昼休みに昼食を一緒に摂るのが日課になるほど、そして真澄から個人として認識されるほど仲良くなることができたのかといえば、名前の涙ぐましい努力があったからに他ならない。
毎日過度に話しかけるようなことはせず、まずは朝の挨拶のみを欠かさずすること。「おはよう」と返してくれるようになってから、少しずつ交わす言葉を増やしていき、真澄の日常に自分という存在を擦り込んでいく。そして真澄から「おはよう」の挨拶をもらえたところで、休み時間に僅かに話す時間を設けてみたりだとか。そういう何でもない行為の積み重ねを経て、名前は真澄と軽口を交わす友人ポジションに立つ権利を得たわけだ。序盤で真澄が『監督』に一目惚れしていたこど知るなどという予想外すぎるアクシデントがあり一瞬挫けそうになったものの、付き合っていないのであれば漬け込む隙はあると思い直すなどした。転んでもタダでは起きない、それが名前のポリシーだった。
もちろん、「監督が好きすぎてしんどい」などと言い出す真澄に対して「しんどいのはこっちなんですけど?????」と泣きたくなることだって何度も何度もあったけれど。けれどそれさえ全て笑顔の下に押し殺してきたのは、全てこの時のため。
これは、いわばこの一年の集大成なのだ。
一年かけて、名前は真澄に告白しても「無理」と一蹴されることなく、真摯に受け止めてもらえるだけの下地を作り上げた。下心なんて一切ないです他の女の子と違います、みたいな顔をして、どこまでも姑息に真澄と一番親しい女のポジションを手に入れた。真澄が片思いしているという『監督』は、きっとそのポジションにはいないだろうと名前は推察している。一つ屋根の下という羨ましすぎるシチュエーションであったとしても、その寮には何も真澄と『監督』しかいないわけではないだろう。何でも劇団には約20人の男がおり、その『監督』は聞いた話によればその約20人の――真澄も含む――男からそういう意味にしろそういう意味ではないにしろ慕われているという。そうなれば確実に20人の男が話したがり、聖徳太子でもない限り複数人と同時に会話するなんて不可能なのだから、当然一人当たりに割く時間は限られたものになる。だから、関わる時間で言えばきっとイーブン。そして距離を縮めようと明確な意思と策を以って関わっている分、親密度は自ずと上になってくるはず――それを鑑みて、こちらを向いてくれる可能性はきっとゼロではないと思うわけで。でなければ告白なんて大それた真似できるわけがない。
「……あ、おはよう碓氷くん。相変わらず朝弱いね、眠そう」
「……おはよ。余計なお世話」
登校してきた真澄に声をかければ、普段通りに挨拶が返ってきたことに安堵する反面、困惑もした。避けられても困るが、全く意識されないのもそれはそれで困るのだ。むしろ後者のほうが、真澄に振り向いてほしい名前にとっては致命傷だろうか。
内心どきどきしながら、真澄の挙動をさりげなく観察する。……普段と違う行動は見えない、いつも通りだ。通学鞄からペンケースを取り出し、鞄はそのまま机横のフックへ。軽く椅子を引いて腰掛けて、視線を名前のほうへと向ける。
「ねえ」
「何?」
「……昨日のこと、本気?」
「嘘だと思う?それとも、嘘のほうが良かった?」
「どっちでもない。……ただ、まあ正直困りはした。どうしたら良いかわからない」
困らせたいわけではなかったのにな〜、なんて内心で白々しく言い訳をしつつ。おそらくは普段『監督』のことばかり考えているだろうその脳内の、少なくとも三分の一、いや五分の一程度は名前のことを考えてくれただろうとにんまりと笑う。
「そうだ、プレゼント決まった?」
「……決まってない。……決まってないっていうか、それより前に名字のほうが俺にもらうものあるだろ」
真澄の言葉に、今度は名前がぱちぱちと目を瞬かせる番だった。もらうもの。さて、そんなものあっただろうか。
口元に手を当ててしばらく考えてみたはいいが、思い当たる節がない。最近は真澄の誕生日のことしか考えていなかったと言っても過言ではない名前に、思い付けというのも無理な話かもしれない。
「プレゼントの返事以外にもらうもの思い付かないけど……ヒントは?」
「……先月名字に貰った物のお返し」
「先月……あ、ホワイトデーのこと?やだ、別に良いよお返しなんて。ていうか碓氷くん、バレンタインのお返しなんて幾つになるの……それこそ20とかじゃ足りなくなるんじゃないの?」
直接渡された物で受け取ったのは、少なくとも校内では名前の分だけであったと記憶しているものの、靴箱やロッカー、机の中にあった分は仕方ないといった体で無造作に紙袋――劇団の仲間に押し付けられたらしい――の中に突っ込んでいた。さすがに無記名ということはなかったので、個人の特定はさほど困難ではないだろう。ただ、直接手渡されない物だけだったとしても20は下らなかったような気がするが。
真澄がホワイトデーのお返しを考えているなんてまさか夢にも思わなかったし、一ヶ月前の名前だって想定していなかった。いや、もらえたら嬉しいとは思ってはいたけれど、本当に期待はしていなかったのだ。
一体いくつ用意するんだろう、なんて考えていれば、「は?」みたいな顔をしながらの「アンタと監督以外にあげるつもりないけど」という返答。嬉しいには嬉しいが、そこに『監督』が挙がって来なければ最高だったのに……と思ってしまうのはさすがにワガママだろうか。しかしそれとは別に若干嫌な予感がして、恐る恐る真澄に質問する。
「……ちなみに、碓氷くん。監督さんには何あげるつもりなの?」
「俺」
「べ、ベタだぁ〜〜………それやめたほうがいいよ、多分戸惑われるし突っ返されると思うから……」
「……そう?じゃあ何がいいと思う?」
「うん。もっとこう……ん〜〜……お菓子とか、花束とか?」
「残る物がいい」
敢えて消え物を挙げてみたが、のっけから否定される。まあ、仕方がない。「プレゼントは俺*」をされるよりはマシだろうと思い直す。
「花でもプリザーブドフラワーとかいいと思うけどね、可愛いしインテリアになるし、普通のお花と違ってかなり長持ちするから。それにお菓子添えてみたら?ホワイトデーだし……クッキーとか、マシュマロとかかな。詰め合わせだとお得感あって良いかも」
「参考にする」
「うん、参考にしてみて」
真澄であればアクセサリーを挙げてみても平気で買ってきそうではあるけれども、普段身に付けるタイプの物を避けるのは、まあ恋する乙女としては当然のことだった。それでもインテリアとして日々目に付くだろう物を挙げたのは苦肉の策だ。あまりにそういったものを避けても候補にもならない可能性がある。
「……。……で、昨日のって本気で?」
「嘘じゃないよ。嘘にしたいの?これ二回目だけど」
「いや……そうじゃなくて。普通、こんなふうにホワイトデーのお返しについて意見出さないと思う。俺なら絶対出さない」
「まあ……それとこれとは話が別かなぁ。好きなひとの力になりたいって気持ちが強いのかも」
「……そう」
100%嘘、というではない。力になりたい気持ちはあるのだ、ただ行動が追いついていないだけで。意見を出すのは『監督』にあげて欲しくないプレゼントから目を背けてほしいからであり、それこそ真澄の恋の妨害に他ならないので、心苦しくはあるけれど。
「……アンタは?」
「ん?」
「何が欲しいの」
「……えー、っと」
さすがにここで何かをねだるようなことはできない。そもそも別に欲しいものもないのだ。その理由は、至って単純明快。
「碓氷くんが私にあげようって考えてくれた物なら何でもいいよ」
「……人の誕生日、自分じゃ考えない癖に?」
「だって前提が違うじゃない?私は碓氷くんが好きだからホワイトデーのお返しに何もらったって、碓氷くんが私のために何かあげようって考えてくれた事実がそもそも嬉しいから物はこだわんないけど、碓氷くんはまあそうじゃないわけで。だったら欲しいって思う物あげたいし、要らないって思う物はあげないようにしたいの」
「……俺は、」
「ん?」
「……何でもない」
プレゼント、考えとく。
その言葉のあと、本鈴が鳴り教室に担任が入ってきたことで話は中断された。逸らされた視線と同じくして見えるようになった横顔は、何かしら考え込んでいるようだったから――若しかして、少しは期待できるのかも。なんて考えてしまった。