都合のいい夢を見せて





「失礼するっス!」

「どうぞー」

「こんにちは!歌歩さん!」

「はーい。いらっしゃーい」


今日は、いつか一緒に会議した視聴覚室で待ち合わせ。歌歩さんとふたりでのアポを取り付けるなんて、我ながら大胆だなって思う。

この間歌歩さんが出たコンクールのDVDが届いたそうで、俺以外に誰も呼ばないという条件つきで「見る?」と声をかけてくれた。歌歩さんの演奏を聴きたかった俺としては断る理由なんてなくて即答中の即答をした。それに誰も呼ばないのも最高の条件だ。ふたりきりは緊張するけど、歌歩さんの演奏を他の誰かに聴かれるのも困る。俺だけが知っていたい。自己中だよな。


「これ見て南雲くん。デッキ、まだ直んないの。先生にこのままでいいって言われたんだけど、それからずっと置きっぱなし」

「早く買えばいいのにって感じっスね」

「ね。貧乏なわけないのにね。でもそしたらまた教室まで運ぶようだね。いっそ教室の買い替えちゃえって思う」

「それもいいっスよね。…もし、また運ぶようでしたら、俺手伝うっスよ」

「ほんと?南雲くんが忙しくないときならお願いする」

「遠慮しないでほしいっス。呼んでくれれば、いつでも行きますから」

「あはは。いつでも駆けつけてくれるなんて、ほんとにヒーローみたいだね」


その言葉に深い意味はないとわかっている。でも、考えてしまう。歌歩さんだけのヒーローになれたら、どんなにいいだろうか。歌歩さんが望むなら、ヒーローにだって、なんにだってなる。こんなことばかり考えるなんて、ほんとに俺ってアイドル失格。俺が良からぬことを考えているあいだに、歌歩さんはディスクを入れて準備を着々と進めていた。


「…なんか、柄にもなく緊張する」

「え、なんでですか!」

「だって、画面越しに自分見なきゃいけないんだもん。恥ずかしい。…みんなも、ライブの映像観ながら反省会するのって、こんな気分なんだね」

「まあ、個人差はあるでしょうけど…似たような感覚っスね」

「南雲くんは平気?自分の映像見るの」

「俺は割と平気っス」

「そっかあ…いいなあ、たくましくて」


たくましくなんかない。でも失敗を次に活かせないのはもっと嫌だ。そう思ってるから、そんなに嫌悪感なく見られるのかもしれない。上達する為の努力を怠るわけにはいかない。『努力の証』は隊長から貰った肩書きでもあるから。


「どうする?最初から全部聴く?でもそれじゃ時間かかりすぎるよね」

「俺は、何時間でも大丈夫っスよ」

「そう?じゃあ…適度に飛ばしながら見ていこっか」

「うっス!」


歌歩さんの演奏が聴ければ、ぶっちゃけ他はなんでもいい。…なんて、誘ってもらった手前言えないけど。

暫く一緒に何人かの演奏を聴くけど、凄く失礼なことに、なんだかいまいちパッとしないと思ってしまう。はっきり言ってしまえば、どんぐりの背比べ。…歌歩さん、最後から三番目って言ってたし、もう暫くこんなかんじかな。次のひともそうなのかな、なんて失礼なことを考えながら画面を見る。その瞬間目を反らせなくなった。なんだかこのひとは、今までのひとたちと、ちょっと雰囲気が違う…?堂々としてて、自信に満ち溢れていて…


「ネタバレで申し訳ないんだけど、このひとなんだ。最優秀」

「おお、そうなんスね…!」

「じっくり聴いてほしくて言っちゃった。集中して聴いてて。ほんと、凄いから」

「お、押忍…!」


わざとらしく画面を見るふりをしたが、そんな必要はなかった。このひとの演奏には自然と惹き付けられていく。詳しいことも専門的な技術とかも、てんでわからないけど。迫力があって、それでいて洗練されている。このひとが積み上げてきたものを感じる。

演奏が終わって、思わず画面の向こう側に拍手をしてしまった。凄いの一言。たったひとりで、会場の空気をここまで変えるのか。圧巻、別格。そんな表現がぴったりだと思った。最優秀と言われて頷ける。


「…なんか、凄いっスね」

「ね。一気に場内が沸いたもん」

「わかる気がするっス」

「…この直後なんだ。わたしが怖じ気づいて、ロビーに逃げたの」

「えっ…」

「凄い演奏聴いて、情けないことにあがっちゃって。今までこんなことなかったのに、やばい、どうしようって。怖じ気づいてたときに、ちょうど南雲くんからメッセージが届いた。びっくりするくらいのタイミングでさ。…あれ、凄く嬉しかった」

「そんな、大層なことじゃないっスよ…!」

「わたしにとっては、ほんとに嬉しかったの。南雲くんが励ましてくれなかったら、わたし絶対潰れてた。優秀賞なんて絶対もらえなかっただろうし、弾ききれたかどうかも怪しい」

「そんなこと…ちゃんと演奏できたのも、入賞できたのも、全部歌歩さんの努力の賜物っスよ」

「それをちゃんと発揮できたのは、南雲くんのおかげ」


だから、改めて、ありがとう。少し恥ずかしそうに顔を赤らめながらそう言った歌歩さんは、どうしようもなく可愛くて。こんな顔も、俺だけが知っていればいい。俺だけに見せてくれればいいのにな。……あ、今のひとの演奏全然聴いてなかった。ごめんなさい。


「あのね、南雲くん」

「はいっ」

「わたしね、このあいだ、先生のお見舞いに行こうとしたの」

「行こうとした…?」

「正式には、行ったけど、逢えなかった」

「それは、いったい…」


遠回しな言い方に思わず身構えてしまう。最悪な結末を迎えてしまったのだろうか…


「先生ね、わたしが行く前日に退院してたの」

「ま、まじすか…!」

「まじ。酷くない?入院の連絡はすぐに寄越して、退院の連絡しないなんて。おかげで無駄足になっちゃった」


口では「酷くない?」なんて言いつつも、歌歩さんの表情は明るい。余程嬉しかったんだろうな。


「まあ、わたしもサプライズで行こうとしてたし、なんにも言わなかったから、あいこだね」

「でも、よかったですね。先生、お元気になられたなら」

「うん!」


いつも以上に、きらきらした笑顔だ。やっぱり嬉しいんだな。そりゃそうか、恩師が元気になったんだから。俺も、歌歩さんのこんな笑顔を見られてよかった。歌歩さんの気持ちがちゃんと届いて、願いが叶って本当によかった。


「落ち着いたら、改めてお顔拝見に伺おうと思ってる」

「きっと喜んでくれるっスよ」

「だといいけどね」


そして、これからその歌歩さんの願いが詰まった演奏を聴けるんだもんな。俺、そんな幸せでいいのかな。なんていうか、人生終わりそうな感じする。


程々に談笑しながら鑑賞を続けていると、とうとうアナウンスが歌歩さんの名前を告げた。当たり前のことだけど、画面の中には歌歩さんの姿があった。舞台上で準備を終えた歌歩さんは目を閉じて深呼吸を何度かしている。…隣にいる実物の歌歩さんは、なんだか表情がかたい。緊張…してるのかな。


「…あまり真面目に聴かなくていいからね」

「それじゃ俺なんの為に来たのかわからないっスよ」

「最優秀の、いい演奏聴けたじゃない」

「そんなことないっス!俺、歌歩さんの演奏が聴きたくて―……」


不意に、耳に届いたお箏の音。画面に視線をやると、歌歩さんが穏やかな顔つきでお箏を弾いている。違った意味で目が離せなくなった。これは…今までのどの奏者とも違う。言葉を失うくらいに、丁寧で綺麗な音。そう、『音』が違う。最優秀だったひとと比べて、演奏には華やかさも迫力もないかもしれない。だけど…ひとつひとつの、音の響きが違う。こんなにも綺麗で優しく響く音、他にあるだろうか。

全くの無知な俺ですらわかる。この音に込められた歌歩さんの気持ちが、これでもかと伝わってくる。歌歩さんの演奏が終わっても、俺は暫く動けなかった。画面から目を離せずにいた。


「……え、南雲くん!?」

「あ、その…っ、すんません!俺っ、感動しちゃって…!」


鳥肌が止まらない。ついでに涙も止まらない。お箏がこんなにいい音だったなんて、そしてまさか泣かされるなんて思ってもいなかった。


「俺、最優秀のひとより、歌歩さんの演奏の方が、ずっとずっと、いいと思うっス」

「そ、そう?…贔屓目でも、嬉しい」

「贔屓しちゃうのは仕方ないっスよ。でも…俺、こんなに、あったかくて優しい音、他に知らないっス。こんなに素敵な演奏、聴けてよかったっス…!」


今日、呼んでくれて、ありがとうございます。そう発した声はまだ震えてたけど、きっと歌歩さんには届いたと信じてる。しかし未だに涙が止まらない。悲しいわけじゃないからこそ止め方がわからない。ずず、と鼻をすすっていると、不意に、顔にぬくもりを感じた。困ったような照れているような、そんな表情の歌歩さんが、優しく涙を拭ってくれてる。


「……ごめんね。わたし、指固いから…痛かったら遠慮なく言ってね。それか、振り払ってくれて構わないから」


…そういえば。前に、お箏してたから指固いって言ってたっけ。いい音を出すのには指が固い方がいいとか。……確かに、てのひらは柔らかいけど、指の腹は固いのがよくわかる。でも、それでも。


「…歌歩さんの手、あったかいっスね」

「え、そ、そうかな…?」

「沢山、努力されてきた手、ですよね」

「南雲くん…?」

「もっと誇っていいと思います。歌歩さんの、努力の結晶なんスから」


この手を退けてほしいなんて絶対思わない。ましてや振り払うことも絶対しない。歌歩さんが、がんばってきた証なんだから。貴女の全部が、俺は好きなんだから。


「……あの、歌歩さん」

「なあに?」

「…すんません。もう少し、このまま、お願いしていいっスか」

「いいよ」


なにを、なんて野暮なことは訊かずに、優しく目もとを撫でてくれる。ほんとに、あったかい。手が冷たいひとは心があったかいとか、そんなの迷信だ。だっと、手も心もあったかいひとが、すぐ目の前にいる。なんだか夢みたいだ。こんなふうに涙を拭ってもらえるなんて。この間は逆の立場だったし。出逢った当初はこんな関係になれるなんて思ってもみなかったな。

今この瞬間が、束の間の夢だとしても構わない。ならばどうかもう少しだけ、このまま夢を見させて。



.
【back】