昨日までとは違う距離
二年A組の教室前。今まであれほど来ていたのに、今日は今までにない緊張感に襲われている。
歌歩さんと理由を作らなくても逢える関係になった。とても喜ばしいことなのに、いざこういう状況になった途端に尻込みしている。逢いたい気持ちはあるのに昨日と違う状況にビビってここまで出向くのに授業を三回もこなしてしまった。三時間目の授業が終わって、これが午前中のうちに逢える最後のチャンス。漸く教室の前まで来たのだが、情けないことにここでも勇み足。
今までは用事があったからすんなり入れたものの、今日からはなんて言って入ればいいのか解らない。なにも用事がないのに俺が来て、もし歌歩さんが冷やかされて、それを良しとしない方だったとしたらどうしよう。ここまで頭が回らなかった昨日の俺を恨むと同時に、ここまで来ておいてあと一歩が踏み出せない自分にどうしようもなく腹が立つ。俺はまだこんなに女々しいのか。昨日の吹っ切った自分どこ行った。こんなとこで時間を無駄にしてはそれこそ意味がない。どちらにせよ覚悟は決めなきゃいけないのに。
「あれ、南雲くん」
「あ、姉御…!押忍!」
「今日は遅いね。…どうしたの?入らないの?」
「いや、あの、それが…」
「南雲くん?」
「わわっ!歌歩さん!?」
姉御の後ろから、ひょこっと顔を出した歌歩さん。突然の出来事に焦ったにもかかわらず、今日も可愛い、なんて場違いなことを思ってしまった。
「やっぱり!南雲くんの声だったー」
俺の姿を見つけるなり、歌歩さんはいつもの眩しい笑顔を向けてくれる。ああ、やっぱり可愛い。つられて俺も笑顔になってしまう。そして姉御は気を利かせてくれたのか、いつの間にか居なくなっていた。
「ほんとに来てくれたんだね」
「は、はい!お待たせしてすんません!」
「うん。南雲くんが来てくれるの、楽しみに待ってた」
楽しみに待ってた、って…どうして歌歩さんは、いつもいつも嬉しいことばかり言ってくれるんだ。今までぐるぐる考えていたことが全部どうでもよく思えてきた。
「情けない話なんスけど、いろいろ考えちゃったんス。歌歩さんの迷惑にならないかって」
「迷惑?」
「その…冷やかされたり、とか?」
「ふふ、心配してくれたんだね。ありがと。でもわたしは全然。言いたい人には言わせておけばいいし、寧ろこっちから自慢してやる」
「歌歩さん…!」
「でも、南雲くんのいいところは、わたしだけの内緒にしておきたいから極力言わないけどね」
歌歩さんはまた穏やかに笑った。ああもう、本当に可愛い。このひとが俺なんかの彼女になってくれたなんて、今でも信じがたい。でも…もし、そんな場面に出くわしたなら、歌歩さんは俺のことを、なんて言ってくれるのだろうか。
「そうだ。あのね、今日南雲くんにお願いがあって。言うだけ言ってもいい?」
「勿論っスよ」
「南雲くん、なにも予定なかったら、今日お昼一緒に食べたいなーって思って。どうかな」
「喜んで!!」
即答もいいところ。しかも思ってたより声が出た。お昼のお誘いとか、なにそれ嬉し過ぎる。本当に用事という用事はなにもないけど、もし予定あっても全て後回しだ。
「じゃあ、お昼は一緒ね。約束」
「はい!よろしくお願いするっス!」
今日は天気がいいから屋上に行こうと決めて、次の授業に備えて一旦お別れ。…すげえ!お昼の約束だって!こんなにすんなりできるんだ!お付き合いするって、こういうことなんだ。すげえ。めっちゃ嬉しい。嬉しすぎてすげえしか言えない。浮かれ気分最高潮で教室に戻って翠くんに即報告。一部始終を話すと「よかったね」と笑ってくれた。よし、あとで仙石くんにも聞いてもらおう。
お昼までのラスト一時間、有頂天で授業を受けているうちにだんだん我に返る。そういえば今日、大将はユニットのお仕事で不在。つまり今日は俺のお弁当なしで、俺も適当に食堂で済ませる気満々だったわけで………あれ、詰んだ?いや、落ち着け。購買がある。授業が終わったらソッコーで…捕まらない程度のダッシュで向かえばいい。安直だけどこれが一番現実的な選択。
終業ベルが鳴り、授業終了の号令と同時に教科書とノートをしまい、財布と携帯だけ持って教室を飛び出した。
「南雲くん!」
「あ、歌歩さん…!」
なんと。廊下で既に歌歩さんがスタンバってた。俺めちゃくちゃ急いだつもりなのに、それより早いって。テレポートでもしたの。
「えっと、どうしたんスか」
「授業、少し早く終わったから。思い切ってお迎えに来ちゃった」
「まじっスか…!」
うわああああ…!待っててくれたとか健気かよ!本来なら手放しで大喜びなのに!それが出来なくてもどかしいし素直に喜べない自分を往復ビンタしたい。
「えっと…南雲くん、なにか用事?なんか急いでるように見えたけど…わたし、先に屋上行ってようか?」
「あ、いえ!全っ然!なんも問題ないっス!」
「…そう?じゃあ行こうか」
俺のバカああああああああ!!!!!
なんで正直に言えないんだ。「お昼ないからちゃちゃっとパン買って来ます」って、一言じゃん。一瞬じゃん!なんで言えないの俺!でもあんな、俺見つけた瞬間に嬉しそうに笑ってくれるんだもん…こっちまで嬉しくなっちゃうじゃん!離れたくないなって、思うじゃん!
結局言い出せないまま屋上へ到着。天気は文句なしにいいのに俺の気持ちは全然晴れない。歌歩さんへの後ろめたさで押し潰されてしまいそうだ。「このあたり、日当たりいいね」と笑顔で座った歌歩さんに罪悪感しか生まれない。
「えーっと…急に誘って、ごめんね。ほんとに、誰かと約束とか、無かった?」
「あ、いえ!それは全然、大丈夫っスよ」
「そう、よかった。それで、あのね…」
俺につられてなのか、歌歩さんもなんだか様子がおかしい。もしかして、俺が曖昧なことしか言わないから怒ってるとか…?こんなショッパナから愛想尽かされたらどうしよう。死ねる。ていうか死のう。
「これ!よかったら、どうぞ!」
「……えっ」
…などという俺の心配はどこ吹く風で、差し出された可愛らしいオレンジ色の包み。…え、うそ、ちょっと待って。これって……
「い、いきなり、お弁当とか、重かった…かな?」
「いや、違うんス!めちゃくちゃ嬉しいっス!ただ、想定外で頭がついていかなかっただけで…あ、ありがとう、ございます!」
受け取ろうと伸ばした手は、自分で思っていた以上に震えてた。でも落とさないように、しっかり手に力を込める。本当に、中身が詰まったお弁当なんだと察するには充分すぎる重みを感じた。
「……これ、もしかしなくても、歌歩さんの、て、手作りだったりします…?」
「い、一応は……き、鬼龍先輩のお弁当と比べたら、全然こんなの、足元にも及ばないんだけど!」
「そんなことないっスよ!確かに、大将のお弁当はすげえ美味しいけど…!俺は、歌歩さんの手作りのお弁当いただけて、すげえ嬉しいっス!」
「そんな、期待しないほうがいい!一応味見はしてるけど、ほんと、まずいって思ったら無理しないでいいからね!わたし、もともと大して料理うまくないし!」
「…それ以上歌歩さんを卑下するようなこと言わないで欲しいっス!」
「わたし本人だよ!?」
「それでも嫌なもんは嫌っス。俺の好きなひとを貶めるようなこと言うのは、ご本人でも勘弁っスよ!」
確かに大将のことは大好きだ。男としても人間としても憧れているし尊敬している。だけど、歌歩さんと大将をひとくくりにすることなんて出来ない。そもそも好きの種類が違うし。そういう問題でもないんだろうけど…とにかく、歌歩さんのことを悪く言われたくない。大切だから。
「でも、どうして今日俺がお弁当ないのご存知でした?」
「神崎くん、ユニットのお仕事でお休みするの知ってたから。だったら鬼龍先輩も休みかなって」
「成程。合点がいったっス」
「それでも賭けに変わりなかったけどね。だから南雲くんが手ぶらで出てきたとき、よっしゃ!って思っちゃった」
「歌歩さんが先に廊下で待っててくれてよかったっス」
「でも、ほんとに用事なかった?やっぱり急いでたように見えたけど…」
「…実は、購買行こうとしてたんス。お弁当ないの思い出してパンでも買おうかなと」
「そっか。心配させちゃったね」
「言い出せなかった俺が悪いんス。歌歩さんはなにも気にしないでください」
サプライズで用意してくれてたんだろう。俺の為にしてくれた、その気持ちが嬉しい。歌歩さんもきっとすぐに来て待っててくれたんだろう。入れ違いにならなくて本当によかった。
「開けてみていいっスか?」
「もちろん」
早速蓋を開けてみる。一目で女の子の手作りとわかる、綺麗な彩り。でも中身にオレンジ色は見当たらない…俺が人参だめなこと知っててくれたんだ。……ああ、人間って究極に感激すると、言葉が出なくなるものなんだな。
「すんません…写真撮っていいっスか」
「え?べ、別にいいけど…」
ちょっと戸惑ってる歌歩さんの許可を得てスマホを取り出し撮影。食べるのが勿体ないくらいだけど、食べないなんて論外。だったらせめて食べる前にデータだけでも残しておきたい。
「よし、いいの撮れた!」
「お気に召したならよかった」
「はい!……じ、じゃあ…!いただきます!」
少しずつ、いろんな種類のおかずが入ってて思わず目移りしてしまう。卵焼き、ハンバーグ、焼き肉、ナポリタン、タコさんウィンナー……なんとなく肉の比率が多いような。俺が肉好きなこと、わかってくれてる?なんて自意識過剰かな。それよりも、食べよう。まずはハンバーグをひとくち、頬張った。
「うまい!」
考えるより先に、反射的に素直な感想が出た。自分でも驚く程の反応速度だったけど、それくらい美味しいと思えた。
「うわー!これ、すげえうまいっス!」
「え、ほ、ほんと…?」
「焼き肉もいいかんじの焼き加減ス!それに俺、濃い味好きなんスよ!」
「そ、そう…?それは、よかったです…!」
「うっす!卵焼きは、ほんのり甘くて美味しいっスね!」
「えっと…大丈夫?薄くない?」
「全然!お砂糖の量が絶妙っス!こんな美味しい卵焼き、食べたことないっス!」
「な、南雲くん!ごめん!ちょっとストップ…!」
「んっ!?なんスか?」
「普段そんな、褒められたことないから…ごめん、キャパオーバーしそう…!」
顔を真っ赤に染めて、本当に恥ずかしそうにしてる。なんか…意外。歌歩さん可愛いし、気配り上手だし、優しいし…絶対人気者だっただろうし周りからちやほやされ慣れてると思ってた。実際いろんなひとから褒められてるの見たことあるけど…仕事で褒められるのとは、また違うのかな。
「歌歩さんの手料理は俺が全部いただくっス。他の誰にも褒めさせないっスよ」
「プライベートでは、南雲くん以外には絶対作らない」
差し入れは仕方ないにしても、こういう家庭的な料理は絶対に俺以外に振る舞わないでほしい。そう思っていたら歌歩さんも同じことを思ってくれてた。嬉しい。歌歩さんの手料理を独り占めできることも、同じことを考えていたということも。
「ご馳走さまでした!…えっと、お弁当箱は、洗ってお返しするっスよ」
「あ、ううん。大丈夫。持ち帰るよ」
「それくらい、させてください。美味しいお弁当のお礼……なんて、これくらいじゃ足りないでしょうけど。気持ちだけでも、ちゃんと返したいっス」
「…お礼?」
「はい!」
「じゃあ、余計に渡せない」
「なんでっスか」
「だって、これがないと、明日も作れない…」
「……明日?」
ピンと来ない、といった様子の俺に、歌歩さんはほんのり赤い顔で首を縦に振る。
「南雲くんがお礼したいって思ってくれてるなら…明日も、食べてほしいな…」
「も、勿論っス!!」
一緒にお昼どころか、歌歩さんの手作りお弁当を食べられる。本能でそう理解した俺はソッコーで返事した。明日も歌歩さんの手作りお弁当もらえるなんて………これだけでも贅沢だろうけど…もしかしたら、少しくらいは希望を伝えても、我儘を言っても許されるのだろうか。
「あ、あの!」
「なあに?」
「もし迷惑じゃなければ、全体的にもう少し量増やしてほしいっス!それと…卵焼き、明日もお願いします!今日くらいの甘さで!」
俺のリクエストという名の我儘に、歌歩さんは嬉しそうに笑って頷いてくれた。あー…やっぱり、幸せだ。俺は世界でいちばんの幸せ者だって本気で思うくらいには、幸せを感じている。
昨日までとは、なにもかもが全然違う。お昼を一緒に食べるだけじゃなく、お弁当まで作ってもらえるなんて。それに、ごく自然に傍に居られる。傍に居てもらえる。恋人関係というのがどれほど特別なのか、一日でこれでもかと痛感した。…あ、そうだ。後で大将に明日はお弁当要りませんって連絡しなきゃな。
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