巡る季節を何度でも





歌歩さんに出逢ったのは、春の終わり頃。生まれてはじめての一目惚れ。それと同時に、このひとより素敵なひとには一生逢えないと、これが俺の、人生最後の恋になると確信を得た。とにかく逢いたくて、話がしたくて、いろいろ小狡いことを企てては毎日逢いに行った。

夏は長期の休みで全然逢えなかったけど、大きな思い出がひとつ。ちょっとの時間だけど、夜のお祭りを一緒に歩いた。私服の歌歩さんの隣に並んで、お好み焼きとクレープを一緒に食べて、金魚すくいを一緒に楽しんだ。過ごした時間はたとえ短くても、あのときのことは一生忘れられない。死ぬなら今がいい、と本気で思ったほどだった。

二学期が始まってからは、本当にいろんなことがあった。歌歩さんのお箏のコンクール直前、メッセージはおろか電話でのやり取り、更には応援までさせてもらった。本番後には公園で話を聞いた。今思えば、あれが、はじめて見た歌歩さんの涙。そして、はじめて歌歩さんに直接さわった瞬間だった。心臓が今にも破裂するんじゃないかと思うくらい激しい動悸がしていた。

そんな出来事があったからこそ、それから自分でもわかるくらい歌歩さんと仲良くなれていった。たくさん話して、たくさん同じ時間を過ごして、俺と歌歩さんだけの秘密が幾つもできた。そんななか、浮かれ気分の俺に罰を下すかのように、歌歩さんに告白した男が出現するという大事件も起きたっけ。

どうすればいいのか糸口も掴めず、かといって歌歩さんに「好きです」と言う勇気も出ないまま時間だけが過ぎていって。いつしか本格的に秋が始まろうとしていた頃。その瞬間は突然に訪れた。本当に自分でも予想外のタイミングで、ただただ衝動的に、歌歩さんに想いを告げた。今思い出しても最悪のタイミング、最悪の状況だった。それなのに歌歩さんは全部受け止めてくれて、しかも「喜んで」とまで言ってくれた。自分でも信じられなくて、でも死ぬほど嬉しくて。

その翌日、お弁当を作ってもらった。ハロウィンパーティーのときは本番前に少しだけふたりで抜け出したりもした。歌歩さんとお付き合いを始めてからは、毎日がずっと楽しくなった。今までと違って、歌歩さんと逢えない土日は恨めしくなった。そんな恨めしい休日も、電話一本もらえればそれだけで舞い上がった。歌歩さんに出逢ってから、景色が本当に変わった。毎日があっという間に過ぎていった。

そして…季節は、冬を迎えようとしている。







放課後。学年の行事が終わったあと、今日は一緒に帰る約束をしている。厳密に言えば、今日も、だ。最初は時間が合えばという話だったのに、今はほぼ毎日一緒に帰っている。どちらかが仕事で校内に居ない場合を除いて、帰りは一緒というのがいつのまにか俺たちのあいだでの共通認識になった。俺はもともと歌歩さん最優先だったけど、歌歩さんにとっても俺が最優先になったとしたら、本当に嬉しい。

やっと二年A組の教室に到着。そっと中の様子を伺ってみると、なにか作業中の歌歩さんの姿を発見。恐らく集中しているだろうから、まずは驚かせないようノックをする。「はい」という柔らかい返答を確認して、ドアを開けた。


「歌歩さん」

「あ、南雲くん!」


作業の手を一旦止めるだけじゃなく、嬉しそうに手を振ってまで迎えてくれた。ああもう、本っ当に、可愛い。幾つもの机を吹っ飛ばして最短距離で向かいたいが、ここは先輩方の教室だ。仕方なく通路を通って、歌歩さんの前の席を拝借。


「お疲れさま」

「うっス!お待たせしました!……それ、なんスか?」

「この間のライブの報告書」

「もう提出なんスか?」

「一応まだ期限あるけど、早めに終わらせないと後で絶対慌てる」

「あー……俺も、夏休みの宿題とか後回しにして慌てるタイプっス」

「わかるわかる。面倒なのって、つい後回しにしちゃうよね。……まだもう少しかかりそうだから、もし用事あるなら先に帰ってもいいよ?」

「歌歩さん置いて帰るって選択肢、俺には無いんスけど」

「…そ、そう?じゃあ…がんばる」


下を向いて報告書と格闘をはじめた歌歩さん。今のは、照れ隠し、かな。だんだん、歌歩さんのリアクションで、どんな気持ちなのかがわかるようになってきた。成長したなあ、俺。……それにしても、こんなに至近距離で堂々と観察できる日が来るとは。歌歩さん、集中してるとこんな顔するんだ。真剣な顔は、きりっとしてるけどやっぱり可愛い。つーか睫毛長いな。そのまま暫く見とれていると、ふと顔を上げた歌歩さんと、ぱちり、と目が合った。心臓止まるかと思った。こういうのを、本当の不意打ちっていうのだろう。


「ごめんね。退屈してない?」

「全然。問題ないっスよ」

「そっか。…片手間になっちゃうけど、話す?」

「じゃあ、歌歩さんに差し支えない程度にお願いするっス」


作業に集中してほしいと思うのに、甘えてばかりじゃいけないって思うのに。俺のことを気遣ってくれたことが、構ってもらえることが嬉しくて。我儘だと自覚はしている。一応。


「流星隊さん、明日からまたレッスン漬けだね」

「うっス。明日は俺たちのところ来てくれるんスよね」

「うん。必ず行くよ」


あれから歌歩さんは、ずっと流星隊を最優先に担当してくれる。そうなるきっかけは俺の小さな独占欲だった。そんなものが始まりだったのに、今でも俺たちをいちばんに考えてくれる。負担になっていないといいのだけれど…と思ったが「ここだけの話だよ。流星隊さんのレッスンが、いちばん楽しみ」と言った歌歩さんの顔が嘘を言っているようには到底見えなくて。俺も、歌歩さんが来てくれることが楽しみで仕方ない。


「歌歩さん」

「はい」

「ひとつ訊いてもいいっスか」

「なんでもどうぞ」

「どうして最初は演劇科に入ってたんスか?」


何気なく、そして地味に気になってたことだった。一度はどうして演劇の道に進もうと思ったのか。そして、どういった経緯でプロデュース科に来たのか。歌歩さんがプロデュース科に来てくれたからこそ、俺は歌歩さんに出逢えたわけだし。具体的に、知りたくなった。


「びっくりするほど大した理由じゃないけど、いい?」

「もちろんっス」

「お箏やめて、これからなにしようかって悩んでたときにね、叔母さんとミュージカルを観に行ったのがきっかけ」

「へえ、ミュージカルっスね!なにを観たんスか?」

「王道中の超王道。ロミオとジュリエット」

「それなら知ってるっス!俺でもタイトル聞いたことあるっスよ」

「だよね。ぶっちゃけ最初はただの付き添いだったんだけど、見事にやられたね。舞台も俳優さんも女優さんも、なにもかもが輝いて見えた。いいなあって、理由もなしに思った。…っていう結構勢い任せ」


確かに勢い任せでちょっと意外だった。しっかりしてそうな歌歩さんが、そんなノープランともとれる動機で入学してたなんて。


「それで近場の夢ノ咲の演劇科に入学したんだ。いろいろ勉強しているうちに、台詞の言い回しや舞台の演出の方にまで興味持っちゃってさ。勉強っていう名目でいろんな舞台のお手伝いしてたら、演じることより演出することのほうが面白く思えて。舞台の世界の一員になるより、舞台の世界観を自分で造る方が楽しくなっちゃったんだ」

「根っからのプロデューサー向きな性格っスね」

「だったみたいね。演劇科ではそういう裏方のお仕事は限られてきちゃうから、演劇部の方にお手伝いを申し出てた。あるとき日々樹先輩に思いきってこのことを相談したら、新設されたばかりのプロデュース科の話をしてくれて。本気で取り組めるのなら人手も足りないようだし推薦するって言ってくれた」

「そんなこと言われてたんスか!……俺なんかと一緒にいて、怒られないっスか…?」

「全然。あのひと、愛には物凄く寛容だから。寧ろ喜んでくれた」

「なら、よかったっス…」

「うん。そういう話は一切したことなかったから、めちゃくちゃ驚かれた。でも驚きも大好きなひとだから、ちゃんとお祝いしてくれた」


日々樹先輩のことはまだよくわからないが…取り敢えず歌歩さんが悪く言われてないなら、よかった。そうならないのは、日頃の歌歩さんのがんばりや努力が伝わっているからなんだろう。…なんか、ちょっと妬けるな。歌歩さんのことは、俺だけがわかっていればいい。そうもいかないのは理解しているが、嫉妬だけは、どうしようもない。


「ね。わたしからも、ひとついいかな」

「なんでもこいっス」

「……………やっぱなんでもない!」

「え、なんスか!めっちゃ気になる!」

「いい!恥ずかしい!無理!」


机に突っ伏して絶対に顔を見せようとしない。そして頑なに言おうとしない。それに「恥ずかしい」って、どういうことなの。…とはいえ一瞬言いかけたんだから、ちょっとでも言いたいと思ったことなんだろう。


「歌歩さん。思ったことは、なんでも言ってほしいっス。俺、なんだって聞くっスよ?」


言いたいことは我慢しないでほしい。どんなことでもいいから話してほしい。歌歩さんの話なら、どんな内容でもちゃんと聞くから。絶対に笑ったりしないから。だから、なんでも言ってよ。誰にも言えないようなことを、包み隠さず全部俺には言って。思っていること全部聞かせて。


「………………鉄虎くん」

「うっス。…………………ん?」


呼ばれたのはいいが違和感を覚える。なんだろ、なんか違う。なにがと言われるとよくわからないんだけど…なんだ?


「だから、えっと、その………これから、ふたりだけのときは、鉄虎くんって、呼んでもいい…?」


そこまで言われて違和感の正体にようやく気付いた。そして予想より遥かに可愛い問いかけにぶったまげた。いいか悪いかで言ったら、そんなのいいに決まってる。是非ともそうしてほしいと、勢い良く頷いた。


「あ!わたしだけじゃ不公平だよね!南雲くんも、好きに呼んでいいよ!」

「……南雲くん…?」

「あ、いや、その……鉄虎くん」


自分からけしかけたくせに、いざ鉄虎って呼ばれるとむちゃくちゃ照れる。でも…すげえ幸せな気分になることは確かだ。


「えっと…それで、好きに呼んでいい、と言いますと?」

「誰も居ないとこなら、歌歩で構わないよ」

「え!いや、それは…!」

「…嫌なら嫌で、いいんだよ?」

「滅相もない!」


呼び捨ては流石にいきなりハードル高すぎる。それに俺は先輩としても、人間としても歌歩さんを尊敬してる。でも歌歩さんからそんなこと言ってくれて嬉しい。だからこそ葛藤していると素直に伝えた。この言い分には納得してもらえたようで、取り敢えず誤解は解けた。

しかし本当にどうしようか。他でもない歌歩さんがそう言ってくれてるんだし、今よりもっと仲良くなるチャンスだ。しかも歌歩さんから言い出してくれたわけだし。ちょうどいい、折衷案みたいな…………あ、そうだ。


「じゃ、じゃあ……あいだ取って…歌歩ちゃん…」

「…うんっ」


自分から提案してみたくせに、すげえ恥ずかしくなった。一回名前を呼んだだけなのに。でも歌歩さんが嬉しそうに頷いてくれるから、それだけで俺も嬉しくなる。単純思考に拍車がかかってるな、ほんと。


「鉄虎くん」

「歌歩ちゃん」

「…ふふ。なんか照れるね」

「…そっスね」


歌歩さん、もとい歌歩ちゃんと同じタイミングで顔を見合わせて笑った。先輩や同級生はともかく、一年生で歌歩ちゃんと呼ばせてもらえるのは俺だけだろう。ましてや、歌歩ちゃんにあんな優しい声で名前を呼んでもらえるのも……学校中どころか世界中で俺だけだろう。贅沢すぎる特権。


「…よし。そろそろ帰ろうか」

「報告書、大丈夫っスか?」

「うん。あとは写すだけだし、どうにでもなる」


書類を鞄にしまって立ち上がった歌歩ちゃんに合わせて俺も立ち上がる。廊下に出ると予想外の温度差に身体が震えた。ああ、そうだ、もう冬なんだな。


「…最近、寒くなってきたね」


昇降口を出てマフラーを巻いた歌歩ちゃんの手は、若干赤くなっている。冷えてるんだろうなっていうのが、見ただけでわかる。吐く息が真っ白だし、温度差がこれだけあるんだよな。


「あ、あのっ」

「うん」

「お、俺…っ、け、結構、体温高めなんスけど!」

「う、うん。そ、そうなんだ…?」

「だ、だから…っ」


半ば勢い任せに、手を差し出す。暫く歌歩ちゃんは俺の手と顔を交互に見ていたけれど、この意味がわかったらしく、一気に顔を赤くさせた。ちょっと待って、今は照れないで。俺だって恥ずかしいけど、同じくらい勇気出したんだから。


「…わたし今、かなり手冷たいよ?大丈夫?」

「ばっちこいっス!」

「……じゃあ、失礼します」

「ど、どうぞ!」


手が重なった瞬間、ひやっとした。歌歩ちゃんの手が冷たい、というよりは、たぶん、俺の手が尋常じゃなく熱を帯びているのだろう。ただ手を繋ぐだけで、こんなに緊張するなんて。俺にもこんな純粋さがまだ残っていたんだな。


「…あったかいね、鉄虎くん」

「そ、そっスか…?」

「うん。…これならきっと、すぐあったまる」

「お、俺の体温でよければ、幾らでも分けてあげるっス!」

「ありがと。じゃあ、その代わり夏場は任せて。わたし結構低体温だから、余分な熱は吸い取ってあげる」


何気ないやりとりだったけど、どうしようもなく嬉しくなった。だって既に歌歩ちゃんのなかでは、次の夏も俺と一緒にいてくれるつもりというのがわかってしまったから。きっと当の本人は無意識なんだろうけど、だからこそ嬉しかった。それだけ歌歩ちゃんにとっては、それが普通で、当たり前のことなのかもしれない。この上なく嬉しい。そう思ってくれることが。

無論、俺だってそのつもりだ。次の夏どころか、秋も冬も春も、幾重の月日が経っても、いつまでも一緒に居たい。誰よりも、歌歩ちゃんの傍に居たい。


「歌歩ちゃん」

「はい」

「俺と…ずっと一緒に、居てほしいっス。ずっと一緒に、居たいっス」

「…こちらこそ。末永くよろしくお願いします。鉄虎くん」


この手を、ずっと離さない。離したくない。どれだけの季節が過ぎようとも、ずっと傍に居たい。季節が移り変わっていく日々を、歌歩ちゃんと一緒に過ごしていきたい。約束するよ。この先どんなことがあっても、俺は歌歩ちゃんの傍に居る。そんな意志を込めて手を握ったら、優しく、でも確かに歌歩ちゃんも握り返してくれた。これを俺の覚悟に対する歌歩ちゃんの返事だと解釈するのは、さすがに妄想が過ぎるかな。……妄想で終わらせないように努力すればいいだけの話だ。努力するのは、得意だ。

ますます上がり続ける体温と一緒に、繋いだ手から、どうか伝わってと願う。抱えきれないほどの、ありったけの「大好き」を。




.
【back】