どうか届きますように
「姉御!」
長かったけど充実した夏休みも終わって、二学期が始まった。一学期と同じように、また授業や放課後のレッスンや部活で日々を過ごしていく。そして、俺の二年A組への訪問も再開された。今日は一限目が体育だったから二限の授業が終わってからのお伺い。教室に行く前に廊下で姉御の姿を発見、迷わず声をかけた。
「押忍!おはようございまーっス!」
「おはよう。えっと…早速で悪いんだけど、歌歩ちゃん今日休みなの」
「………え」
突然のことに絶句。お休み。歌歩さんがお休み。つまり今日は一日、逢えない。…いやいやいや、そんなことより。
「あの、どこか具合悪いんスか?怪我とか、なにかおっきい病気とかじゃ、ないっスよね?大丈夫なんスか!?」
歌歩さんに、なにかあったらどうしよう。焦る俺の怒濤の質問ラッシュをよそに、姉御は堪えられないといった様子で吹き出した。
「あ、姉御?俺、なんかおかしなことしました?」
「ごめんごめん。だって今、この世の終わりみたいな顔してた…ふふっ」
「笑い事じゃないっスよ!…あ、でも、笑ってるってことは、病気とかじゃ、ない…?」
俺の言葉に、姉御は穏やかな顔で頷いた。そっか、病気とかではないんだ。なら、安心。歌歩さんに大事があったわけじゃなくてよかった。本当によかった。
「今日はコンクールに出るからお休みなんだって」
「コンクール?歌歩さん、練習してるそぶり全くなかったっスよ…?」
「なんか、話によるとお箏のコンクールだって。欠席扱いにしてくれて構わないから出させてくれって、歌歩ちゃんが珍しく我儘通してた」
「そ、そうなんスか…」
気付かなかった。そんなこと、全然知らなかった。いや別に、俺に言う義務はないし、俺にだって根掘り葉掘り訊ける権利はない。ただ…改めて、俺って歌歩さんのこと、知らないことばかりだなって突きつけられた。
姉御によると、朝無事に会場に着いたと連絡は来たとのことだけど、出番はいつなのか、会場がどこなのか、姉御もそれ以上のことはわからないみたいだ。わかっているのは、歌歩さんが我儘を通してまで出場を志願することがどれだけ珍しいか、くらいだ。…それだけ強い意志を持っていたのだろう。並々ならぬ覚悟があったのだろう。
「……で、連絡しようか迷っている、と?」
翠くんの問いに、こくん、と頷いた。歌歩さんの電話番号は、プロデューサーとアイドルという関係なので割と最初の方にあっさりゲットできている。しかし、今まで一度も電話はおろか個人的なメッセージを送ったことはない。
そんな俺のまごついた態度に呆れているのか、翠くんは割と大きな溜め息をついた。「相変わらずだね」って…やっぱり呆れてる。
「ていうか、なんのコンクール?」
「お箏」
「あれ、歌歩さんって演劇科出身じゃなかったっけ」
「そうっスよ。詳しくは解らないけど、訳ありっぽいかんじっスね。…俺、全然気付かなくて。きっと、陰で相当練習してたと思うんス。それなのに本番前に俺と連絡取って集中力切らすようなことになったら…!」
…なんて、良い子ぶったことを言ってるけど本音は違う。本当は一言だけでもいいから激励したい。きっと大丈夫、歌歩さんなら大丈夫だと伝えたい。だけどコンクール当日に、大事な本番前にそんなことしていいのか。迷惑にならないか。そもそも俺からの応援もらったって歌歩さんへの励ましになるかなんてわからない。そんな弱気な考えばかりが頭を掠める。
「まあ…電話するよりはハードル低いんじゃないの。メッセージ、送るだけ送ってみたら?あとは歌歩さんが見るか見ないかだろうし」
「いやいやいやいやいや!そんな軽くできるもんじゃないっス!翠くんにはわからないっスよこの緊張感!」
「俺、わかっていいの?」
「よくない!ごめん!」
…翠くんの肩が小刻みに震えてる。こんにゃろ、笑ってるな。なんだか今日はよく笑われる。俺そんなおかしいかな。支離滅裂なこと言ってる自覚はあるけどさ。
「…でも、一理あるっスよね。送るだけ送ってみるってのも…」
「俺は、そう思うけど」
「あとは、歌歩さんが見るか見ないか…うん、そうっスね。…よし!」
ここまで来るのに随分時間が掛かったが、意を決してメッセージ画面を開く。『あんずの姉御から聞きました。今日コンクールなんですね!がんばってください!』…これで大丈夫かな。当たり障りないかな。迷惑にならないかな。翠くんにも確認してもらい、震える指でようやく送信を押す。ああ、どうしよう。見てほしいような、見てほしくないような。もう送ってしまったんだから取り消しはできないのに。…ん、スマホがなんか反応してる……?
「うわわっ!」
「ちょっと、なに?」
「返事!きた!」
想像していたより遥かに早かった返事。『ありがとう!がんばる!でもさっきから緊張しっぱなしで手が震えてるよー!』という文章に、泣いている顔文字。返事をもらえたこと、俺のメッセージが届いたことが嬉しくて。
「鉄虎くん。顔、にやけてる」
「だって、ちゃんと、見てもらえた…!」
「はいはい。よかったね」
「うん!翠くんのおかげっス!」
「…で、返事しないの?」
「する!」
えっと、えーっと、なに話そうかな。やっぱり当たり障りないことかな。とりあえずなにか送らなきゃ。ああもうなんでもいいや!悩んでる時間すら惜しい!手動かせ、手!
『俺もステージ前とか空手の大会前とか、よく緊張してます』
『ほんと?みんな同じなんだね…安心。そういえば南雲くん授業は?』
『先生が急遽出張で自習なんです』
『いいなー。自習ってほとんど自由時間だよね』
ショートメールならではの短い会話。でも、たったこれだけのやり取りで嬉しくなる。俺、またきっと緩んだ顔してるんだろうな。まあ翠くんしか見てないし、誰に見られたって別に良いんだけど。…返事、まだかな。楽しすぎて返事を待っている時間が長く感じる。そういえばなんかの歌にあったっけ、メールして返事を待つのは恋してる証拠とかなんとか。あの頃はなんじゃそりゃって思ったけど、当事者になると強ち間違いじゃないんだなあなんて感心したり。そわそわしながら次に更新された画面を見て、心臓が破裂しそうになった。
「みみみみみみ翠くん!」
「今度はなに…」
「これ!」
翠くんに見せた歌歩さんとのやり取り。今しがた送られてきたのは『南雲くんさえ良かったら、もう少し話し相手になってくれる?緊張和らぎそう』という言葉。だってこれ、迷惑になるどころか、手助けできてるってことだよね!
「どうしよう俺死んじゃう…」
「じゃあ俺が代わりに話し相手しちゃうよ」
「だめ!幾ら翠くんでもそれだけは絶対だめっス!」
「なら頑張って。ほら、歌歩さん待ってるんじゃない?」
「あ、そ、そうっスね…!」
今の時間、自習でほんとによかった。急いで歌歩さんに『俺で良ければ喜んで!』と送る。まさかこんな大役が俺に回ってくるなんて。歌歩さんも待っててくれたみたいですぐに『ありがとう』と返してくれた。
『そういえば歌歩さん、お時間は大丈夫ですか?』
『最後から三番目だから、まだまだ。生き地獄感すごくてロビーに逃げてきたとこなの。お昼食べられる気がしない…』
『そうっスよね。でもなにかしら食べたほうがいいと思います』
『だよねー…おなか空かないけど、適当に突っ込んでおく。喉通る気しないけど』
『ゼリーとかどうでしょう?あれなら多分、するっと入ると思うっスよ』
『ゼリーか!いいね!決まり!今から行ってくる!』
…本当に当たり障りのない会話だなあ。もっと話すことあるだろうと思うけど、なかなかうまく文章に、言葉にできない。最近は歌歩さんの顔を見ながらでも随分まともに話せるようになったと思ってたけど、まだまだだったなって痛感。でも歌歩さんとのやり取り自体はすごく楽しくて、気付いたらチャイムが鳴るくらい時間が過ぎていた。
適当にこなしていたプリントを適当に片付けて、ふとスマホを見た瞬間。今日一番の衝撃が全身に走った。ディスプレイに浮かんでいるのは着信の二文字と、歌歩さんの名前。ちょっと、待って、うそ、どうしよ。パニック全開だけど出ないという選択肢は俺になくて、咄嗟に非常階段に飛び出した。誰も居ないことを確認して通話をタップ。待たせちゃったけど、どうか繋がって。
「はい!もしもし!」
「…南雲くん?」
電話口の向こうから遠慮がちに名前を呼ばれた。夢じゃない。歌歩さんだ。ああ、今日はいろいろ信じられないことばかりだ。
「えっと…ごめんね、急に。大丈夫だった?」
「全然問題ないっスよ!」
「…そっか。授業、終わった頃かなあって思って」
「そうっス!さっき、終わったとこです」
「よかった。わたしは今ちょうどゼリー買ったとこ」
歌歩さんの声の後ろで有名なコンビニの音が聞こえる。多分、歌歩さんの言ってることは本当のことだ。俺のアドバイスが歌歩さんの為になったってことかな。
「一応、三種類買ってきた!マスカットと、グレープと、ピーチ。どれにしようか悩んじゃってさ、全部買っちゃった。南雲くんなら、どれにする?」
「んー…俺なら、マスカットですかね」
「マスカットね、わかった!いちばんさっぱりしてていいよね」
ショートメールと大差ない、当たり障りのない会話。やっぱりもっと他に話すことあるだろ。それこそ、コンクールがんばってとか。直接伝えるチャンスなんだから。意を決して口を開こうとした瞬間、歌歩さんに先手を打たれた。でも、なんだろう。「…南雲くん」と随分弱い声で呼ばれた。
「はい。どうしたっスか?」
「いきなり電話して、ごめんなさい。迷惑だったよね」
「え、そ、そんなの、全然!迷惑だったらそもそも出ないっスから!」
「でも、さっきまで、自習といえど授業の時間、半分以上わたしに使わせちゃったし。そのうえこんな電話までしちゃってさ。厚かましいなって、自分でも思う」
「俺は全然、そんなこと思ってないです。寧ろ厚かましいのは俺っスよ。メッセージでも電話でも、話し相手に選んでもらえて、俺なんかでも、歌歩さんのお手伝いできてるみたいで……」
どんな形でも、関わることが許されるのが嬉しい。特に今日は大事な本番前で、本来なら集中していたいはずだ。それなのに俺のメッセージに反応して、返事どころかこうして話させてもらえて。贅沢もいいところ。
「あのね、南雲くん」
「はい」
「…厚かましいついでに、もうひとつお願いしていい?」
「俺に出来ることなら、なんでも!」
「えっとね。…改めて、応援してほしいな」
お願いできる?と遠慮がちに続けた歌歩さん。改めての応援って…俺の解釈と歌歩さんの希望は同じかな。だとしたら…いいの?俺で、本当にいいの?そんな大事なこと、俺が任されていいの?いろいろ思うところはあったけど、少しでも歌歩さんの力になれるなら。
「…がんばってください。歌歩さんなら、絶対大丈夫です」
絶対大丈夫。根拠はないけど、いちばん伝えたいと思った。歌歩さんは普段から陰で俺たちを支えてくれてる。だから今回も、俺たちから見えないところでずっと努力していたに違いない。そんな歌歩さんの努力が、どうか報われますように。そんな願いを込めて言葉にした。
「…うん。ありがとう」
その声色が、電話越しでも優しくて。歌歩さんが今どんな表情でいるのか、不思議とわかった気がした。きっと…穏やかで優しい、俺が大好きな顔してるんだろう。
「南雲くんと話したら、だいぶ落ち着いた。ほんとにありがと」
「あ、いえ。俺なんかで役に立てたなら、光栄っス!」
「わたし、がんばるから。結果でたらすぐ連絡する」
「はい!お待ちしてます」
「じゃあ、そろそろ戻るね。行ってきます」
「…いってらっしゃい!」
電話を切って、思わずその場にしゃがみこんだ。なんだか息苦しく感じて胸の辺りを押さえつける。呼吸がままならない。心臓がうるさい。動悸がおさまらない。だって、いってらっしゃいなんて、そんな特別な言葉使わせてもらえる日が来るなんて、送り出すことができるなんて思ってもみなかった。
ああ、まだ顔が熱い。そりゃそうだ、相当緊張した。電話はさすがに想定外だった。歌歩さんに俺の緊張移ってなきゃいいけど。…いや、これが歌歩さんの緊張で、俺に移ったんならいい。歌歩さんはだいぶ落ち着いたって言ってたけど…大丈夫かな。いや、大丈夫だ。歌歩さんなら、絶対大丈夫。俺がそう言ったんだ、俺が信じなくてどうする。
「歌歩さん。がんばれ」
物理的には誰にも届かない、ただの独り言。でも本当に心の底から応援してる。どんな理由でコンクールに出たのかはわからないけど、歌歩さんの決断を尊重したい。俺は、俺だけはいつだって歌歩さんの味方だ。だからどうか、このエール、歌歩さんに届け。
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