あの頃が嘘のように、穏やかな日々。
猫がここにいる事以外、夢だったようにも感じる。
「アリス、どうした?」
「うん……?なんでもないよ?」
首だけになったチェシャ猫……(ただ、普通の人には灰色の猫に見えるみたい)が、私の膝の上でそう聞いた。
「……買い物、行こうかな。」
私は、その猫をリュックに詰めると町へ歩き出した。
「すごい高いよね〜……、」
ショウウィンドウの中の商品を眺めながら、ぼんやり眺めた。
「こういうのが好きなの。」
リュックの中の猫が尋ねて来た。
喋らないように、軽くリュックを叩いた。
「そういうわけじゃないけどー、」
「アリスはなんでも似合うよ。」
「はいはい。」
そんな会話をしていたとき、不意に耳鳴りのような感覚を覚えた。
次の瞬間――
―シャァッ!―
猫が何かに威嚇した。
こんな時は…危ない。
咄嗟に私は、体を伏せた。嫌な空気が、背後の空気を切っていく。
「な……何!?」
「逃げないと、アリス。」
悠長な事を言っている猫に言われ、ふらふらと立ち上がる。
……ショウウィンドウの中に、異形がいた。
「な……に、あれ……?」
「アリス、早く……。」
後ずさる私を、異形は見逃さなかった。
再び、なにかを伸ばして来た。
「イヤァァァァァァッ!」
動けずにうずくまってしまった。
……しかし、何かはやってこない。
目を、ゆっくりと開く。
……誰かが、ショウウィンドウの中に立っていた。
「ぇ……ぁ……?」
呆然としていると、中の誰かは手だけで早く逃げるようにと言っているようだった。
「ぁ……ありがと……っ!」
私はそれしか言えず、リュックを抱き抱えると脇目も振らずに走り出した。
怖い……。
何があったのか、解らない……。
走り疲れ、冷たいベンチに座り込んだ。
喉が渇いている、息もすごく上がっていた。
「何なの……あれ……っ!」
「さぁ?」
チェシャ猫は惚けたような返事をした。
リュックを開け、チェシャ猫を取り出すと、私は抱きしめた。
「苦しいよ。」
「……誰が助けてくれたの……?」
息を調え、そう呟いた。
助けてくれたのは……赤い……。
「……赤い……あれは……なに?」
赤い、大人くらいの大きさの……誰か。
誰だったのか、そして人だったのか……。
「……もう、大丈夫……かな。」
「……見に行きたいの?」
「……うん……。」
チェシャ猫をリュックに戻し、私は再び背負った。
そして、元来た道を戻っていった。
……さっきの場所は、人通りが少ない。キョロキョロと辺りを見回す。
「ぁっ……君!」
「??」
いきなり声をかけられ、私は振り向いた。
肩までの長さの茶髪の男性が、息を切らして走って来ていた。
「ぁ……ぇ、と……?」
「大丈夫だった!?」
息を切らしながら、その人はそう尋ねて来た。
……一瞬、状況が読み込めなかったが、さっきの事を聞かれているのだと気付き、私は小さく頷いた。
「は、はい……何とか。」
「よかった〜……。」
まるで自分の事のように、その人は胸を撫で下ろした。
……さっきのは、この人だったのかな……。
「……あなたが助けてくれたんですか?」
「ぇ!?……あ、それ、は……、」
困ったように目を泳がすのを見て、確信した。
「(嘘つけない人なんだな……。)ありがとうございました。」
「ぇ!?えっと……ま、まぁ……、」
ごまかしてるみたいだけど、何となくわかっていた。
……とりあえず、悪い人ではないみたいだ。
「……えっと…私、葛木亜莉子って言います……あなたは……?」
「え?あ、俺は……城戸真司……、」
すると、遠くから誰かが真司さんを呼ぶ声が聞こえた。
慌てたように、真司さんが振り向いた。
「ぁ、い、行かないと……!ぁ、また何かあんな事とかあったら、此処に来て!」
そう言って、真司さんは私にくしゃくしゃになった紙を握らせると慌ただしく走っていった。
「……変な人。」
そう呟いた私は、先ほど渡された紙を開いてみた。
……どうやら、どこかの住所のようだ。
「ん……花……鶏……?……なんて読むの……?」
「アトリだよ、」
「!?……な、なんだ……チェシャ猫か……。花鶏っていうんだ……てか、何でチェシャ猫が知ってるの?」
「アリスに必要なもののことは、全部知ってるよ・」
「私に必要……?どういう意味?」
その問いかけに、猫は答えなかった。
そのかわりに、別な事を話始めた。
「早く帰った方がいいよ、アリス。」
「……?なんで?まだアレ、いるの?」
「……今はいないよ、でもアリスがいればまた来るよ。」
「は!?なんで!?」
「アリスはどこにいてもアリスだからさ。」
「そんなのやだよー!あの世界だけでもアリスは大変だったのに、何で此処でまたアリスなの!?」
あの、不思議の世界の中で私はアリスだった。
あの世界を作ったのは、私だったから……。
でも、あんな怖いのが出て来る世界、私作ってない!何で、アレが私に関連してくるのよ!
「アリスがアリスだからさ。」
「理由になってないでしょ!!」
「とにかく帰ろうよ。」
「もー……。」
また教われるのは嫌だから、とりあえず私は帰ることにした。
……花鶏の住所の紙をにぎりしめて。
「チェシャ猫?」
夢の中で、猫は私の前を、完全な姿で歩いていた。
……体が、ついてる。
「アリス、君が昼間見たのはね……ミラーワールドのミラーモンスターと呼ばれる化け物だよ。」
「ミラー……モンスター……?」
そう、と頷きながら猫は歩みを進める。
私は、それに遅れないようにと追い掛ける。
夢の中で、私の足取りは重いような軽いような……。
「ご覧。」
「??」
見慣れた町並みが広がる……が、何かが違う……強烈な違和感に、私は吐き気がした。
何が違うのか、目を凝らす。
「……鏡写し?」
「そう、全てが鏡写し……反対になってるんだ」
……確かに……全てが逆だ。
……鏡の中のように。
「此処がミラーワールド……、」
鏡の中の世界……ということなのだろうか。
人は……見当たらない。
……初めて猫と出会ったときのように、車はあるが誰も乗っていない……そんな状態だった。
「此処では戦いが行われてる。」
「戦い……?ミラーモンスターとの?」
「それもあるけど……大部分は……、」
そういった途端、向こうで爆音が聞こえて、振り返る。
……あの時、助けてくれた赤い何かに似た誰か二人が、争っているのが目に入った。
「……え?」
「彼等はね、仮面ライダーっていうんだ。」
「ライダー?」
「そう……彼等はね、ミラーモンスターも倒すけど、他のライダーも倒すよ。」
「え……?……な、なんで!?」
頭が混乱して来た。
モンスターも倒すけど、他の人も倒す?なんで?
「理由はね、簡単だよ……倒してね、最後の一人になれば……、」
「……なれば?」
「願いが叶うのさ。」
……願いが叶う?……命を賭けてまで、叶えたい夢……って、何……?
「アリスには無いのかい?」
「……?願い事のこと?」
そう、と頷いた猫は私に振り向く。
あのニヤニヤ顔のまま…。
「オトウサンやオカアサンを……取り戻せるかもしれないよ?」
「っ……!」
……お父さんと……お母さんを……取り戻す?……願いを叶えて?
「で、でもチェシャ猫……私、そのライダーってのにはなれないし……、」
「なれるよ。」
「……はい?」
きょとんとしていると、猫はまた歩き出した。
私は遅れないように、猫を追い掛ける。
……真っ暗な、何も見えない空間に、私たちは立っていた。
「……此処、ドコ?」
「……僕らが君に力を貸す場所さ。」
猫に手招きされ、近づくと小さな椅子が置いてあった。
猫はそれを指差している……どうやら、座れと言う意味のようだ。
私はその、背もたれもない小さな椅子に腰を下ろした。
「……アリスはオカアサンやオトウサンを取り戻したい?」
「……。」
私は力無く頷いた。
私のせいで死んでしまった、お父さんとお母さん……取り戻せるものなら、取り戻したい……私の大事な家族。
「でも、そのためには戦わなきゃならない……アリスは優しいからね……出来る……?」
「……分かんない……。」
願いを叶えたい。
でも……私に誰かを蹴落とせるような勇気があるんだろうか……?……何にも、わからないよ。
「……どんな事があっても、僕はアリスを守る……アリスが願いを叶えるために頑張るというのなら……力を貸そう。」
「チェシャ猫……、」
猫が、前を向いた。
大きな姿見の鏡が現れていた。
猫の手招きを受け、私は立ち上がる。
鏡の中に、私が……写る。
……誰かが、背後に立っていた。
振り向くが、誰もいない。鏡の中だけに居るようだ。
「……誰なの?」
「シロウサギだよ。」
「……えっ!?」
目を凝らす。
……確かにそれは、消えていったはずのシロウサギだった。
……ただ、消えたときのように血に塗れた姿ではなく、真っ白な毛がふさふさとしていた。
「何で……シロウサギが?」
「ライダーになるには、ミラーモンスターと契約しないといけないんだ。」
猫は私に、白いカードを差し出した。
不思議そうに私がそれを見つめていると、猫は話を続けた。
「……シロウサギはアリスのために、アリスの契約モンスターになるのを決めた……。」
「シロウサギが?」
再び、鏡の中を覗く。
……雪乃の姿になっていたシロウサギは、私に微笑みかけるとくるりと一回転した。
……すると、体に赤い染みのある大きなうさぎに変化した。
「……さぁ、契約しようアリス……。」
「うん……。」
……鏡に、カードを翳す。
すると、どこかで「ピーッ」という短く小さな音と、水の滴るような音が響き、カードにシロウサギが吸い込まれる。
「これでシロウサギ……いや、ブラッド・ラビットはアリスの契約モンスターだよ。」
「うん……。」
「後は、もう一つの戦う力だ……。」
また、猫が歩き出す。
私は、遅れないように猫の後ろを歩く。
すると、目の前にばら色のいつか見たことのあるドレスが見えた。
「……女王様?」
「そうだよ、」
それは確かに女王様だった。
いつものように、女王様は私を抱きしめて来た。
「じょ、女王様……。」
「アリス……今なら戻れるのよ……?自ら傷つく事ないじゃない……!」
「……でも……、」
「アリスの決定は、僕らは変えられない……早く済ませてよ、首狂い。」
「お黙り!……アリスが決めたなら……仕方ないわ……アリス、手を出して。」
私は、怖ず怖ずと手を差し出す。すると、
女王様は自分のあの大きな鎌を私に手渡した。
「これ……。」
「アリス……これが私の代わりにアリスを守ってくれるわ……アリス……あなたの無事をいつも願ってるわ……。」
……そこで、目が覚めた。
「……妙にリアルな夢だったなぁ……。」
「夢だけど夢じゃないよ。」
枕元で、そう聞こえた。
驚いてみると、チェシャ猫がいつものニヤニヤ顔で私を見上げていた。
「それ、ト○ロじゃん……。」
「机をご覧。」
言われたように机の上に目をやると……。
「……ぁっ……!?」
「ほら、夢じゃないだろう?」
そこには、機能の夢で見たあのカードがあった。
その側に、他のカードの束も……。
「このカードデッキは必要なものだから、なくしちゃ駄目だよ。」
「ぇ?う、うん……。」
「それは、僕らがアリスのために作ったものだから……大事におし……。」
私は、そのデッキをリックにしまいこんだ。
……これからどうしようか、私はパジャマ姿のままで悩んだ。
……真司さんに、何か聞こうか…。
でも…なんて聞いたらいいのかわからないし……。
「アトリに行って見たらいい。」
「ぇ……?ぁ、そっか……とりあえず……会うだけもしないとね……。」
私は、パジャマから赤いワンピースに着替えるとチェシャ猫をリュックに詰め込み、花鶏に出かけていった。
……僕らのアリス、君を狙う鏡の世界に……お気をつけなさい……