
「歌うな!」
ボーグの鋭く伸びた手が、フレイアの胸倉を掴みあげて強く雪の地面に叩きつけた。フレイアが悲痛に呻いて倒れ込んだ所に、視界の端に一閃が煌めいた気がして、その場にいた空中騎士団とミラージュ、ハヤテが顔を上げると、空に、白銀のバルキリーが現れた。
ヘルマンの瞳が、驚愕に見開かれる。
「――― 白銀のバルキリーだと…!まさか…!」
キースが、それに「知っているのか?ヘルマン」と聞くと、ヘルマンが一度頷いた。そうして、そっと尊い者を呼ぶかのように言葉を告げた。
「…もし、乗っているのがあの方で…彼で…間違いなければ…神にも等しい方です」
ヘルマンがそう言い終わると同時に、近付いてきたバルキリーの強風に煽られる。フレイアを守るようにハヤテが覆いかぶさった。周りもぐっと体に力を込めて飛ばされないようにしていると、バルキリーのハッチが開いた。まず目に入った、夜色の黒髪が、夕日に照らされて機体の白銀のように見えた。次いで、表情が夕日に慣れてはっきりと顔が見えた。年若い青年だった。その表情は凍てつくように冷たい。
ヘルマンの、息を詰めるような喉音がキースの鼓膜に届いた。
さらりとした夜色の長髪が、風に遊ばれる。顔を上げたフレイアが、「お、お兄ちゃん…!」と掠れた声で呼んだ。しかし、その青年の視線は、射抜くようにボーグを見つめていた。ボーグが「なんだ、貴様は!」と殴りかかろうと走り出すと同時に、その姿が視界から消えた。ボーグ、そしてキース、テオ、ザオも驚愕に目を見開いた。瞬きするうちに、突如青年はボーグの背後に現れ、「遅い」と短く告げるとボーグの腕を軽々と捻り上げた。
「お前、俺の妹に何をする。女に手を上げるなど恥と知れ。この痴れ者が」
「ぐっ…!なん、だと…!」
「ウィンダミアの騎士も堕ちたものだな…このような騎士を育てるとは」
「っ!」
射えた瞳が、ボーグの瞳を捕えて離さない。誰も手を出せないでいると、ヘルマンが「新…」と呟いた。名を呼ばれた青年――新が、その声に答えるようにゆっくりと振り向いた。そうして目を細めて、答えた。
「―― ヘルマンか」
その場にいた誰もが、驚いた表情で新とヘルマンを見た。フレイアとハヤテとミラージュは空中騎士団に知り合いがいたということを知らなかったし、空中騎士団からすれば、ウィンダミアの敵に知り合いがいたということをヘルマンから聞いたことがないからだった。
「ウィンダミアに、ずっと居られたのですか…!そのフレイアという娘、あなたの妹だというのは…!?」
「ああ、フレイアは血は繋がっていないが、俺が育てた。俺の家族だ」
「そういう、ことでしたか…安心しました」
「いいや、俺は安心していないぞヘルマン。久しいお前に、このようなことを告げるのは酷と思うが…訓練教官だったお前がこのような恥の塊のような痴れ者に育てた馬鹿はお前か、ヘルマン」
細められた瞳は、ヘルマンにだけ向けられているのに、キースは自分も共に向けられている気がして、ビリビリと背筋が嫌に痺れるような感覚がした。
「申し訳ありません…ボーグはまだ若い考えが抜けないでいるのです。貴方の大事な妹に手を上げたことは、この私に免じてお許しを…」
「……ヘルマン、お前は素晴らしい指導者だが、少し甘い所があるのは変わっていないな。そこがお前の長所でもあり、短所でもあるのだぞ…まあ、しかし。ヘルマン、お前が頭を下げる程に価値のある人間であるのならば、この痴れ者の今までのフレイアへの非礼も許そう」
「はっ」
新がヘルマンに頷いてボーグの捻り上げていた腕を離すと、ボーグは得たりというように拳を打ち込んできた。ヘルマンが「っボーグ!」と焦ったような声で叫ぶが、しかし、新はもう容赦はしないとばかりにそれをするりと躱すと、強烈な足蹴りをお見舞いした。ボーグの体が、ヘルマンとキースの傍まで飛ばされる。
「…ボーグ、と言ったな…お前の名前、我が一族の許されざる者として刻んでおくぞ」
そう言って、ふ、と目を閉じた新は、次いでやっとフレイアに目を向けた。泣きそうな表情のフレイアが、「おにいちゃん…!」と絞り出すように呼んだので、新は困ったような顔をして、フレイアの頬に優しく手を触れた。
「フレイア、何処も怪我はないか…?」
「お兄ちゃん…!どうして来てくれたんね…!?任務はどうしたん…!空中騎士団に知り合いがおったんも、なんで隠してたんね!?」
「嗚呼、そんなに悲しい表情をするな、私のフレイア……お前の歌が聴こえたからさ…アラドに後で叱られてしまうな!」
笑みを浮かべてそう告げた新に、フレイアがぎゅうっと抱きついた。自分を抱き締める両腕が震えているのに気付いて、新はより一層強くフレイアを抱き締め返した。
ハヤテが「ごめんな、新…」と掠れた声で新に告げれば、首を振って手招きした。それに答えて、ハヤテが近付けば、新はハヤテの前髪をかきあげてそっと額に口付けた。それにミラージュが「ひいっ!?」と頬を染めて短く悲鳴を上げる声がした。ヘルマンも、新の行動に目を丸くしている。
「―― ハヤテ、お前は自分が傷ついてでもフレイアを自分の持てる防御で守ってくれたんだろう。その表情が全てを語っている。ありがとう、ハヤテ」
そう言って幼く笑った表情に、その場にいた全ての瞳が奪われた。ウィンダミアの風が、優しく包むように新の長い髪を揺らしている。まるでその存在を嬉しがるように。キースが「風が歌っている…」と告げた声が、吹き続ける風に溶けた。
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「マスター・ヘルマン…!あの男は何者なのですか…!?」
新が、「ハインツに会わせるつもりなんだろう。俺も一緒に会う」とヘルマンに告げ、牢に入れた後、ボーグが納得がいかないとでもいうようにヘルマンにそう問いかけた。キースも気になっているようで、ヘルマンの言葉を静かに待っている。
ヘルマンは、じっと空を見つめていたが…長く息を吐くと、一言を大事に扱うような声で答えた。
「あのお方は…ウィンダミアを王と共に繁栄させた、神に等しい一族の唯一の生き残りだ」
「神に、等しい…?」
キースの言葉に、ヘルマンが頷く。
「本当であれば、牢に入れるなど無礼極まりない行動なのです……『アイオーニオス・テオス』という種族をご存じですか?」
「…伝説だろう、意味は『永遠の神』だったか?」
「……外見だけではほとんど歳を取らず、歌に生命を育てる力を持ちそして好いた相手の寿命に合わせて共に生きることが出来、男も子を授かることが出来る…種族。その種族名の通りに、正に神に等しい存在……そしてこのウィンダミアに、大きな発展と恵みを齎した方なのです」
「っしかし、マスター・ヘルマン…!王はそのような事を一言も…!」
「広めれば、あの方は狙われる。あの方の神のような力を…宇宙のどれくらいの星が欲しがると思う?ボーグよ…あの方は、神に愛され、歌に愛され、自然、そして動物に愛されているのだぞ。愛した者に加護を与え、守りたいと手を差し伸べた者に心を惜しまない…優しい心を持つもの同士、幼きハインツ王子と、王以外の周りに気付かれぬように密かに交友を交わしていた時期もあったのだ…」
「っ…あの男が…そんな…!嘘でしょう!」
裁判が始まります―― という王子の遣いの少年の声が、酷く重くキースたちの耳に聞こえた。
裁判とも言えないような名ばかりの裁判が始まろうとした時、最後に階段を上がってきた新の姿に、王座に座っていたハインツが驚いて立ち上がった。キースが、その様子に顔を向けた。ヘルマンは沈黙を守り、ボーグとテオ、ザオは目を丸くさせた。新がゆっくりと顔を上げると、最後に出逢った時よりも成長したハインツが目を入り、新は懐かしむように目を細めると、「嗚呼、大きくなりましたねハインツ」と柔らかく微笑んだ。ハインツは、堪らないというように唇を戦慄かせると、走り出した。それにはキースやヘルマンたちだけでなく、裁判官も驚いて王の名を呼んだが、ハインツは動じることなく新に強く抱きついた。しっかりと抱きとめた新が、慣れたようにハインツを片腕に抱き上げたその姿は、窓から射し込んだ光に照らされ、何者も寄せ付けられぬような神々しさがあった。思わずキースさえも、素直に目を奪われた。
「新…!私をおいて…どこへ行っていたのですか…一体、どこへ…!」
「嗚呼、ハインツ。その可愛らしい顔を涙で濡らしてはもったいない。あなたには笑顔が似合うと、いつも言っていたでしょうに」
「っ会いたかったのだ…ずっと…っ」
「…あなたと俺は、会えなくともずっと心が共にあると言っていただろう?ハインツ」
「しかし…!」
「こらこら、そんなに泣いては目が腫れてしまう…ヘルマン、ハンカチは持っていないのか?」
「いえ、私は…」
「俺が持っている」
一歩前に出たキースが、跪いてハンカチを差し出した。それに新が礼を言ってハンカチを受け取ろうとすると、ハインツが小さく「キース兄様…」と呟いたので、新は目を丸くしてキースと目を合わせると「兄様って……ああ、あなたがハインツの兄だったのか。さっき初めて会った時も似ていると思っていたが…やっと会えた」と笑みを浮かべた。キースがそれに少し動揺して「それは一体どういう…」と告げると新がハインツを抱き直して立ち上がると、玉座に足を向けた。
「俺はハインツの大好きな兄の話を聞くのが好きでな…素晴らしい兄がいるとよくハインツが言っていたんだよ。翼に乗る兄の姿が励みだと…なあ、ハインツ?」
「はい!」
ハインツを玉座に優しく下ろした新がそう言ってキースを振り向いて近付くと、キースの前髪をかきあげて、ハヤテにしたように額に口付けを落とした。それにはボーグが「うっうわうぐっ!?」と悲鳴を上げそうになったが、ヘルマンに慌てて口を抑えられて黙らされていた。フレイアは頬を染めており、ミラージュは開いた口が塞がらず、ハヤテは満身創痍でそれどころではなかった。裁判官は何が何だか理解出来ていないようだった。
「なっ、なにを…!?」
「最愛なる友人、ハインツの尊い兄であるお前に、俺の一族の加護を与えよう」
新が、透き通るような美しい笑みを浮かべた。キースは、目の前の存在で自分の胸を熱く焦がすような感覚がした。
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