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こんなことがあった。
ある日、急な思いつきでベルリンを訪れてみたら、どこに行くつもりだったのか、スーツでめかしこんだギルにばったり出会った。
道路をはさんで、あちらとこちら。僕が笑って手を振ると、ギルは複雑な顔をする。なんというか、真剣に値踏みするような顔だ。
そうして、見事に無視を決めてくれた。
なぜだろうと見れば、周りにも何人か、格式張った男女が佇んでいる。どうやら迎えを待っているらしい。
ギルは髪を上げ、スーツもちょっとお洒落に着こなしていて、劇場にでも行くのかな、というかんじだ。かっこつけている。
僕は上着のポケットに手を入れ、談笑する彼等を黙って見ていた。それほど経たないうちに、彼らの車が到着する。
黒塗りの車体に乗りこむ瞬間、視線をどこに向けるでもなく、ギルがくすりと微笑んだ。とても楽しそうだったから、一瞬だけのそれは、僕の目にしっかりと焼きつく。
車はほとんど音をたてず、すべりだすように発進した。
「いや、お前がいきなり現れるから、本当にイヴァンかって確かめる前に、今夜の仕事を蹴れねぇかなって考えた」
後日、きちんと顔を合わせてから、あの笑みの理由を教えてもらった。
「俺が今この場からばっくれたら、こいつらどんな顔すっかなとか、一瞬のうちに想像しちまって」
「でも、そうしなかったじゃない」
「いやいや続きを聞け。その次にな、俺がシカトしたらお前がどんな顔するかって想像したら、呆れる上司の顔よりはるかに面白く思えたから、そっちを取ったわけだ」
「へぇ、すごい……頭がよく回るね」
あきれた、あの一瞬で、そんな悪だくみをしていたわけか。どおりで遠くから見ても分かるくらい、楽しそうだったわけだ。悪いことを考えている時のギルは、とても充実した顔をする。
「かっこいい俺様をおがめて、お前も楽しかっただろ?」
「うん、どきどきしたかな」
「ほらな」
グラスを飲み干せば、からん、と氷が音をたてた。バーカウンターには、僕たちふたりしかいない。
隣からは、くらくらするような煙がただよってくる。僕は喫まないぶん、ギルよりも多くグラスを空けた。
「……けむたいなぁ」
じゃまな副流煙を、ふぅっと吹く。ほとんど無意識にしたことだけれど、散らばる煙は思いのほか面白く、ふうふう吹いて遊んでみる。
すると、にま〜っと笑ったギルは、わざと僕の方へ煙をおくってきた。僕はそれを吹き返し、ふたりで顔を見合わせた。
それっぽっちのことが、もう、おかしくって仕方ない。
「ギルベルト、どうしてそんなに楽しそうなの?」
「お前も笑ってるぞ」
「ほんと? 嫌だな、僕も君みたいな悪い顔してるんだ」
「俺様ほど、かっこよくはないけどな」
いじわるな笑みが伝染する。からかわれているのか、巻き込まれているのか。
ギルにいじわるをされると、それを優しさのように感じるのが、自分でも不思議だ。いたずらや悪だくみに、僕のことを巻き込んでくれるから、優しいなぁと思ってしまう。
本当に、僕は、ギルとおんなじ顔をしているのかな。たとえ嘘でも嬉しいけれど。
思えば、いろいろ許してしまっている。
ギルとは、なんとなくこうなった訳じゃない。僕は最初から彼を見ていた。すぐに「いいな」と思ったから、どうしても手に入れたかった。
先に目をつけたのは僕の方だから、そこにちょっとした弱味があるのだと思う。
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