海の歌
 ○.


 ここは生命がゆっくりと廻る星――。雨が降れば、森の木々はしとしと泣いた。川はたゆまず流れ続け、涙をどこかへ運んでいく。

『サヨナラ、サヨナラ……』

 いつの間にか雨がやんだ。つゆをはじいた木の葉が、青空の下でキラキラと光っている。

「あれ? 木が歌ってる」

 さよなら、さよなら。川の水面に、枝葉が揺れていた、まるで手を振っているみたいに。さようなら――それは悲しいサヨナラじゃない。流れていく雨と涙に、どこか満ち足りたお別れを歌っている。

「いい音だなぁ、ざわざわ……気持ちいい」

 一本の川を挟んで、森はさっと左右に分かれ、流れにひとすじの道を与えている。
 僕は川の水に足を浸し、耳だけを木々の緑に向けていた。目は、水底で動くものに夢中だ。

 ――僕の名前はイヴァン。白い毛並みに、菫色の目をもったクマだ。好きなものは、水とお魚。

「よーく見なきゃね……お魚が光るよ、光るのはお魚だよ!」

 ふんふん、歌いながら、手をばんざいと太陽のほうへ上げた。

「雨が降ると、お水が増える……お水が増えると、お魚も増える♪」

 楽しいからというのも有るけれど、手を高くしていれば直ぐに振り下ろせるから。

「きた!」

 ぴか、と光った線をめがけて、水を叩く。細い月のような線は、魚の背中、美しい泳ぐ背中だ。
 振り下ろした両手が、ばしゃんと波を立てて、爪が魚のお腹にしっかりと刺さる。ばたばた、揉みあうように水を蹴散らしあったかと思った、次の瞬間、僕はそれを捕まえていた。

「やったぁ」

 獲物を口にくわえ、いそいそと陸へ上がった。よかった、やっとご飯の時間にできる。
 岸辺でぶるぶる体を震わせれば、雨と川に濡れた毛並みから、水滴がたくさん飛んでいった。最後に、お尻をちょいちょいと叩いて、丸いしっぽからも水を払う。

「いただきます」

 とったばかりの魚にかぶりつく。血のなかに、ほのかな雨の香りがした。雨あがりの空の下は、お魚がいつもより更に美味しく感じられる。毎日食べているのに、不思議だ。

「いただきました!」

 ごちそうさま――本当は、もっと違うものも好き。だけど好きな子のために、今の僕はもっぱら魚を食べている。

「僕の好きな子は、お肉を食べない子だからね。すごく強くて、ちょっと怖がりで、とっても綺麗な子だから……」

 手についた血まで全て舐めとってから、僕はまた歌いだした。ふんふん、今度は好きな子の歌を。

「きみはだれ、きみはだれ? おみみのながい、きみはだれ……あしがはやくて、うたがすき……」

 僕は忘れっぽいクマだから、忘れものをしないように、歌をうたって覚えることにしている。
 僕がつくったデタラメの歌を聴いて、あの子はいつもけらけらと笑う。僕らはふたりとも、歌が大好きだ。

「きみはぎるくん、ぎるくんがすき……あれっ」

 川の向こう岸から、ばさばさと鳥が飛び立っていった。振り向けば背後の木陰からも、慌てたように動物たちが逃げだしていく。

「……ちょっと大きな声だったかな?」

 大声で歌っていたら、みんな居なくなってしまった。せっかく、良い天気になったのに。 しんと静まった川原で、僕は両耳を下げて落ち込んだ。

 ばしゃん、と水に手を浸す。血の匂いがしていると、あの子が怖がるから、よく洗う。そうでなくとも、僕はクマだから、いろいろ気をつけていないとダメなんだ。
 こぐまの頃は、良かったな。この声も、もっと高かった。

「……大人になるって、お友達が減るんだなぁ」

 僕は元々ひとりぼっちのクマだったけれど、森ではそれなりに上手くやっていたつもりだ。歌いながらお散歩をしたり、川で水遊びをしたり。
 水面に映った僕の顔、丸い耳のふたつ付いた頭はとても目立つ。森にいた時よりも今は背が伸びて、体もまた大きくなって、怖がられることがさらに多くなった。

「イヴァン……イヴァン、」

 手を洗ったら、ちょっと静かにしていなきゃ。良いお天気だから、みんなお水も飲みたいだろうし。怖がらせないで、大人しくしていよう。

「イヴァン……おい! のろま! こっち向け!」
「わっ、ギルくん」

 きーっと叫ぶような声に顔を上げると、向こう岸にオスのウサギの姿があった。

 不機嫌そうに耳を立てて、ぴくぴく動かしながら、僕を睨んでいる。毛先まで銀色をした、念入りに手入れしてツヤツヤの、ご自慢の長い耳だ。

 僕はくんっと喉を鳴らして、大好きな子に合わせて、自分の短い耳を立てた。

「これだから、耳の短い動物は駄目なんだ」
「ごめん……ごめんね!」

 ウサギって、どうしてこんなに綺麗なんだろう? ううん、きっとギルくんが特別に綺麗なんだと思う。

 ――この子はギルくん、僕の約束≠フ相手。真っ赤な目をした、銀色のウサギだ。好きなものは、草と、白い雲。

「こっちに来いよ、濡れるのヤだから」
「うん、いま迎えに行くよ」

 水を蹴って、対岸のギルを迎えに行った。きらきら光る水しぶきの向こうで、彼は耳のお手入れをしながら待っていてくれる。こしこし、両手で毛並みを梳かして、とても丁寧だ。

「葉っぱ、いっぱい食べれた?」
「食った! うまかった」

 待ちきれなかったのか、あと少しで岸に着くというところで、ぴょんっと僕に飛びついてくる。
 僕が川で魚を捕る間、ギルは自分も食事をするため森に入っていた。ウサギはお魚を食べない、血の出るものは何も食べない、草を上手に探して食べる。

「ホントだ、重い」
「うそつけ、そんなわけあるか」

 ギルを背負って、僕は川の中を引き返していった。僕と同じく、ギルだってもう大人だけれど、「水に濡れたくない」とか「歩くのが面倒くさい」とか言って、よく僕の肩に乗ってくるのだ。
 はやくはやく、と急かしながら、楽しそうに僕の背中を蹴ってくる。

「イヴァン、お前、歌ってたか?」
「えっ、声が聞こえたの?」
「当たり前だろ! 遠くの音も近くに聞こえるんだ、この耳ならな」

 ギルはそう言って、えっへん、と胸を張る。それはそうなんだろうけど、あんまり耳を動かされるとバランスが悪い。

「よい、しょ、よいしょ……ギル、本当に重いよ?」

 ウサギの体が何で出来ているのか、僕には不思議でたまらない。草や木の実しか食べないのに、こんなに重いなんて。
 きっとギルは僕に隠れて、良いものを食べているのだろう。
 きっと空のお日さまや、白い雲を食べているのだ。
 だからこんなに綺麗で、誇り高くて、目がぴかぴか光っているんでしょう? 僕は口に出さず、ひそかにそう思っている。

「イヴァン、歌えよ」
「うーん……ぼく、もう歌わない」

 滑る岩に気をつけながら、僕は川の中を進んだ。光の反射は眩しいけれど、僕らの影が波の上に落ちている。影のなかは見通しやすい、水底の石も、逃げていく魚たちも。

「は?!」

 ウサギの影が、びくんと跳ねた。かと思えば急に背中が熱くなって、ギルが暴れだす。

「ダメ! ダメ、ダメだーー!!」
「わっ、落ちちゃうよ、やめて」

 慌てて、元いた岸辺へと駆け上がった。

「いたっ、痛い」

 耳をつねられた僕は驚いて、振り落とそうと頭を振る。ギルは小さく、ぴっ、と鳴いて、軽々と着地した。

「なんで歌わないとか言うんだ!」

 両足を踏ん張って、威嚇するように毛を逆立てている。どうして怒るの? 僕には訳が分からない。

「……だって、ぼくの声、怖いでしょう?」
「怖い?! 怖くなんかない!」
「もうー。ギルは大丈夫でも、みんなは怖がるんだもん……」

 つねられた耳をさすると、痛みにぐうぐうと喉が鳴る。クマの低い唸り声は、自分で耳にしてもあまり良い音じゃない。

「ばか、怖くない、そんなのうそだ! ちがう!」
「ギル? ……どうしたの?」

 あんまりムキになって怒るので、僕はおろおろとギルの周りを歩き回った。もとから怒りっぽい子だけれど、なんだか声が泣きそうに震えた気がして、顔をのぞき込む。

 ギルは泣くどころか、きりっと僕を見つめてきた。

「イヴァン、そこに座れ!」
「は、はい」
「よし!」

 当然のように、僕の膝に腰を下ろしてくる。腹立たしげに手をとって、手のひらを両手でぽかぽかと叩くギルは、とても真面目な顔で僕に言った。

「お前の声は、良い声だ」
「そうなの?」
「そうだ! 俺が言うことは本当なんだ、分かるか?」
「うん、君はウソつかないけど……」

 だけど、嘘じゃなければ本当だろうか?
 ぷうっと不満げに鼻を鳴らしたギルの顔が、格好良くてたまらない。僕はまた見惚れてしまう。

「イヴァン、お前、蜜が好きだろ?」
「うん、好き」
「野苺も、山葡萄も好きだろ?」
「好き!!」

 思わず、声がはずむ。ウサギの耳がひこんと立つ。

「たくさん食べたろ、だから声が甘いんだ」
「そうなの?」
「そうだ、良い声だ」

 僕たちは見つめあって、お互いの声に耳を澄ませた。甘い声って、どんな声だろう。
 川のせせらぎが、すぐ側を通り過ぎていく。夏の風も、隙間なく森に吹きわたって、涼しげだ。

 だけどギルの瞳が太陽より赤くて、ぽっぽっと僕の頬を火照らせていく。気がつけばふたりとも汗だくだった。

「ぼくの声、怖くない?」
「怖くない、そう言ってるだろ」
「……ぼくの歌、好き?」
「当たり前だろ! 好きだ」

 体が――特に胸が熱い。君が好きだと言ってくれると、胸が熱くて仕方なかった。自然と、目がうるんでくるくらい。

「ギル……ありがとう」
「歌うの、やめないか?」
「うん」
「じゃあ約束≠オろ」
「うん」

 ギルはちいさな口を閉じ、唇をつんと突き出して、僕を待っていた。僕は、彼の長い耳の付け根を撫でて、ぴと、と口をくっつける。
 動物たちが鼻をくっつける親愛のしるし≠フように、これが僕らの約束のしるし≠セ。

「ギル、いいにおい……」
「ン、」

 ぺろ、と舌をだして舐める。薄い唇は、まるで花びらのように良い香りがした。一瞬、きゅっと目を閉じたギルはとても可愛かった。

「……クマのにおいがついた」
「あはは」

 顔を見合わせ、僕は笑う。
 ギルはぷりぷりと怒りながら、それでもどこか満足そうに、僕の膝から下りていく。離れはせず、隣に座る。

「汗の味がしたよ、いっぱい走った?」
「走った! たくさん食ったからな」

 ぴったりとくっついて座り、体ごと、耳まで、コテン、とこちらに傾けてくれる。
 僕は嬉しくなって、座ったままぱたぱたと足を動かした。両足でリズムをとりながら、ギルと一緒に川を眺めた。穏やかな流れが続いていく。

「イヴァン、歌えよ」
「うん、いいよ」

 君のために歌うよ、と言えば、長い耳がゆらんゆらんと揺らいで、僕の頭に寄りかかった。
 僕はギルの手をひきよせて、怖がらせないように、そっと口づける。しょっぱい、汗の味がする。

「なんの歌をうたおうか……あれ? 僕たち、何をしていたんだっけ」
「旅だろ」
「あぁ、そうだった」

 僕は忘れっぽいクマだから、歌っていないとすぐに忘れてしまう。

「海を見に行くんだよね?」
「お前、本当に忘れっぽいな!」
「うそじゃないよね?」
「俺が連れてってやる、そう言っただろ!」

 嬉しくてうるんだ目に、はっきりと涙が浮かんできた。悲しいことのない空の下で、僕の涙はただ、君の姿を輝かせる。

 ううん、悲しいことはまだ、この先に待っているかもしれないけれど。川は流れて、海に繋がっている。涙があふれたって、泳いで渡ればいい。僕らの旅はまだ終わらない。

「もう一回、約束するか?」
「ううん、大丈夫だよ。君を信じてる」

 君となら、歩いていける。
 自分の足で、ひとりで立って、ぴんと背筋をのばす君。いつでも胸を張り耳を立てて、誇り高い姿の君は、決して嘘をつかない。
 嘘をついたら、自分のことを好きでいられないからだ。ギルは、いつもそう言った。

 君は自分自身をいちばん好きだと言うけれど、僕はそんな君のことが――世界でいちばん君が好き。

「……ぼくのなみだは、うみのあじ」

 ふふ、と笑い、唇にのせて歌をうたいはじめると、ギルも楽しそうに笑って、新しい歌だなと聴いてくれる。

「クマの涙はしょっぱいもんな! 泣きむしイヴァン!」
「きみのあせだって、うみのあじ」
「えっ、ホントか? 俺、しょっぱいか?」

 歌声に耳を傾けて、鼻先がピンクに色づいている。可愛らしい鼻をぺろんと舐めると、「やめろ!」と叫んだギルが毛を逆立てる。
 僕はわざとギルを怒らせてみたんだ。怒っている君は、誰よりも可愛いから。

 夏空があんまり眩しくて、僕らは白い月をどこかへ置いてきてしまった。だけど青い海が、ずっと先に待っていてくれる。

 僕の涙は、海の香りがする。
 君の汗も、海の香り。
 ――これが僕らの、新しい歌。
 終わりのない旅路の、新しい約束だ。






Fin.


* * *



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Thanks BGM♪ 《プリズム》《うれしくって抱き合うよ》


2017.8月 10月 イベント用・無料配布

スペースまでお越しいただき、ありがとうございました!

うこ



11/30 加筆修正