01
僕の手のなかから、古いカメラの撮影音が響く。開閉と露出時間の比較なんて、僕には分からない。一秒の何百分の一かの時間とはいえ、くだらない僕らに捧げてくれる、この子は健気だと思う。
カメラは白黒の世界を切り取っては、ヂーー……ガシャッ、と派手に震えた。
「それじゃあ、こっち向いて」
「……そこの灰皿、とれ」
「やだ」
何度も、何度も。ヂーー……ガシャッ……――機械からつたわる振動、手ごたえが心地よい。新しい玩具の感触を、僕はとても気に入っている。
「せっかくフィルムを見つけたんだよ、撮らせて」
彼は白い手で灰皿をわしづかみ、裸足でぺたぺたと部屋を横ぎる。もといた場所に戻ると、神経質な手つきで足裏を払い、腰かけた。豪奢なベッドに柔らかい枕をいくつも重ねて、リネンに背をもたれている。
耳慣れない鈴の音が鳴りだし、キリリ……キリリリ……、と頭に響く。僕も彼も、それがドアベルの音だと気づくのに少し時間がかかった。ここは誰の家でもないからだ。
「鳴ってるぞ、出ろよ」
「やだ」
言い方も、火をつける手つきも不機嫌だけれど、僕の知ったことじゃない。
彼の前髪を、風がはらはらと揺らしていく。吐き出した煙が流れる、天井でファンが回り続けている。
外が明るいぶん、室内の影が濃い。あまったるい風は、開け放した窓の外、海から吹きつけてくるものだ。熱気で揺らめくような景色、青い海。ブーゲンビリアの花は、緑の日除けだ。
くらくらするような陽光が射し込み、白い壁で途切れると、眩しい陰影が語りかけてくる。
「イヴァン、呼んだのお前だろ」
「知らない、笑って」
僕はファインダーを覗きこんだまま、笑わない彼の姿から視線を反らし、そこらをうろうろと行き来した。日なたを踏み、足の裏に太陽を感じながら。
タイル敷きの床を、隣室に置かれた琺瑯のバスタブを、古い機械で写し取る。
風通しの良いバルコニーには籐の椅子が置かれ、手摺に吊り下げられているのはランタンと貝殻の飾りだ。石の階段を下りれば、花に囲まれたプールがある。けれど今日は陽射しが強くて、外に出る気にはならない。
居間をうろついて、緻密な織り物と、艶めくサテンに彩られた空間を撮る。この色彩感覚には、いつまでも慣れないな、と思う。
僕が歩き回っているうちにも、何度も、何度も、ドアベルは鳴り続け、彼の苛ついた声がしていた。ずっと僕の名前を呼んでいる。
天蓋付きのベッドまで戻ってきた。これはなんだろう、ひらひら揺れる半透明の蚊帳に、一点の染みだろうか。いや、なんてことはない小さな羽虫だ。シャッターを切ってから、ぷち、と潰した。
「笑ってよ、ギルベルト」
「……今すぐ出ないとぶん殴るぞ、××××!!」
罵声とともに重たいガラスの灰皿が飛んでくる、ひょいと避けて僕は笑う。背後の壁で鈍い音がした。
ギルベルトは舌打ちをして、手元の火をしきりに吸い寄せている。
「はぁい。ふふ、怖い顔」
あまったるい南風と、煙草の匂い――狂おしいほど、愛しい。
この部屋は豪華すぎて、窓から見える光景だけが美しくて。僕らに充満しているのは、腐りかけのような、使い古されたような夏だけど、それこそが欲しているところだから。
「……あぁ、朝食を持ってきてくれたんだね、ありがとう」
ドアを開けて、にっこりと微笑んだ僕の背中から、潮騒が聞こえる。
◇