02
◇◆ HOTEL RAPHAEL ◇◆
Then the angel said unto him, Take the fish. And the young man laid hold of the fish, and drew it to land.
ずっと、旅に出たかったんだ。
普段着のまま、首に新しいマフラーを巻いた。納戸から探しだしたトランクを携え、さぁ出発だ。
必要なものは現地で買えばいいや、と身軽で歩く。外の通りはまだ肌寒く、鼻をすすった。
石畳を、ごとごと、車輪が跳ねる。僕は信号待ちで立ち止まる度、革製のトランクを撫でた。そうするうちに、少しずつ実感がわいてくる。上司に命令されたのでない、個人的な旅は初めてだ。そう思えば、とても嬉しい。
バス停近くまで歩いてきたとき、足を踏み入れたことのない公園に目を留めた。公園は高い柵に囲まれ、生い茂った樹木で奥は見えないが、おそらくここを通り抜ければ近道になるはずだ。ちょうどよく入口を見つけたので、入ってみることにした。芝生に車輪をとられながら、よいしょ、と柵のなかへ進む。
朝も早いのに、女の子がひとりで遊んでいる。軽い足取りで駆けていた少女が、ふと僕のところへ近づいてきた。
「おはよう」
反応がないので、どうしたの、と首を傾げてみる。立ち止まった僕の足元、というよりは荷物の傍らへ、少女はさっと身をかがめた。
「……わかった、かくれんぼだね?」
辺りを見回しても、公園内には誰もいない。やっと通勤の時間帯に差し掛かったところだろう、通りに少しずつ増えてきた人々の姿は、一様に街中を目指し、歩いていく。
「これ、何が入ってるの?」
少女は無邪気に問うと、トランクにぴったり寄り添い、耳を澄ました。まるで、お母さんのお腹にそうするように。
何と答えるべきだろうか、僕は迷う。
樹木をうっすらと覆う靄に、小鳥がさえずる。凍りつきそうな声は、かよわいけれど凛とした響きだ。夜露か朝露か、僕の足元から緑が香る。
「……覚めない夢が、入ってるんだよ」
「変なの、格好つけてる」
「う、」
女の子は口を曲げたが、すぐ立ち上がると、今度は僕の背後へ隠れた。僕は苦笑して肩をすくめる。
「かくれんぼは、ひとり遊びに向かないよ。うーん、僕ならねぇ、影踏みをするよ」
僕を真っ直ぐ見つめた目が、きょとんと丸くなり、影踏み、と呟く。どうやらこの答えはお気に召したようだ。僕の影を、ぴょん、と踏む。
「まだ朝だから、薄いね」
僕は腕をぐんと伸ばし、両手を広げてあげた。地面にふたつ、黒い花が咲いたみたいで、軽やかな足が次々とそれに乗っては、ぴょんぴょん跳んだ。
「僕ね、南の島へ行くつもりなんだ。いちばん光が強いところ……いちばん影の濃いところにね」
僕の影から飛び出した少女は、足を交互に上げ、ちいさな靴の下を不思議そうに眺めだした。離れずついてくる自分の影が面白いらしい。子どもの習性で、気に入れば何度でも同じことを繰り返す。自分自身の影との、可愛らしいダンスだ。
「バイバイ」
あどけない姿に別れを告げて、僕は公園をあとにした。
◇