04


 バスから電車へと乗り換え、中央駅でさらに路線を換えた。発車とともに駅の賑わいは遠ざかり、あとには振動と、のどかな田園風景だけが残る。

 ふっと肩が痺れるような、こころもとない疲労を感じて、僕はうつむき、両手を組んだ。座席は柔らかく、大きめの背もたれも僕にはちょうどいい。陽も西へ傾き、眠くなってきた。走り続ける滑車は軋み、カタンカタンと足の下から響いてくる。

 まるで体のなかから、子守唄が聞こえてくるみたいだ。でも、いま目を閉じたら、涙が出てしまうかもしれない。

「なんだろう、寂しくなっちゃった……」

 こんな気持ちになるなんて、自分でも意外だった。

 なんとなく腰を落ち着けたら、旅の高揚感が一時的に収まっているようだ。朝から少なからず気を張って、疲れていたのだろう。他人事のように、そう思う。

 あふれてくるような不思議な切なさが、電車に揺られて共鳴している。

「ひとりなのかい?」
「え……?」

 驚いて顔を上げた僕と、目を合わせるでもなく、その人は穏やかな笑みを浮かべ、窓を見ていた。気のせいだろうか、たしかに声は聞こえたのに。

 白髪のおじいさんだ、つばのない帽子をかぶっている。こんな帽子を、昔は誰でもかぶっていたけれど、最近はあまり見かけない。服装や鞄も同様で、僕にとってはなつかしい。どこかで会ったことのあるような、そんな気さえしてくる。

「……ううん、僕はひとりじゃないよ」

 声に出したら、言葉がじんわり広がって、安心した。

 老夫は表情を変えずに、ただそこに座っていた。こちらの声が聞こえたのかどうかも分からない。

 実は、僕はこの人を、言葉が話せないものだと勝手に決めつけていた。中央駅からずっと同じボックスに乗り合わせ、対面していたけれど、一度も視線が合わない。それに乗り込んできた時は、息子のような男性に介添えされていて、なんというか、もっと困難な状態に見えたからだ。

「僕はね、本当はもうずっと前から……」

 列車はトンネルに入り、束の間、暗闇が訪れる。一旦、口を噤んだ僕は、こくりと唾を飲みこんだ。たぶん、誰でもいいのだ、と悟りながら。

 闇を抜け、全てが光のなかへ戻ってくる。座席も、飲みかけの水も、手のなかの切符も、トランクも、変わらずここにある。軽く目眩がして、僕は何度か瞬き、ふたたび目の前にいる人を見た。

「……ぜんぶ投げだして、旅に出たかったんだ……」

 光も闇も、関わりがないのかもしれない、変わらない笑みをたたえている。何も見えていないのかもしれないし、見えないものを見ているのかもしれない。

 僕には、どちらでも良かった。わだかまりを吐き出すように、喋り続けた。

「……人にどう思われてもいいんだ。今まで積み上げてきたものが、崩れても……嘘吐きだって言われても、もう、どうでもいいんだ」

 一息に吐き出しきって、沈黙する。言葉にできない衝動を、手の甲に爪を立てることで、しばらく耐えた。そっと手を離した時には、もう、いつもの僕に戻っていた。

 心臓に手をあててみる。あんまり電車が軋むので、いつしか鼓動が置き去りにされていたようだ。もう大丈夫、あの仔犬よりは鈍いけど、ゆっくりと脈打っている。

「ありがとう」

 僕は感謝を告げ、体の力を抜いた、背もたれにずっしり沈み込むまで。

 相変わらず反応はない。彼は幸福そうに微笑んでいて、僕には、この時間が永遠に続くように思えた。
 けれど、前触れなく光は途切れる。付き添いの男性が戻り、窓を遮るように座ったからだ。

 若者は水を買いに行っていたらしく、戻ってすぐ、苛々とした様子で時計を確かめた。薬瓶をとりだし、錠剤を飲ませ、水を零した老人を叱りだす。
 列車が曲線で風景を切り取り、大きく傾き、軋みが響く、終点はまだまだ遠い。

 それでも、その人は幸福そうに、神様のように笑っていた。