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・国名⇔人名混在
・なれそめ









 ◇ そこらじゅうにぼくを散らかして ◇ 




 きっと、アレがいけなかったのだと思う。

 ギルベルトは何度も指を動かして、その手触りを思い出そうとしていた。傍から見れば、鳥のクチバシを真似る仕草に見えたかもしれない。ひとさし指と、親指を、くっつけては離し、くっつけては離す、何度も。

 きっとアレがいけなかったのだ、ほんの些細な好奇心に負けて、ちょっかいを出したことが、どうしようもなくまずかった。もう少し上手くできるはずだったのに、大失敗だ、好きになってしまった。

 イヴァンのことが好きだ。

 初めは、ちょっとした悪戯だった。やたらと俺に甘いイヴァンを、一度は怒らせてみたいなんて反抗心もあって。けれど何度も触るうちに、気づけば好きになっていた。まずいな、そう思いながらも、さらに触る。好意なんて矛盾の塊でしかない。

 また指をすりあわせ、そのまま腕を伸ばす。鳥が果実をついばむような、ちいさな動作で、白い耳たぶをチョイとひっぱった。

「ひゃ! なに、どうしたの」
「ふっ、なんでもない」

 あぁ、やっぱり柔らかかった。そうか、ここはこんな感触なのか。

 よく『生地は耳たぶのかたさで』なんて、レシピには記載してあるが、イヴァンのこれはちょっと違う気がした。さらさらしていて、まったく指にはくっつかないし、芯などなさそうに見えて、しっかりとして潰れない。クッキーはつくれそうにないが、これはもう、これだけで美味しそうだ。

 そこまで考えてから「それは駄目だろ」と自分をいましめる。触れるだけなら悪戯ですむが、噛んだりしたら流石に、ごまかしようがない。

「もう……お茶いれてくれる?」
「へいへい」

 怒られるどころか、嬉しそうに笑われた。何を考えているか分からないが、また調子に乗ってしまう。

 冷たく澄んでいた朝の光が、少しずつ深まってきていた。温室に降りそそぐ光は、輝く季節の名残をまだ感じさせるが、吹き抜ける風は透明だ。肌の上から、秋がはじまる。

 サモワールから上がる白い湯気が、しんしんと空気に沁みた、野外でもお湯を沸かせるのはとても便利だ。どうせなら温室ではなく、どこか外にも出かけてみたい。今日みたいな天気の良い日に、のんびり芝生に寝ころんで、高まる空を見上げたら、きっと気持ちがいい。

 俺はそういう時間の過ごし方が好きなのだが、イヴァンはどうだろう、ついてきてくれるだろうか。

「いま、僕のこと見てた?」
「……いや、はらへった」
「たしか、お茶うけも用意させたはずだけど」
「お、本当だ、いただき」
「僕にも!」
「お前はだめ、また太るぞ」
「えー、僕んちのお菓子なのに……」
「健康管理してやってんだろ、ほら、俺様に感謝しろ」

 笑いながら軽口を言い、紅茶をさしだす、ちゃんとジャムも添えてやる。こんなに糖分を摂ってるのに、まだ欲しがるなんて、いったいどこに吸収されているのだろう。

 健康管理と称して、今度は腹を軽くつついた。イヴァンは不満げに少し口元を曲げただけで、俺の好きにさせてしまう。

 べつに俺だって、口で言うほど太いと思っているわけではない。必要な厚みといえる範囲だろう、ちゃんと内側に強さを内包した、そんな柔らかさだと思う。服の下を直に触れたら、もっといろいろ分かりそうなのにと、このところずっとその感触を夢想しているが、そんな欲望を叶える術はない。

 好きだと自覚してからも、それでどうしようかなんて、何も考えてはいなかった。
 イヴァンも何を考えているか分からないが、俺のちょっかいを本気で嫌がるわけでもなく、むしろ好んでいるようにも見える。俺の遠慮ない物言いも、尊大な態度も、普通の友達が欲しいコイツには嬉しいのかもしれない。だから、やっぱりまずい、何がまずいのかがハッキリしないが、問題だ。

 最初も、やはりこうして、揶揄しながら触ったのだと思う。「でぶ」とかなんとか、意地の悪い言葉をかけながら。イヴァンは大げさに驚いて、とても困った顔をした気がする。

 困った顔が得意な奴なのだ、誰かと一緒にいる時はとくにそうで、大きな体をゆらして肩をすくめる仕草なんか見ると、なんだか可哀相に思うことさえある。大国の証であるのだろうその体を、ひょっとして持て余しているんじゃないかと、自分に関係ないことは重々承知で、ちょっと心配してしまった。

 しかし、何かの拍子に背後をとられた時なんかは、やっぱり底知れない相手だと見直したりもした。おとなしい見た目に騙されて、気を許してはいけないのだと、ひきしめる。それなのに、音も無く近よったくせに、かける言葉は「プロイセンくん、すごいね」とかなんとか、ただ仕事内容を褒めるだけだったりするから、ついつい笑ってしまうのだった。

 気の抜けない相手だ、だけど面白いと思う、何かをいっぱい隠しているから覗いてしまう。そうして俺は、すっかり手なづけられてしまったようで、こうしてほいほいお茶にも付き合う。嫌がられないから、触り方もエスカレートしていくばかりだ。

「髪、」
「のびてる?」

 後ろ髪を指先ですいた。不自然な長さでもないが、襟足がマフラーの中に入ってしまい、邪魔そうに見える。

「ああ、俺が切ってもいいか?」
「上手なの? じゃあ後でお願いするね、プロイセンくん器用で助かるなぁ*。ねぇ知ってる? 忙しくて苦労してる人ほど、髪が早くのびちゃうんだって」
「はは、察するぜ……かわいそうにな」

 よしよしと、子どもにするように撫でても、やっぱり拒まれない。見ているだけでも分かるが、触って内心で驚いた、サラサラの指どおりが手を離しても後を引く。

 よし、髪にも触れた。こんなふうに機会を見つけては、頬に触れて、肩に触れて、今日は耳と髪だ、だんだんと知らない部位が減っていく。それでも、対象が大きすぎて、決して全てを知り尽くすことはできない。

「イヴァン、」
「……なぁに」
「なんでもない」

 あぁ、コレもだ。こういう行為もいけないのだ。反応が知りたいというよりも、ただ微笑まれることが分かっていて、それで名前を呼ぶ。いつでも後悔して、けれど満足して、矛盾だらけの瞬間を繰り返す。

 視線を窓に移すと、温室の外を、白い鳥が飛んでいた。もう一羽と待ち合わせしていたように、並んで木の枝にとまる。つがい、だろうか。まだ冬支度には早いのだろう、ふくよかな体をつくろいながら、のん気に鳴き声を重ねている。

 次はどうしようかと思案しながら、横目でイヴァンをうかがう。ゆっくりティータイムを満喫しているようで、静かにカップを上下する。慌ただしい日常から解き放たれるような光景に、力が抜けてあくびをした、頭の中は次の悪戯を企んでいるというのに。

 そういえば、こんな時を過ごせる相手は、今までいなかったように思う。特に何かを話す必要もないし、笑わせる必要も、脅す必要もない。気を抜かないようどこかで注意はしているが、緊張感すらも心地よさに変わっていく。

 自分はにぎやかな場所が好きだし、騒ぐことが性分なのだと思っていた。時の流れをこんなに穏やかに待てるとは、自分自身の知らない一面を見つけた気分だ。手に入らないものを奪うのではなく、夢を見ながら待っている、言葉も何も必要ない場所で。

「ねぇ、ちょっと来てくれる」
「ん、どこに?」

 鳥は連れ立ってどこかに飛び去り、軽やかな羽ばたきの音だけが残った。しなる枝先が、さあさあと木漏れ日を散りばめている。

 外の穏やかな景色をぼんやりと見ながら、てっきり仕事に戻るのだと思い込んで、飲み干したカップを置いた。イヴァンも同じようにそれを置き、そして、

「ここに来て」
「……は?」

 両手をゆっくりと広げた。意味が分からなくて、目が勝手にぱちぱち瞬く。

「膝の上、ね、おねがい」

 腕をひかれて、何だかよく分からないうちに、横抱きにされる体勢で腰を下ろしていた。一瞬だけ体が浮いた気がするが、まったく感覚が追いつけなかった、どんな馬鹿力だ。

「……え、ちょ、なんで」
「やっぱり、軽いんだねぇ」
「お、おう……そうか」

 間の抜けたやりとりをしながら、これはなんだ、と、内心で困惑する。

 自分の腰にしっかりとした腕がまわされ、イヴァンはもう片方の手も伸ばし、俺の前髪をちょいちょいと弄んだ。そんなことよりも、いや、そんなことで片づけてはいけないのかもしれないが、俺は自分の下に感じる温かい足の感触に、天にも昇る心地で震えていた。

 顔に出さないように、苦労してこらえて、心中で叫ぶ。なんだ、これは! しっかり支えられてるのに、やわこくて不安で、でもふわふわして離れがたくて。ふとももなのか、これは本当に人間の足なのだろうか? こんな感触は初めてだ。

「プロイセンくん、って、"お名前"は何だっけ」
「そ、んなの、知ってるだろ。ずっと変わってない」
「君の口から聞きたいんだ、ねぇ」
「え、あ……ギルベルト、だけど」
「…………ギルベルト?」

 一瞬ぴくりと背中が緊張した後で、正体不明の熱がぶわぶわ広がった。耳元で囁かれたそれが、自分の名前だと理解するまで何秒もかかり、分かったとたんに熱くなる。

 呆然と黙りこんだ俺を見て、イヴァンは首を傾げながら、もう一度、敬称を何もつけずに、俺の名前を呼びすてる。

「ギルベルト、ねぇ……君ってさ、試してるんじゃないよね」
「な、に……を……」
「だって、なんか、ちょっかい出す割には……僕が特別扱いしても、けろっとしてるし」

 指が頬を撫でてきて、けれどすぐに「あっ、間違えた」と離された。

「たぶん、触られたいんじゃなくて、僕に触りたいんだよね? ほら……当たり?」
「あ、えっ……」

 イヴァンは俺の手をとり、自らの頬へ、ゆっくり誘った。触ったことのある場所だ、けれどこんなのは知らない。ぴたりと吸いつくような頬と、かさかさに乾いて荒れた手のひらに挟まれて、こんなのは知らない、初めてだ。あまりの驚きに、歓喜だけが身体中を巡り、五感は置いてけぼりにされている。

「う、わ……」
「うれしい?」
「なんで……ばれてた、のか」

 じんわりと遅れて、温かさが伝わってきたのと同時に、息がつまって眉を寄せた。嬉しすぎるのは、みじめだ。訳も分からないままそう思い、指先が震える。
 見抜かれていた、まさか呆れられていたのだろうか。

 感情の振れ幅が大きすぎて、沈みそうになったのを、イヴァンが表情で止めてくれた。穏やかな笑みを俺に向けたまま、違うと静かに首を振る。

「ずーっと分かんなかった、だから一生懸命見てたよ。大丈夫、ほかの人は気づいてないと思う、ちゃんと君のことを見ていた、僕だけのご褒美」

 ぽやんと咲き、ほころぶ花弁が地面へゆらりと傾くように、イヴァンが俺の手に笑顔を預けてくる。

「見てた……ずっと……?」

 霞んでいく頭に、声が優しく響く。

「最初からね、君のイタズラが嬉しかったんだ、『ちょっかい』って、構われたい人がすることでしょう? 僕からも触れていいのかなぁって、思って……でも君、僕がどんなに近づいても、普通の顔してるんだもの、何か違うなって」

 からかわれてるだけかとも思って、すこし寂しかったよ。

 そう言いながら腰を抱えなおしてくるので、慌ててもう一方の手で、目の前にある肩につかまる。両手から伝わる体温が、いっぱいに広がっていく。

「それで考えていたんだけど、今日やっと分かったんだ。君が、僕を構いたいんだね。『からかう』のは、可愛がりたい人がすることなんだね」
「……俺が、お前を、構いたい……可愛がりたい、だって?」
「うん、違ったかな」
「……そうかも」

 すとんと落ちるような気がした、たしかにそうだ。

 イヴァンが好きだ、触りたいと、そう思いながらも、それでどうしようかなんて考えなかった、考えないでいられたのだった。何も気に病まずに笑って、お茶につきあったりして。

 俺はたぶん、イヴァンがそのままの姿で、俺の前でくつろいで、ゆるゆる笑っていてくれるだけで良いのだ。自分が何かをしてもらおうなんて、想像したこともない。こいつが何にも怯えず、肩の力を抜いて、俺の隣にいてくれればいい。

 そうだったのかと納得すると、むずがゆいような衝動がわいて、じっとしていられなくなった。
 もしも許してもらえるのだとしたら、今すぐにでも、可愛がりつくしたい。

「お前……俺のこと……好きなの?」

 ぺたぺたと、胸の広さを測るように、たしかめる。穏やかな表情とは裏腹に、とびはねている鼓動を感じて、きゅっとマフラーのはしをつかんだ。

「君だけは、ずるいよ。僕にも触らせて、触って確かめたいことが、たくさんあるんだ」
「答えろよ、じゃなきゃ駄目だ、お前から言え、そしたら……」

 何でもしていい、なんて、そんなアブナイことを、言ってしまっていいものだろうか。

 もう両手で、イヴァンの髪をくしゃくしゃ撫でているというのに、今さらのように口ごもる。耳にも触り、白くて柔らかいそれを、ふにふにといじる。

 薄く開いた唇から溜息が漏れて、イヴァンはお得意の困った顔をしてから、すっと色を変えて俺を見つめた。

「"お前"、じゃないでしょ?」

 ぞわりとした震えを、隠すのは無理だった、それごと全部、耳元に吐息を寄せて落とし込む。

「……イヴァン、言えよ」
「……好き、僕のこと、可愛がっていいよ」

 男くさいような、子どもじみているような、相反する強さをもった腕に、ぎゅっと捕まえられた。
 強すぎて痛いくらいだ、かわいい、かわいくて仕方がない。むずむずしておさまりのつかない感情を、かぷりと耳たぶに噛みつき、ちゅっと小さく吸いつくことで、ぜんぶイヴァンに捧げる。

「俺は……愛してる、たぶん」

 頬をはさみこんで、真っ直ぐに目を見た。勝手に体が震えて、でも何にも隠す必要なんかなくて、笑えてしまう。心の底から笑みがこぼれて、鼻先にキスをした時も、ふふっとそれが散らばった。

「うれしいな……でも、たぶん、なんだね?」

 ぎゅうぎゅう抱きついてくる手の一つを無理矢理はがして、指と指を絡ませる。絡め合う一瞬に、ささくれた指の先端を感じて、これもあとで世話してやらねばと思う。

「まだお前のこと、全部知ってねぇもん。もっと触らせろ、もっと」 
「ん、例えば?」
「ん〜、なんだろうな?」

 額がつきそうなほど顔が近くにあって、お互いがどこを見ているかなんて丸分かりだった。二人して悪い顔をして、焦らしあって遊ぶ。俺がわざと中心ではなく、唇の端に口づけると、イヴァンもくすくす笑って、

「君って本当に……あぁ、困っちゃうな……ギルベルト」

 名前を呼ぶ。その時すこしだけ見えた舌の赤さに、あっと小さく驚いた。当然だが、こんなに近くで見たのは初めてだったから、気が急いてしまって何度も肩を叩く。

「ちょ、ちょっと、それ……触らせろよ」
「え、どれ?」
「それ……舌、だして」

 首を傾げながらも、れ、と差し出されたものを、くにくに、つまむ。

「ん、」
「うわ、すげぇふわふわ……きもちいい」

 言いながら、これを味わうことを想像したら、意識がほわほわ宙に浮いた。無意識に、自分の唇を舐めていた。

「僕にも触らせて……君のも、みせて」
「……ん」

 俺もイヴァンにそれを差し出す。しばらく舌と舌だけを、ひかえめに絡めて、くすぐりあって。柔らかい、気持ちいい、夢見心地で腕をまわして、あたたかい身体にしがみつく。

「……はやく、僕のこと、全部知って。僕も全部知りたい、教えてね」
「ん、わかった」

 そこで、ようやく、ちゃんとしたキスをした。

 ぱたぱたと、また軽やかな羽ばたきが聴こえてきても、もう外を見る余裕はない。お互いの体を好き勝手に触りながら、笑いあって先を急ぐ。

 あぁ、やっぱりこれはいけないことだ。何度もキスを交わしながら、そっと頬を撫でながら、俺はそう思っていた。

 二人とも、相手を可愛がりたくて仕方ないなんて、甘ったるくてどうしようもないじゃないか。それに、たぶん全然かみあっていない。まずいな、と思うけれど、この手を離す気は、まったく起きなかった。

 ちぐはぐな二人でも、なんだかこの先は面白そうな予感しかなくて、唇をくっつけては離す、何度も。


 温室の中で目を閉じて、心のどこかで青空を仰ぐ。矛盾した恋を転がして、透明な秋は深まっていった。













Fin.




Thanks !
title by 剥声







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Alles Gute zum Geburtstag!

2014.9/27 初出 うこ