03
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 まだ薄ぼんやりと明るい空のなかで、幼い月は、だんだんと白く輝きだす。かわいていた芝生も、しっとりと柔らかく、足に馴染んできて、立ち上がるのが億劫になる。それでも、そろそろ帰らなければ。完全な夜になってしまったら、寒さに震えるだけではすまない。

「お前、このジャムに何かしてるんだろ?」
「……どういうこと」
「薬か、それとも、魔法とか呪いのたぐいか、知らないけどな。白状しろよ、イヴァン」

 空になった瓶を、草の上に転がした。まだ口のなかに、薔薇の香りが残っている。
 あの日から、ロシアはたびたび温室へと足を運び、瓶を手にして戻ってくる。また見つけたと言って、蓋を開ける、その香りを、俺は無視できなかった。何度も問いただしたが、その度はぐらかされてしまい、不思議なジャムの正体はつかめていない。

 俺が秘密の部屋を訪れたのは、あの一度きりだ、おそらくもう二度と行くことはないと思う。ふたりだけの秘密なんて、これ以上いらない、たくさんだ。そう思っているのに、風に香りがただよえば、探さずにはいられなかった。結局、いつも庭のどこかに隠れて、こっそりとジャムを分けあうことになる。こんなことが、いつまで続くのかは分からない。

「な、怒らないから、正直に言えって」

 膝の上でくつろぐことにも、すっかり慣れてしまった。ぽわぽわと温かい頬を、手のひらで挟む。なんだか違うな、と思って、手袋をはずした。きっと素肌で触れあった方が、この馬鹿を甘やかせる。悪いやつだ、俺に嘘なんかついて。

 指の背で頬を撫でると、まるい目がぱちりと閉じた。俺の好きなようにすればいい、という合図だろう。どきどきしながら、飼いならされていない獣を撫でるような気持ちで、手触りの良い髪をくしゃくしゃと乱す。

 襟足から首のうしろへと手をすべらせれば、マフラーのなかに隠されている、ロシアがいつも巻いている包帯の、さらっとした感触があった。慈しむように、そっと、包帯と肌との境をなぞる。そんなことをしても、怒らず、じっとしているので、なかなか殊勝じゃないかと思った。
 痛いことをするつもりは、これっぽっちもない。マフラーを巻きなおしてやり、上からぽんぽんと軽く叩いて、終わらせた。仕上げに前髪をかきあげ、額にちゅっとキスをして、もういいぞと合図する。ぱちっと目が開く。

「どうして、優しくするの?」
「どうしてだろうなぁ、俺様、いかれてるのかな」

 ロシアのぶあつい手をとった。両手で、ぎゅっぎゅっと弄ぶ。丸い爪の先だけが硬く、あとはぽてぽてと柔らかい。楽しい、ずっと、こんな風にしてみたかった。

「俺のこと、狂ってるって思うか?」
「ふふ、うん、君はおかしいよ。でもね、僕も相当いかれてるんだ」
「いつから?」
「君が、僕の名前を呼んだときから」

 早く帰らないと、夜になる。日は落ちきっているのに、西の空だけはまだ明るく、東の空からは白い月が見下ろしている。自分とは、なんのつながりもないように思えるし、道しるべのようにも思えた。このまま夜にとどまっても、きっと美しい。

「君は、いつから?」
「さぁ、な」

 しかし、二人で凍えるのはごめんだ。心を決めて、立ち上がる。おこして、と、子どもみたいに頼んでくるロシアを笑って、その手をひいてやった。笑う理由を見失いそうになる時、この手のあたたかさに、少しだけ救われるのも事実だ。

 庭のなかには誰もいない。さみしい景色が、言葉にしない想いと、甘く重なる。それは風にただよっている。


 





Fin.




Thanks materials!
さらさ / やの





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以下は読まなくてもいい後書きです。




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※同居や館の設定については全て個人の妄想です。

※作品内に登場するものについて、いかなるものに対しても、否定や貶める意思はありません。


宝箱のような部屋は、墓場のつもりで書きました。大事な思い出が死んでいく場所。そんなところに、消失を待つ身のプロイセンさんが立つことで、ロシアさんとの無意識の共感が膨らんでいくわけです。


ひょんなことからロシア大使館にお呼ばれして、紅茶と薔薇のジャムをいただいたことが自慢なのですが、あの味が忘れられなくて書きました。

甘いものを食べると幸せな気分になります。好きな人と一緒に食べれば、素直になれる気がします。その気持ち自体が、宝石のように輝いている気がして……ジャムの瓶を開ける瞬間は、魔法のひとときなのだと思います。


Thanks BGM♪ 《 Smile 》Avril Lavigne




2015/3/15 HARU20無料配布 うこ