04
* * *

 たった、たったと、階段をかけのぼってくる音が聞こえた、特徴的な歩き方だ。また微睡みかけていた僕は、慌てて体を起こした。
 ノックもなく、扉が開く。

「どうした、眠れねーのか?」

 ひょいっと顔だけを出して、ギルベルトは僕を見るなり、にやりと笑った。
 これは何かをたくらんでいる顔だ、でも何だろう。

「今までずっと寝てたんだよ……どこ行ってたの?」

 なぜかは分からないが、彼はなかなか部屋の中へ入ろうとしない。

「……きみ、どうして汗かいてるの?」
「ふふ……驚くぞ」

 ギルがやっと足を踏み入れた瞬間、ふわりと香る。まさか、という予感がしてから、大きな紙袋が目にとびこんでくる。

「ほら! 町中さがして集めてきた」

 袋のなかには、大きな、大きな花がいくつも――立派に花ひらいた、向日葵ヒマワリだった。

 茎はそれぞれ、銀紙にくるまれていたり、無造作に新聞紙が巻かれているだけだったり、様々だ。言葉通り、町中いろんな店をまわってくれたのだろう。
 花束にするわけでもなく、僕がいちばん好きな花を、向日葵だけを、たくさん買ってきてくれた。

「よろこばないのか?」

 そういう彼は、とても嬉しそうだ。白いシーツの上に、ぽんと一輪、大振りの花を置く。

 声にならない僕の身じろぎが、風のかわりとなって、わずかに花がそよぐ。 

「どうして」
「向日葵が見たいって、昨日の夜に言ってただろ」
「……どうして」

 思わず両手で顔を覆った。少しのびてしまった髪が、はらはら、手の甲にかかるのを感じた。
 額は火照っている、たぶんこれから夜にかけて、まだ熱が上がる。

 駄目だ。うれし泣き≠セと、ごまかせたらよかったのに、どうしても無理だ。
 さっきは声にならないと思った、心細さが、悪夢の名残りみたいな情けなさが、口を衝いて出てしまう。

「……こんなに、たくさん、枯れたら悲しいよ」
「……あ?」
「いつか枯れちゃうのに! いっぱいあったら、いっぱい咲いたら……いっぱい枯れるよ」

 ほとほと、泣いた、大好きな花を見つめながら。
 
 鮮やかな色が、白い寝床によく映えている。あぁ、本当に綺麗だ。

 それでも、いつかは失われる。涙がとまらず、困り果てて、さらに泣けてくる。

「…………なんだ、それ」

 ギルはしばらく突っ立っていたが、やがて絞り出すように、言った。

 そして、爆発した。



 びりびりと、すさまじく痛々しい音がして顔を上げる。彼が紙袋を引き裂く音だった。
 大輪の花々が、折り重なるように、ばらばらと床に落ちていく。
 ギルはそれを踏みつぶそうとして、やめた。ううと唸り、絶叫に繋がりそうな呼吸をしたのに、それも堪えた。

 僕の呼吸は速くなり、心臓はどきどきと脈打つ。

「ギル、ごめ」
「じゃあ、俺は、どうすればいいんだよ!!」

 ぐらぐら燃える瞳が見えたかと思ったら、ぐしゃぐしゃになった紙袋が、壁に投げつけられて転がる。

「ごめん、ぼく、は」
「うるさい!! ……っ、なんでだ、ちくしょう……!」

 悲痛な声だった。
 僕に背を向け、ダン、ダンと、地団駄を踏んだ体が、悔しそうに震えだす。どうにもおさえられない怒りを、それでもまだ堪えようとするように、呻きを噛んで、腰を折る。

「なんで、勝手なことばっか……俺は、どうなるんだよ……」
「ギ、ル……」

 涙なんて、全てひっこんだ。呼吸もどんどん速くなる。
 彼のこんな姿は、初めて見る。
 僕は馬鹿だ。とりかえしのつかないことを、してしまった。

「あ、」

 反射的に背をまるめ、口に手をあててから、自分が咳き込んでいることを自覚した。
 体が崩れそうなほど激しい咳が、なかなか止まらない。むりやり口を閉じようとするが、唇が勝手にぶるぶると震えるだけで、やっぱり止められない。

「……イヴァン」

 いつの間にか、ベッドの傍らに膝をついたギルが、背中をさすってくれている。

 暖かい手のひらが何度も上下する。僕をのぞきこむ顔に、もう怒りは残っていない。むしろ何の感情もなくなってしまったようで、疲労だけが、見えている。

「苦しいのか、つらいか? ……水、もってくる」
「いらない!」

 咄嗟に彼の袖口をつかんだ。大きな声を出したせいか、咳はぴたりとおさまる。はっとして、ギルベルトの瞳を、真っ直ぐに見つめた。

「何もいらない。ギル……ごめんね」

 そうだ、たしかに昨夜は、花が見たいと言った。それは嘘じゃない、でも、自分の一番の望みとは、違っていた。

 何かを欲しがれば、きっとこの律儀で優しい友人は、僕の望みを叶えるべく頑張ってしまう。心のどこかでは、ちゃんと分かっていたはずなのに。どうして、向日葵なんて、言ってしまったのか。

 おそらくそれは、一番の望みを、口に出す決心がつかなかったからだろう。
 ひとりの孤独よりも、ふたりの沈黙に怯えていたからだ。

「なんにもいらない……ギルベルト、僕のそばにいて」

 自分の一番欲しいものは、とっくに分かっていた。だけど怖くてたまらなくて、今までずっと言えなかった。

 君を失くすことが怖いんじゃない。

 だって、僕の方が先に逝くのだ。



「そばにいて」

 本当のことは言えない。
 口に出したら、きっと真実になってしまう。君をもっと傷つける。

 ぎゅっと彼の手を握った。

「……わるかった、イヴァン……イヴァン、ごめん」
「ううん、僕こそごめんね……君の気持ち、考えてあげられなくて」

 お花、ありがとう。
 小さな声で感謝を告げると、それよりも小さく、ひっと息を呑む音が返ってくる。彼は布団の上に突っ伏して、僕に見せないよう顔を隠した。

「ちっちゃくならないで、ギル。おいで」

 ベッドの上へと手を引いて、ふたり一緒に寝転んだ。
 決して顔を上げず、声を殺して、僕にしがみついてくる。きれいな銀髪を指で梳けば、ぱらぱら、シーツの上に雨が降りはじめた。

「……ギルベルト、大丈夫、なんにも怖くないからね。僕なら平気」

 もう何も、おそれるものか。僕はひそかに心を決めた。
 君のことは失くさない、失くすことをおそれない。その時がくるまで、大事にする、絶対に。

「……おれを、おいていくな」
「うん、ここにいる、そばにいるからね」

 むずがる子どもをあやすように、とんとん、彼の背中を叩いた。無言で、大丈夫、大丈夫と繰り返しながら。抱きしめれば、あたたかい。

 床に、ベッドに、咲いた花。お日さまが咲いているみたい。君は僕のために、太陽をいくつも集めてくれた。
 眩しいくらいの人生を、与えてくれた。


 窓の外は明るく、部屋の中も静かだ。
 夕暮れには、まだ少し、早い気がした。




Fin.


* * *






以下は読まなくてもいい後書きです。













Thanks BGM ♪
《夕方のおかあさん》童謡


 ミハイル → ミーシャ → ミーちゃん、です。

 このあと奇跡的に病気を治し、竹のようにすくすくと育ち、まわりを拍子抜けさせるイヴァンさんを書く予定でした。今まで世話を焼いてきたギルくんの背も、あっさりと追い越します。……イヴァンが元気になって、嬉しい気持ち半分、複雑な気持ち半分のギルベルトくん。意識しあって、気まずいふたり。そんな成長物語を、いつか書きたいです。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



2014.10/24 初出 うこ