06
 こんこん、と扉をノックする。
「……ギルベルト、中にいる?」
 こわごわ出した声は、冷たい廊下に響いただけ、自分の耳にも頼りなく聞こえた。
 中にいるか、だって? いるに決まってる! 僕はどうして、こうもぼんやりなんだろう。
 返事はなかった。扉に耳をつけてみても、部屋の中はしんとして何も聞こえない。ギルは寝てしまったのだろうか。
「お、おジャマします……」
 そうっとドアを開けて中に入り、誰にも見られないようにと思って、すぐに閉めた。べつに、誰も見ていないのに、一日ですっかり泥棒のマネが上手くなったみたいだ。けれど、さっきよりも胸がドキドキしている。
「ギル……?」
 空気を入れ替えるためだろう、窓が開いている。レースのカーテンがひらひらとはためき、十一月の冷たい風が吹き込む。空にはちいさな星が見えた。すぐに暗くなってしまいそう、もう本当に帰らないと。
 風邪がひどくなったら大変だ、とりあえず、早く窓を閉めてあげなきゃ。そう思って、数歩近づき――僕は動けなくなった。
 星柄のカバーは取り換えられて、今は模様のまったくない、赤い布がかけられている。夕陽のような、薔薇のような赤だ。
 ――ギルベルトじゃないみたい。お姫様が眠っているのかと思った。どうして、そんな風に思ったんだろう、肌が真っ白に見えたからかな?
 今日は、何度も何度も、君を、知らない子みたいだと思う日だ。――悲しそうな顔、これが君の本当の顔なの?
「ぼく、やっぱり……これ、君にあげる」
 やっぱり、どのおもちゃも元気がないと、暗くなってきて余計にそう感じる。
「二つとも、あげるね」
 二つ並んだクマのぬいぐるみを見て、思ったことが自然と唇から出ていく。元気がないと、かわいそうだ、だから。
「ギルがよろこぶなら、何個でもあげる」
 口にして、自分の耳でも確かめてみれば、自信がもてるような気がした。これで間違いないんだ、と、ひとりで満足して、僕はベッドの上にそっとロケットを置く。
「…………ン、」
「ギル?」
 もしかして、起こしてしまったかな。悪いような気もしたけれど、嬉しい気持ちのほうが勝ってしまう。
 起きてくれたら、何を話そう? ギルはさっきのことを気にしているかもしれない、だったら僕は、知らないふりをしてあげるんだ。
 君は恥ずかしがりだから、ぜんぶ忘れてあげる。そう思いながら、今か今かと、起きるのを待つ。
 でも、ギルは目を開けなかった。
「ん……おやじ……?」
 ちいさくて、か弱い声がした。目を閉じたままの、ギルから。
「……ちがうよ、ぼくだよ」
 ちがう、と出した声が震えてしまう。だって、間違えるなんて、そんな……僕の顔を見もしないで。
「ギルベルト? ぼくだよ、イヴァンだよ……」
 自分で自分の名前を言うことが、なんだかすごく、むなしい。
 ――その時、僕は急に何もかもが嫌になった。ロケットが惜しくなった。
 かわいそうも、悲しいも、君が喜ぶならと思った気持ちも、全部が間違いだという気がしてきた。
 ロケットをあげたかったのは、僕の勝手だけど……君だって勝手だ。
 僕の分が無くなったっていい、でも、三つあれば正解だった? きっと、違う。
 君が一番好きな人はお父さんで、二番目に好きな人はきっと、今ここにいない弟で――今ここにいる僕は、本当はどこにもいない。
「君なんか、大っ嫌いだ……!」
 僕は、両手にロケットのキーホルダーを掴んで、ちいさな部屋を飛び出した。そのまま挨拶もせずに玄関を出て、走りだす。
 あの庭の林檎の木も、遊んでみたかった公園も、フリッツさんが淹れてくれたココアも、全て忘れてしまったように、何も見ないで走り続けた。
 走って走って、走り疲れた頃に、泥水がズボンに跳ねた。また水たまりだ――そこで、やっと日が暮れていることに気づいた。
 どうしよう、こんなに暗くなってしまったら、両親に怒られるかもしれない。でも立ち止まって周りを見渡せば、いつの間にか見覚えのある通りまで来ている。家はすぐ近くだ。
 十一月の街角には、もうお祝いの火が灯りはじめている。街ばかりが明るくて、星はかわいそうに、空にぽつんと光りだす。
 僕は心の底から悲しい気持ちになり、ふともう一度、あの部屋のことを思う。あの部屋と、さみしく夕方の空に浮かんでいた、ちいさな星を。
「窓を、閉めてこなかったな……」
 あれが一番星かどうかなんて、どうでもいい。
 僕は優しい子なんかじゃない。




 あの後すぐに冬が来て、僕は十歳になった。これが僕の手のひらに刻まれた、二つ目の記憶――忘れられない¥Hの出来事だ。






Fin.


* * *






以下は読まなくてもいい後書きです。



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Thanks BGM ♪
《子守唄 変ニ長調 OP.57》
F.Chopin - 辻井伸行



twitterでだらだらと続けてしまったお話。


 設定だけ先走りがちで……。二人が仲良くなるまでの過程は、ご自由に想像していただければと思います。


 どんな後日談がいちばん楽しいか、いくつかパターンを考えたのですが、お題提供者とも議論(?)した結果、以下がひとつのハッピーエンドなんじゃないかと。




「フリッツ親父は自分たち夫婦が離婚したことや、弟が母に引き取られたこと、きっともう一緒に暮らせる日は来ないけど、お前が会いたければちゃんと会いにいける……などなどを真摯に話し、ギルは号泣する。

 きっと自分が良い子にならないと、一緒には暮らせないんだ。そんな思い込みから、親父の前では頑なに良い子≠守ってきたギルは、やっと普通の甘えん坊な子どもに戻れる。
 今まで溜め込んだ二つ≠クつの宝物を、全部一つ≠クつに切り離し、弟に渡しに行く。丸一日、兄弟で一緒に遊ぶ。ほとんど兄の記憶を持っていなかった弟は、それをきっかけに兄が大好きになる。別れる時はいっぱい泣く。

 クリスマスが過ぎて、誕生日が来て。親父はギルに可愛い仔犬をプレゼントする。命に同じものはないから、二つ≠ニないギフトだから。とてもとても喜ぶギルに、どんな息子でも私は大好きだよ、お前はひとりしかいない大事な私のギルベルトなんだよ、と言ってあげる。

 ギルは仔犬をつれて、イヴァンに会いにいく。あれから少しぎくしゃくしていた二人は、それからまた少しずつ遊びはじめる。

 イヴァンは頭のなかでギルを変に美化していたのをやめる。対等な友達関係を模索しはじめる。自分に自信をつけなきゃ、と、努力した結果なのか、ポテンシャルなのか、すくすくぽよぽよ成長していく。しかし今度は「一番になりたい!」と一番に固執しはじめ、少し貪欲な面も開花させる。

 二つのロケットはずっと持ったまま。いつか、一番の意味に気づいた時に、やっとそれをギルに渡せる。(たぶん18歳くらいになってる)
「本当はね、僕は君にとって、ひとつだけの何かになりたかったんだ」
「それ、ってなんだ?」
「分からないの? それでも良いけど……」
「は? なんなんだよ、はっきり言え」
「一番じゃなくてもいいから、今、キスしてもいい?」
「えっ、あ、ちょっ……!!」
 家族より大事なものにしてくれなんて思わない。でも、世界でひとりだけの恋人にして。

 そんなちょっとまわりくどい告白が、ギルに理解できるかどうかは分からないけれど、まっすぐで丁寧なキスが気に入ってもらえれば、それできっとハッピーエンド」




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



2017.10/22 〜 10/26 @juouj_offにて
10/29 加筆修正