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その後、彼の事情を教えてもらった。

彼の本名は降谷零。
仕事の都合で安室透として生きている。
ポアロ以外で会った時は、彼から声をかけられない限り別の仕事をしている可能性があるから、声をかけないでほしい、という、それだけの言葉。

「ゆな、とは…?」

ポアロに私が連れていかれたのは、昨日の妹の様子から偶然ではないのだろう。
そう思って聞くと、実は昔、一度だけ会ったことがある、と彼は言った。

「ゆなさんの名前は学生の頃から知っていたし、今の彼女はあの頃の君と瓜二つだったから。
一回り年上のお姉さんは居ないか聞いた。
学生の頃君に一目ぼれした話をしたら、今度連れてくる、と言ってくれて、後は君も知っての通り」
「理解した」

だから初めからやけにうっきうきだったのだ。
十五年越しの恋の行方とか、高校生が好きそうなネタである。
頭を抱えたくなるのを堪えて、私は小さくため息を吐いた。

「ゆなめ…」
「僕は彼女に感謝してるよ。
こうしてまた、君と会えたことも」

するりと私の手を握る彼の手は、先日よりも遠慮がない。

「…あむ…ふる…」

なんて呼べばいいのかわからなくて、私は口を噤む。

「安室で良いよ。
どこかで本名で呼ばれた時の方が、今は困る」

本当は本名がいいけど、と続けた彼の言葉に頬が染まる。
嬉しそうに笑わないでほしい。
その笑顔、見てて眩しくて辛い。

次に聞こうとしていることは、それ以上に頬が染まりそうになるけれど。
私は意を決して口を開いた。

「安室さんは?
私の事、」
「愛してる」

全て言い切る前に、彼はそう言ってちぅ、と私の額に口を寄せる。

「あの後、付き合った人もいたけど。
いつもどこかに君が居た。
君の面影を探してた」

瞼や頬、こめかみ、口の端っこに続けてキスをされて最後には額通しをコツンとくっつけた。

「叶うなら、僕が僕に戻れる日まで、待っていてほしい」

至近距離で見る勿忘草色の瞳は熱を帯びていて、でも放たれる言葉はこれ以上ないくらいに酷い。
でも、私は普通の女じゃない。

「私には推しが居るから。
いくらでも待っててあげる」

そう言うと、それはそれで複雑だな、と、彼は苦笑した。
それから幾日も経たないうちに、彼は私の前から姿を消した。






安室透という彼氏に失踪された私は、相も変わらず金髪碧眼褐色肌のキャラクターをこよなく愛している。
その姿は随分と滑稽に見えるらしく、妹には随分冷たい目で見られた。

「あむぴ、ホントに信じられないんだけど」

家で二人並んでアニメ鑑賞。
そんな中で出てきた私の推しを見ながらそう言った妹の額を小突く。
推しの時間を邪魔した罪は重いのだ。

「探偵さんだから。
何か理由があったんでしょ」
「おねーちゃんはムカつかないの!」
「もう、ムカつくとか、飛び越えちゃったから」

彼が姿を消してから早数か月。
<彼が彼に戻れる日>がいつなのか、私にはまるで分らなかった。
だから、私はこうして待つしかできないのだ。
とは言え、私はあの日の言葉を後悔したことはない。

私と安室さんが付き合ってるのは妹しか知らなかった。
ポアロの榎本さんにとっては「たまたま危ないところを助けた店員と客」という認識だと知ったのは、彼が居なくなってからだった。
そして何より、現実問題、推し活をしていれば月日が経つのは音速よりも早い。
安室さんの事なんかそっちのけで全力で生きている。
…それでも、いつかを待ち焦がれるのだけは、許してほしかった。






あの約束から、一年が経った。
妹が余りにも五月蠅すぎて、半年を過ぎた頃に独り暮らしを始めた。
節度ある推し活のお陰で、思い立ったが吉日で部屋を契約する程度には貯金に余裕があった自分偉い。

引越し当日まで妹がごめんと行かないでのオンパレードだったが知らん。
妹よ、お前も大人になるときが来たのだ。
明日の推し活(イベント)でまた会おう。

結果妹は毎週のように私の部屋に入り浸っている。
引越しても引っ越さなくても環境は変わらなかった。
無念。

とはいえ、平日の夜は流石にひとりきりな訳で。
今になって、昔の彼とのやり取りを思い出す。

水面の反射や、新緑が綺麗に見える理由。
そんな自然や日本のことを教えてもらった時間は今でも宝物だ。

「…戻れる日って、いつよ、ばか」

寂しくなった日に、少しだけお酒を飲んで呟くのも、許してほしい。






そしてその日、私は気付けば車に乗せられていた。

「…え」

職場の目の前に前に見た白のスポーツカー…マツダのRX-7というらしい…が止まっていて、傍に立っているイケメン。
ハニーブロンドに褐色の肌、勿忘草色の瞳を持った彼は私を見つけた途端その首根っこを掴んで助手席に放り投げた。
一緒に飲みに行く予定だった同僚(男)は目を見張って何か言おうとしたが、彼の容姿と様子を見て口を噤んだ。

「…え?」

思わず二回目の疑問を呟くと、ちっ、と舌打ちが聞こえる。
安室さんと言う名の天使はこの世から消え去って居そうな佇まいだ。

「今の男は?」
「同僚ですが」

バッグに付けている精神安定剤(推しぬい)をぎゅむぎゅむしながら答える。
本当に、と目で訴えてくる彼に前見て運転してくれと思いつつ、既婚者子持ち、嫁のプレゼントの相談受ける予定だった旨を伝えると彼は吊り上げていた眉を少し下げて、ごめん、と呟いた。

「私が、あなたを待ってないって思ったの?」

これでも一途に、あなたを想い続けてきたのに。
…推し活除く。

「傍にいる人間の方がいい人種だっているだろ」

私がそんな人種だったら、ここまで推し活に熱を上げていないだろう。

「一人前にヤキモチ焼く前に、言うことあるんじゃないの」
「…ただいま」
「おかえりなさい」

彼の言葉には、間髪入れずに返すと、彼は安堵したように息を零した。
そのままどこに行くのかと思えば、ドライブしよう、と言われる。
一生懸命お仕事した後なので食事がしたいと言えば、ドライブの後で、といなされてしまった。
解せぬ。

おかしいなぁ、もう少し、こう…感動的な再会とかイメージしてたんだけど。
例えば某歌姫Fアニメの主人公しかり、いや、あれはあまりちゃんと帰ってきたところ描かれてなかったっけ。
帰ってきた猫型ロボットとか。
こう、涙を誘うような、再会を。



ドライブの行き先は、夜景が見える丘だった。
東京にこんなところあったのかと思えばどうやら埼玉に少し入ったところだったらしい。
眩しすぎない地上の光は、空の星明りを消すことがない。
降り注ぐような星空とはこういうことを言うのだろう、と自然と思えた。
冬ということもあって大分冷えるがその分空は澄んでいる。
そう言えば、冬の星空の方が澄んでいるという話も彼から聞いたことだったな、と思った。

自販機であたたかい紅茶を買ってきてくれた彼に小さくお礼を伝えて、二人並んで星空を見る。
そうそう、こういうのだよ。
こういうロマンティックとかさ、大切だよね。
うんうん、と頷いていると、彼が私の髪を耳に掛ける。
なんでそういうことを当たり前にやるのか。
こっぱずかしくて私は一歩離れた。

「ひなさん」

再会して初めて名前を呼ばれた。
そう気付いたのは、予想以上に呼ばれて嬉しくなったからだ。

「なに?」

口調が砕けたのは、この一年幼い頃のことを何度も繰り返し思い返していたからだ。
彼もそれがわかっているのか、突っ込んでくることはない。

「俺の天使。
俺と、付き合ってください」
「はい。
よろしくお願いします」

当たり前に悩まず伝えた返事に、彼は嬉しそうに笑う。
星空も無視してお互い足りないというように何度も、何度も何度も口付けを交わした後、来た時と同じように助手席に放り込まれてそのまま彼の家へと向かった。
夕食を所望したことも綺麗さっぱり忘れられて、そのままベッドに放り投げられた私は、翌日の昼まで目を覚ますことはなかった。