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世間は三連休の初日となる今日、珍しく零くんがお休みだった。
そこでふと苗字の話になった。
結婚して早々免許やらなにやらたくさんの書き換えを行ったことが懐かしい。
が、職場ではビジネスネームとして旧姓を使うことにしたので、あまり苗字を呼ばれることはなかった。
お互い知り合いが少ないので来客も少ないし、今のところまだ病院にも掛かっていないので、あたしは苗字が変わった自覚があまりない。
そんなことを言ったら、そんなものか、と零くんに言われた。

「降谷って苗字珍しいし、絶対に気付けなさそう」
「珍しいなら逆に気付くだろ」

少し呆れたような零くん。
幼い顔つきだから昔から変わらない表情は可愛いなぁと思ってしまう。

「えー」

抗議だけはしておくが、あたしが心の中で思ったことに気付いているのか頬を抓られる。

「いひゃいよ」

力を入れていないのはわかるが、零くんの力とあたしの耐久性は残念ながらつり合いが取れていない。
頬から手を放してくれたかと思うと、今度はその頬をがじがじと齧られる。
零くん、肉食動物が過ぎると思う。
頬に限らず、指も齧られるし、行為中もよくいろいろな箇所を齧られる。
痕が残らなければいいのだが、残ってるとき、正直服選びが大変なのだ。
見えるところはやめてほしい。
他人にバレようものならいつかDVを疑われるんじゃないだろうか。

「お腹空いてるの?」

そう聞くと、あぁ、と頷いて彼は咬みつくようなキスをした。

「食べてもいい?」
「普通の意味で聞いたんだけど?」
「僕が君を食べるのは普通のことだから」

いけしゃあしゃあと。
えっちな手つきになってきた手をぺち、と叩いてあたしは立ち上がった。

「残念でした。
お買い物の時間です」

そう言ってルームウェアから外着に着替える。
ソファの背もたれに肘をついてこちらを見てくる零くんの目つきは、夜は覚悟した方がいいかもしれない。
が、生活する中で買わなくちゃならないものは多いのだ。
諦めてもらわなくてはならないこともある。

「零くん、予定空いてるならデートしよ?」

そう聞いてみると、彼はきょと、とした表情をしてから力の抜けたように笑う。
結婚して、一緒に住むようになってから見るようになった表情だ。
少しでもあたしが彼の気が抜ける場所になっているのなら、嬉しいことこの上ない。

「支度する」

ひとりでできる買い物の量ではあるが、二人で行けるならそれは幸せだと、あたしは思うのだ。



薬局や百円ショップ、コーヒーショップなどをはしごしている最中、姿を消した零くんを探しながらショッピングモール内を物色する。
ふと紳士服売り場で零くんに似合いそうなネクタイを見つけた。
零くんのスーツは仕立てのいいものが多く、安物のネクタイでは釣り合わないだろうが、ちょうど見つけたそれはブランド品なのかそこそこの値段がしている。
あたしは上機嫌でネクタイを購入した。
大きめの鞄を持ってきてよかった。
零くんに気付かれることなく持って帰れる。

どうやって渡そうかな、と企みつつモール内をうろついていると、ベンチに座っている零くんを見つけた。

「何してるの、零くん」
「いや…。
買い物、終わったのか?」

珍しく誤魔化し方が雑だ。
どうしたんだろ、とも思うが、隠すということは知られたくないのだろう。
仕事に由来するのか、それとも違うのかもわからないが必要があれば言ってくるはずだ。
鞄の中に零くんに上げるために買ったネクタイがある手前、少しもやっとしたものが残るが、仕方がない。
そういう人だと分かった上で恋をして、結婚をしたのだ。

「あと食品だけだよ」
「行こう。
今日は何が食べたい?」

どうやら作ってくれるらしい。
休みの日くらい休んでほしい気もするが、零くんのご飯は美味しいのだ。
あたしよりもずっと。

「茶碗蒸し」

大好物を言うと、またか、と笑われる。

「だめ?」
「いや、いいよ。
今日は具材いつもと変えようか」
「やった!」

頭をぽんぽんと撫でてもらえばほっこりと嬉しさが募る。
忙しいと顔すら合わせる時間がない零くんとの時間は全てが宝物だった。






翌日、三連休の中日。
世間はもちろんお休みだが、零くんの仕事にそんなことは関係ないらしくいつも通り朝早く出勤した。
だが、そんな零くんが珍しく午後には帰ってきた。
どうしたのかと思えば、仕事の都合で午後は在宅勤務になったらしい。

「部屋にいるから、何かあったら声かけてくれ」
「うん。
コーヒーいる?」
「頼む」

零くんのを淹れるついでに自分の分も淹れる。
最近買ったお揃いのマグカップだ。
ミルクだけ入れて持っていくと、彼はもう集中していた。
サイドテーブルに置いて、その背中堪能してからそっと扉を閉じた。

零くんが仕事をしている姿は中々見れないから、こんな時はちょっとテンションが上がってしまう。
安室さんとして喫茶店の店員さんしてるときもかっこよかったが、やっぱり安室さんは安室さんなのだ。
本来の零くんを知っていると、安室さんよりも零くんがかっこいいと思ってしまう。

昨日買った後、鞄の中で眠っているネクタイ。
少しモヤっとした思いがあったせいで昨日は渡せなかったけど、今日こそは渡そう。
そう心に決めて、あたしは夕飯の献立を考え始めた。



午後三時、映画を流しながら掃除をしていると、オートロック側のチャイムが響く。
珍しいな、と思っていると宅配らしい。
なお珍しい。

部屋のチャイムが鳴った後、扉を開けると宅配のお兄さんが真っ赤なバラの花束を抱えていた。

「え」
「降谷ひなさんですか?」

呼ばれなれない苗字が耳に届いて、また、え、と呟いた。

「降谷ひなさん宛にお荷物です」
「あ、はい、自分です」

少し前の病原菌問題から受領印がいらないパターンが増えていて、今回もそうだったらしい。
宅配のお兄さんは花束と伝票だけ渡して去っていった。

「すごい花束…」

バラは高いと聞くけど、一体誰が…。
伝票を見ながらリビングに戻ろうとしたあたしの視界に零くんが立っていた。

まさか、と思って伝票を見ると、送り主は降谷零、目の前のひとだった。

「…れぇくん」

思わず名前を呼ぶと。
彼はいたずらが成功した、と言わんばかりに笑っている。

「降谷ひなさん」
「ずる…」

ぼろ、と涙が零れた。
泣くつもりはなかったが、嬉しすぎた。

「もー、かっこよすぎ…」

苗字の話だってしたのは昨日だったのだ。
そう思って、理解した。

「…昨日、いなくなったのって」
「気付くなよ」

いや、流石にわかるだろう。
いなくなっていた間、花屋さんに行ってくれていたのだ。
この花束の為に。

「ありがとう、零くん。
本当に、嬉しい」
「どういたしまして」

あ、と思い至って、あたしは花束を抱えたまま部屋まで駆けた。
どうしたのかと零くんも後をついてくる気配がわかる。
鞄の中の箱を取り出して、零くんに差し出す。

「いつもありがとう、零くん」
「…僕に?」

彼の問いに頷いて、箱をずい、と彼に託す。
開けてもいいか、という彼の言葉に頷いて、あたしは彼が箱を開くのを見ていた。
中に入っていたネクタイは深い蒼だ。
零くんの瞳の色によく似合うと思った。

「ありがとう、嬉しいよ」

花束を潰さないようにキスをした。
唇が離れた後、さっそく花瓶に生けようと思った花束を取り上げられる。

「え」
「ハロ、おいで」

そしてハロ招集だ。
どうしたのだろう、と思って後を追うと、花束はさっと零くんが生けてしまったし、ハロにはいつもよりだいぶ時間が早いのにご飯をあげている。
どうしよう、凄く嫌な予感がする。
逃げようとしたあたしのお腹にするりと腕を回した彼はあたしをひょいと抱きかかえた。
向かう先は寝室だ。

「ひなはこっち」
「ちょっと…!」

あたしはそっちじゃない、と足をばたつかせるが、零くんとの身長差はそこそこあるので地にかすりもしない。

「昨日食べなかった分、残さず食べるから安心しろ」
「安心できない!」

がり、と首の後ろを咬みつかれて痛、と声が零れる。

「三連休でよかったな、ひな?」

余計に安心できなくなる一言を言われて、あたしは痛みと相まって涙目だ。
助けて、言おうとした言葉は、重ねられた唇でかき消された。

宣言通りしっかり抱き潰されたあたしは、翌日布団から起き上がることができず、布団に遊びに来たハロと寝る一日を過ごしたのだった。