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彼が早く仕事が上がれた日、彼はノートパソコンを持ってこれからのことを話し合いに来た。
主に引っ越しや式、入籍日のことだ。
「式はしなくていいんだけど。
ウェディングフォトは撮りたいかも」
正直、出席してくれる人がいない。
お互い家族がいないし、友達も少ないし、職場の人間ばかりというのもしんどい。
なら式は正直しなくていい、というのがあたしの本音だ。
そう言うと、零くんはよかった、と笑う。
「僕と同じだ」
考えてもみてよ。
ミルクティーブラウンの髪、ブルーグレーの瞳に褐色の肌。
こんな彼が白のタキシードなんか着た日にはあたしが死ぬ。
見たい。
隣にいるのが自分だとしても、この世に残さなくちゃいけない写真は存在する。
あぁ、でも黒も似合うだろうし、ライトグレーとかのナチュラルな色合いも似合うだろうなぁ、とニヨニヨと彼を眺める。
あぁ、でも待って?
洋装もいいけど、絶対に和装も似合うだろうなぁ。
紋付き袴の零くん。
だめだ、見た過ぎる。
着てくれるかなぁ…。
「そんなに物欲しそうな目で見られたら、期待に応えないといけないだろ」
あたしの視線を勘違いした零くんが、そう言って人の首筋に唇を寄せる。
そんな彼を全力で押し返したが、当然のようにびくともしなかった。
「ち、がう!
和装も洋装も似合うだろうなって思っただけ!」
「ふむ…」
首筋から顔を上げてじぃ、と目を見つめられる。
「じゃあ両方着ようか」
「え…いいの?」
「元より金に困っている訳ではないし。
式しないなら尚更、フォトに金も時間も掛けていいだろ。
それに」
ひょい、と彼はあたしを膝の上に乗せて笑う。
「僕も、君のウェディングドレス姿も、カラードレスも、白無垢も、色打掛もみたい」
なんか、色々増えてるけど。
きっと彼も、あたしと同じくらい浮かれているのだろう。
それが嬉しくて、あたしは頷いた。
二人でひとつのノートパソコンを覗き込んで、新居を探す。
あくまで賃貸で2LDKだ。
一部屋は零くんの仕事部屋となる。
今見ているリストは、零くんの仕事的に譲れないところは既に精査済みで、その条件をクリアしたものらしい。
立地と家賃、キッチン等条件を鑑みて何件か内見を申し込む。
近頃は比較的安定して休みが取れるようになったそうで、予定は明後日だ。
「家が決まったら家具も見に行かないとな」
「そうだねぇ…」
リビング周りに、寝室に…、と考えたところで、恐らく人の気配に敏感なのだろう。
眠りが浅そうな彼を思ってあたしは問う。
「ベッド、シングルふたつにする?」
「え、なんで?」
間髪入れずに聞き返されて、考えていたことを告げるといやだ、と否定された。
「部屋のサイズにもよるけど、ダブルかセミダブルにしよう」
「眠り浅くなったら仕事に支障出ちゃわない?」
「問題ない。
ひなと眠れたほうが嬉しい」
サイドの髪をさらりと耳に掛けられた。
その際に頬に指が触れて、まんまとドキリとしてしまった。
なんやかんやで引っ越しと入籍をしたあたしたちは家族となった。
薬指のお揃いの指輪はシンプルながらも質の良さがわかる質感で、指に馴染んだ。
今日は小物を揃えよう、ということで近くのショッピングモールに外出に出ていた。
なんとなく目についたキッチン用品のお店を覗いているが、片っ端から持ってる、必要ないのオンパレードで本当にこのひとは、と開いた口が塞がらない。
隅に展開されている食器を眺めて、あ、と呟く。
「ねぇ、零くん。
マグカップお揃い買わない?」
あたしは一人暮らしが長かったので食器はそれなりに持っていたが、零くんは物を持たないようにしていたらしく、料理皿は複数あったけれどマグカップなどは数が少なかった。
「いいよ。
どれがいい?」
快諾してもらえたことが嬉しくて、端からマグカップを眺めていく。
中にはハロに似た犬が描いてあるものもあって、二人で笑った。
男女のペアだと、青と赤になるが彼は赤が好きではないらしい。
あたしが使うんだからいいじゃん、と言ったがあたしが使うことの方が嫌だと言われてしまったらどうしようもない。
しかも、この際だから言うが、赤い服と下着も本当は捨てて欲しいとまで言われたらもう開いた口が塞がらなかった。
閑話休題。
赤に関してはいつかまた話す機会があったらにしよう、とそっと端に追いやった。
結果、白地にグレーの柄が入ったものをふたつ購入した。
色々買い物を終えてひと段落したところで、二人で喫茶店に向かった。
順番待ちをしていると、あれ、と聞きなれた声が聞こえる。
「ひなさん!
こんにちは」
梓さんだった。
ちらりと零くんを見ると、無反応を決め込んでいる。
「こんにちは、梓さん。
お買い物ですか?」
「はい!
洋服買おうかなーって思って。
ひなさんは…え、安室さん?」
にこにこと笑っていた彼女は、あたしの横に座る零くんを見て目を丸くした。
「あ、梓さん、実は」
「えー!
お久しぶりです、元気でしたか?」
彼女に声をかけられて、彼は驚いたように目を丸くした。
そしてあたしに視線を向けて首を傾げる。
「ひな、こちらは?」
それがあまりに自然で、相手の様子がおかしいと思った彼女はあれ、と呟く。
「あの、梓さん。
彼、あたしの学生時代の…」
そう言うと、梓さんはあたしと彼を見比べてから、あっと声を張った。
「もしかして、安室さんにそっくりって言ってた?
えー!
本当にそっくりですね!」
「零くん、あたしのお気に入りの喫茶店の店員さんで、梓さんっていうの。
その喫茶店に、零くんそっくりの店員さんがいて。
今はもう辞めちゃったんだけど」
言いながら、あたしは何を言ってるんだろうなぁと目が細くなっていく。
「降谷です。
ひながお世話になってます」
無表情、というわけではないけれど、安室さんモードから考えたら表情筋が乏しい笑顔で彼は言う。
「榎本です。
こちらこそ、ひなさんにはいつもお世話になってます!
今度良ければお店いらしてくださいね」
「はい、機会があれば」
「二名でお待ちのフルヤさまー」
零くんがそう言ったタイミングで喫茶店から声をかけられて、あたしたちは梓さんと別れた。
席に座って注文をしてから、はぁ、とため息をついた。
「めっちゃドキドキした…」
「お疲れ様」
さっきよりも柔らかくなった零くんの笑みにじと、とした視線を送ると、彼は苦笑した。
「安室透はもういない。
そう言っただろ?」
「いや、そこじゃなくて…」
そう言うと、他に引っかかる点があるのか、と彼は首を傾げる。
「よくそこまで他人ですって顔できるなぁって思ったんだけど。
よく考えたら、あたしと会ったときもそうだったよね」
「…ごめん」
神妙な面持ちで謝られて、あたしは言葉を間違えたと気付いた。
「ごめん、違うの。
責めてるわけじゃなくて…。
徹底して芝居できるのがすごいなって。
あたし、顔出ちゃいそうだから」
「あぁ…ひなは確かに、顔に出るだろうな」
悩まずに言われたことがちょっと悔しい。
改めてじと、っと彼を見ると、彼はあたしの頬にその手を伸ばしてくる。
何かと思うと、頬をグイ、と抓られて思わずいた、と呟いた。
「いいんだよ。
ひなは、そのままで。
僕がこういう人間な分、そのままでいてくれないと困る」
安室さんの笑みは浮かべず、澄ました顔で言う彼は、どこまで行っても降谷零だった。
「…そうだよね。
降谷くんってこんなだったよね」
過去を思い返していたせいか、降谷くん、と口を滑らしたあたしの呟きに反応して、ぎゅむ、と抓った指が強くなる。
「いたぁぁ!」
思わずその手を払って頬を抑えると、彼はジロリとあたしを見た。
「…僕の手を払うのか」
「ひぃ」
痛いから反射で払っただけなのに、凄まれて思わずびくりと肩を揺らす。
「帰ったら覚えておけよ」
そう言った降谷くん…否、零くんはどこまで行っても昔の零くんで、安心するような帰るのが恐ろしいような、泣きたい気持ちにさせられた。
ベビーフェイスとは裏腹に、地雷を踏みぬくと途端に恐怖政治が始まる零くん。
普段は、あまりあたしに地雷を敷かないように気を付けているらしい、が、ゼロにはできないらしい。
食料品の買い出しを最後に、家に帰った瞬間に玄関で息が続かなくなる程のキスを受けて腰が砕けた。
上がり切った息で多分顔も人様に見せられないくらい真っ赤になったあたしは、零くんの身体に縋りつくように腕に力を入れるが、自重を支えられるほどの力が入らなくて床に座り込む。
そんなあたしに満足したのか、自分の唇をぺろりと舐める彼は色気に満ちていた。
なんで零くんは息一つ乱れていないのか。
これが経験の差なのか、体力の差なのか、その両方なのか。
「…立てない、起こして」
両手を伸ばして彼に請うと、彼はやっぱり満足そうにあたしを抱き上げてソファへと座らせてくれた。
膝を抱えて座るあたしを見て、小さな子供を見るように慈しみを含んだ目に変わる。
「かわいい」
ちゅ、とリップ音を立ててこめかみにキスをする彼の髪が頬をくすぐって身じろぐ。
それを逃げたと受け取ったのか、今度は顔を固定して頬や瞼、首筋等至るところにキスを落としていく。
「や、もう…髪くすぐったい」
素直に言葉にして降参すると、彼はクツクツと笑った。
「ひなはくすぐったがりだよな」
「そんなことないよ」
あるよ、と言いながら今度は耳を齧られた。
びく、とくすぐったいのとは別の反応をすると、わかっているのだろう、齧ったところをべろりと舐める。
舌のざらつきがくすぐったいなんてものじゃない。
「ちょっと!」
抗議の声を上げると零くんは楽しそうに笑った。
おそらく今日はこのまま彼の玩具になるのだろうなと容易に察しが着いて、あたしは日が暮れるまでの時間を数えた。