青、ときどき赤



警察庁警備局警備企画課。
簡単に言うとそこの部内庶務として配属されてから、肌の治安が守れたことがない。
警察という仕事を選択した時から覚悟はしていたが、現場に出ることがなく内勤続きでも、丸の内OLみたいなきゃっきゃうふふからは程遠い。
そんな生活を一年続けた後、新しいゼロの到来と共に状況は変化を見せた。

所謂、改悪である。



所謂ノンキャリ組から異例の警察庁入りをしたゼロは、名前を降谷零。
ゼロになるために生まれてきたのかという名前と素質を持ち合わせていた。

彼が来るまでは定時とは言わずともその日の内に帰宅できたが、彼が来てから積み重なる書類の量が倍に増えた。
一人で他の所属員全員と同等の数を寄こしてくるのだ。
なんだ、この人。
お陰で徹夜も発生するし、泊まり込みも発生する。
彼が来てから早七年。
そろそろ事務員ポジにも後輩が欲しい。
以前の裏の理事官にも、そして現在の裏の理事官にもそう伝えてはいるが、今はその降谷さんの受け持つ組織の対応が重要な局面で、どこに組織の手の者がいるかわからないから耐えてくれと暖簾に腕押しになって三年。
重要な局面っていつまで続くのかな、と白目だ。
せめてもの救いが、週に一回の非番だけはきちんと確保されていることだ。
数か月に一回は潰れるが、余程の案件がない限りは休める。
有難いことこの上ない。
神はここにいた。

ピピピ、と軽快な音を立てて社用スマホに連絡が入る。
この公安という組織、一応固定電話は存在するが、基本的に鳴ることはない。
固定電話が鳴るときは、潜入している捜査員の危機的状況のみだ。
鳴らない方が幸せなのだ。

私は警察庁の人間だからわからないが、数年前に警視庁公安の固定電話は鳴り響いたらしい。
その結果は、書面だけで知っている。

特に番号も見ずにスマホの電話を取ると、第一声はいつもの一言だ。

「僕だ」
「お疲れ様です」

そもそも。
ここまで高頻度で電話してきた挙句仕事を押し付けてくるのはこの人だ。

「昨日渡したデータは?」
「あと三十分で送ります。
夜に来ていたものは今日中に」
「わかった」

データを渡す予定だけ伝えると、彼は納得したように肯定した。

「今、仕事は溜まってるか?」
「いえ…。
今週は安室さん業が多かったですし、他の方も落ち着いていたようで」

明日は非番だが、よほどのことがない限り休めるだろう。
今週も人権は死守できたようだ。

「…明日、なんだが」

そんなことを思っていた矢先、不穏な言葉を紡ぎ始めた年下の上司。
ぐっばい私の休日、と思いながら続きを待つ。

「昼食を取りにポアロに来てくれないか」
「なんですって?」
「聞こえなかったのか?」

思わず聞き返すと不機嫌丸出しの彼。
メールでは送れないほどデータ量が多いときぐらいしか直接顔を合わせない上司の表情がアリアリと目に浮かぶ。
これってパワハラだと思うんだけど、と思うがそれは口にできない。
この公安というチーム、悲しいことにそれが罷り通ってしまうような前時代社会だ。
早く時代に追いついてほしい。

「昼食取りに行けばいいんですか?
何かデータとか」
「ない」

頼んだぞ、と一言置いて電話を切られる。
否、もう少しホウレンソウのやり方ってものがあるよね?
意図は?
服とか適当でいいの?悪いの?

本日何度目かわからない溜息をついて、一分一秒でも早く帰るべく私は仕事にとりかかった。






昨日は無事終電の三十分前に帰れた。
奇跡だ。

上司のよくわからない依頼を決行すべく、いつもよりも少し堪能した睡眠から体を起こし、ざっと部屋の掃除をした。
仕事の資料は持ち帰ることができないものがほとんどなので、洗濯や掃除だけすれば綺麗が保てるのは唯一の救いか。
…ちょっと切なくなってきた。

何を着ていくかは正直悩んだが、何か現場に出てドンパチするわけではないだろうし、私服の延長でいいか、と一目惚れして買ったはいいが中々着る機会に恵まれないワンピースに腕を通す。
久しぶりに職場に行くときとは違う化粧もして、行くお店に降谷さんがいるとはわかりつつも、少しテンションが上がった。
日々に潤いって大切だと思う。

向かったポアロは、データの受け渡しの時に行くお店だ。
まだ数回しか行ったことはないが、マスターも梓さんもいい人たちだとすぐにわかった。
大学の同期という設定で、仕事中よりも少し砕けた会話を求められる。
騙しているようで申し訳ないが、仕事の一つ、と心を鬼にしてポアロに向かう。

カラン、と響くドアベルを聞きながら、お店のドアを開く。

「いらっしゃいませ」

迎えてくれたのは降谷さんだった。

「こんにちは、安室くん」
「あぁ、こはるさん。
お店では久しぶりですね」

にっこりと笑うベビーフェイス。
褐色の肌にミルクティーブラウンの髪、蒼い瞳に整った顔立ち。
これが全て天然なのだからそれはもうモテるだろう。
そして安室透は降谷零と違って万人受けする優しさを持っている。
私自身はじめはあまりのイケメン具合に目の保養だ、私の職場環境に花が来たと喜んだものだが、中身はパワハラ・無茶ぶり・鬼の塊なので、私の恋愛対象からは知り合って一か月ほどで外してある。
ほんとムリ。

そもそも、本来登庁できないポジションのはずなのになぜ時折しれっと来ているのだろう。
組織にバレて死にたいのかな?と正気を疑ってしまう。
…閑話休題。

結局何のために呼び出されたのか不明のため、いつも通り彼の話術に沿うようにアドリブを利かすしかないのだ。

「ランチですか?」
「うん。
仕事の日は忙しくて中々外出できないし、休みの日にたまにはご褒美しようかなって」

しれっと嫌味を混ぜてみるが、彼はお仕事大変なんですね、と微笑んで躱される。
カウンターの端をキープしてくれていたのか、そこに案内されて昼食を注文する。
…これ、領収書切ってもいいかな。

接客を終えた梓さんにこんにちは、と挨拶を受けて同じように返す。
ちょっとした雑談なんかもしていると降谷さんはすぐに食事を持ってきてくれた。

「お待たせしました」
「わ、美味しそう!」

湯気が立ってるご飯っていつぶりだろう。
先週の休み以来かな、なんて悲しくなる考えを脳の端っこに追いやってあたしは料理に舌鼓を打った。

「これも安室くんのレシピ?」
「えぇ、この間採用してもらったばかりなんです」

このひと、公安なんかやってないで飲食店でもやった方がいいんじゃないだろうか。
人気店のイケメンシェフ枠でテレビの仕事とかも増えそう。
なんて阿呆なことを考えるが、この人好きのする笑顔は演技だし、恐らく彼は栄光や名誉なんかよりもただこの国を守るという仕事の方が大切なのだろう。

難儀だな。
毎日のように神経をすり減らして、悪事に手を染めて、あの人は組織に言われて一体何人の人を殺したんだろう。
もちろん、超法規的に彼の悪事はなかったことにはなるけれど。
時には死地を彷徨って大怪我もして。
ヒーローもびっくりな偉業を成し遂げてるのに、その偉業を知っている人は警察組織の中でもほんの一部だ。

「考え事ですか?」

ふと、降谷さんに言われて私は息を飲んだ。
気が付くと食事の手が止まっていて、湯気がなくなっている。
悲しい。

「あ、あはは、ちょっと仕事の事考えちゃった」
「こはるさんがすごく頑張ってるのは知ってますけど、休みの日くらいはゆっくりしてくださいね」

…その休みの日に呼び出されてるんですけどね、上司に?
なんて考えたことは当然心に隠して、ありがと、と返した。



食後にカフェラテを飲んでいると、彼がエプロンを外して隣に座る。

「…あれ?」

思わず首を傾げると、彼はにっこりと笑う。

「僕、もうシフト終わったんです」
「あ、そうだったんだ。
お疲れ様」
「そうだったんだ、って酷いですねぇ」

そっと彼の手が私の頬に触れて、頬に掛かっていた髪を耳に掛ける。

「昨日ちゃんと言ったじゃないですか。
ポアロで待ち合わせして、デートしましょうって」

ざわ、と店内の空気が色めき立った。
待ち合わせ?デート?そんなことは一言も聞いてませんけど?
昼食を食べに来い、としか言われてませんけど?

「忘れちゃったんですか?」

にっこりと笑ったその目は全く笑っていない。
ひぃ、と心の叫びは表に出さないことに成功、グッジョブ私。
眉尻を下げてごめんね、と呟く。

「昨日、お酒飲んでたせいかな」

秘儀、全て酒のせい。
あぁ、と思い至ったように頷いた彼は目を細める。

「確かに、少しぽあぽあしたこはるさんはとっても可愛かったですね」

はい、昨日も一緒にいた設定なんですね!

ところで降谷さん、気付いていますか。
さっき一瞬で色めき立っていたのに、今はこのお店にいる全員が私と降谷さんの一挙一動に集中してるんです。
正直怖いんです。
こんな展開ならちゃんとした服着てきてよかったとか思う気持ちも浮かんだりもしたけどそんな余裕なくて一瞬で忘却の彼方。

「恥ずかしいからやめて…」

両手で顔面を隠す仕草で表情を閉じ込める。
一瞬真顔になって落ち着け自分ビークール。

「恥ずかしがってるこはるさんも可愛いですよ」
「もー!」

声だけは恥ずかしがる。
あと三十秒ください、と思いつつ顔面だけはどうにか落ち着けてカフェラテを飲む。
あぁ美味しい。

「恥ずかしがってるのも可愛いんですが、そろそろ外でも透って呼んでくれませんか?」

飲んでるカフェラテを吹き出さなかった私を褒めてほしい。

「な、なな…」
「ね?」

ベビーフェイスが近付いてくる。
私、大丈夫かな。
真っ青になってない?
いや、たぶん大丈夫。
だってイケメンだもの。
パワハラ横行している鬼上司ってことさえ忘れれば普通に緊張できる。

「こはるさん」

綺麗な唇が、私の偽名を形作る。

「と、とーる、くん」

普通に、緊張する。
また両手で顔面を隠して机に突っ伏す。
そんな私の頭を撫でながら、降谷さんは満足げな声でよくできました、と言った。

私のカフェラテを当たり前に飲み干した降谷さんは、私の手を引いて私の食事代を支払い店を出た。

扉が閉まる直前、女性の絶叫が店を震わせたのは聞き間違いじゃないだろう。

「ふ、あ、あむ、とーる、くん…。
これは、なんで」
「…どもりすぎです」

ぎゅう、と強く握られた手は、多分全力で振りほどいても振りほどけない。

「僕にも、逃がしたくない相手っているんだよ」

ひぃ、と言いそうになったのを懸命に堪えて、頭一つ分上にある彼の顔を見上げる。

「さぁ、こはるさん?それともひな?
安室と僕、どっちとデートしたい?」

選択権があるのか、ないのか。
わからないながらも、私はどうにか答えを呟いた。
恋愛対象からは削除したはずの、上司の名前を。