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目を覚ました時に見えた景色は、デジャブを感じた。
否、デジャブなんてものじゃない。
あの時と殆ど変わらない景色だ。
色の着いたカーテンに、ギター。
ここが誰の部屋かはすぐにわかった。
ただ、部屋自体は変わっているようで、部屋の物の配置や壁の色なんかもまるごと変わっていた。
どれほど眠っていたのかは分からないけれど、どうやら足は綺麗に治っているようだ。
あの日バーボンに撃たれた足も、その前にキュラソーとことを構えた時の足も、動かしても痛むことはなかった。
柔らかくて温かい気持ちの悪いベッドの上を抜け出して、冷たい床の上に寝転がる。
ひんやりと身体の熱が消えていくのがわかって、私は息を吐いた。
バーボンがくれた温かさは有難いと思う以上に恐ろしかった。
彼は私が何をしていたのか知っている。
同じ穴のムジナなんかじゃない。
彼は正義の人だ。
私とは、正反対の。
「知りたくなかったな」
もし、彼が正義だと知らなければ、もう少し別の道があったのだろうか。
玄関の扉が開く音が聞こえて、私は頭を抱えた。
少しの水音が聞こえたあと、部屋の扉が開く。
「…」
彼が息を吸ったのがわかった。
足音がふたつ、近付いてくる。
「…ひな」
彼が呼んだのは私の名前だ。
いや、違う。
私は、そんな名前じゃない。
私はスティルだ。
殺戮を繰り返すだけの人形。
その名前で、呼ばないで。
「スティル、あなたの名前でしょう」
「違う」
「二城ひな。
リストにあったんですから、あなたも自覚はあるのでしょう」
当たり前だ。
ママは組織の仕事を始めるまで、ひなと呼んでいたのだから。
でも、違う。
私はもうひなじゃない。
ママも、仕事を始めてからは私のことをひなとは呼ばなかった。
「私はスティル…ひななんて、知らない」
「いいえ」
バーボンは私の肩を持ち上げて体を起こす。
いくら抵抗してもバーボンの力には敵わなくて、頭を抱えていた腕も解かれた。
目の前には最後に見たバーボンと変わらない彼が、バーボンよりも、安室透よりも厳しい顔でそこに居た。
あぁ、これが降谷零、なのか。
言われずともわかった。
その瞳は真っ直ぐで、綺麗で、私なんかとは違う。
相容れない人だと思い知らされた。
「二城ひな。
これは、君の昔の名前だろう」
「っ、だったらなに?
でも私は、二歳で二城じゃなくなったわ。
ママに拾われて、️ママが育ててくれた。
そんなママが、私をスティルと呼んだの。
なら私は、スティルよ」
たくさんの人を殺した、殺人者だ。
「いや、違うな」
「なんで!」
「ベルモットはひなをスティルと呼んだんじゃない」
この男は、何を言っているのか。
この男との付き合い以上に長く私はスティルと呼ばれてきたのに。
「組織の女をスティルと呼んだだけだ」
「だから、それは!」
「君のコードネームは組織で付けられたものではない」
ピシャリと言われた言葉にたじろぐ。
確かにそうだ。
私はスティルとして広まっていたけれど、それは仕事を始めた初日からママが私をスティルと呼んだから。
「君は、この名前の意味に気付かなかったのか?」
「意味…?」
何を言っているのだろう。
分からなくて、私は彼の表情を伺った。
「スティルワイン。
ベルモットと違い、混じり気のない純粋なワインだ。
発泡性もない、酒精強化ワインでもない、ましてや混成ワインでもないただのワイン。
ベルモットは君は自分とは違う、君を純粋な子だと呼び続けていたんだよ」
知らない。
そんな話、聞いたことない。
私が頭を振ると、彼の指が強く肩に食い込む。
「ベルモットは最期まで、君を想っていた」
「しら、ない…」
「君が、組織から…スティルから解放されることを僕に託した」
「そんなの、知らない!」
「ひな!」
一際大きな声で彼に名前を呼ばれて、ぼろりと、涙が零れた。
一粒流れると、二粒、三粒と涙は止まらなくてボロボロと溢れてくる。
彼は、最期まで、と言った。
思いを、彼に託したと。
それが意味する言葉は、…。
「ママは、もう、いないの?」
「…あぁ。
彼女はもうひとつの大切なものを守って逝ったよ」
ママの大切なものは知ってる。
エンジェルとシルバーブレッド。
ママの唯一。
「うぁ…」
思わず声が零れる。
みっともない泣き声。
ひっく、としゃくり上げると、彼は肩から手を離して、その手を私の背中に回した。
彼は何も言わなかったけれど、あやすように私の背中をポンポンと叩いていた。
遥か昔、ママが眠っている私にそうしてくれた事を思い出した。
起きている時ママはいつも厳しくて、私をいないもののように扱っていたけど。
私が眠っていると頭や背中を撫でてくれた。
私はママにそうされるのが好きで、止められたくなくて、途中で起きてもいつも寝たフリをしてた。
ママの手とは違う大きな男の人の手。
それでも、温かさはあの時のママと同じもので、私の涙は中々止まらなかった。
彼は…降谷零は、ただずっと、泣きじゃくる私を抱きしめていた。
時間の経過は分からないが、私が泣き疲れて涙も乾くと、降谷零は私から少し距離を置いた。
「君が、二城ひなを望まないなら、僕が君に名前を上げてもいいか?」
「え?」
寝起きに感情のジェットコースターを経験したせいか、思考回路は完全に麻痺していた。
そんな私の手を大事そうに握って彼は微笑む。
「降谷ひなになってほしい」
「ふる、や…?」
私が初めて見るバーボンでも安室透でもない微笑みは、あまりに綺麗で、私は深く考えずに頷いた。
「まぁ、書類上はもう降谷ひななんだけど」
「え?」
どういうことかと聞くと、彼ははぐらかすように笑った。
「少しはお腹空いてるか?」
「ん…多分?
ゼリー」
「は、だめだ」
私の言葉を真顔で遮る。
ついさっきまで笑っていたのに忙しい人だ。
むぅ、と唇を尖らせると、彼は耐えかねたように吹き出した。
「おいで。
家の中を案内するから」
そう言って差し出された彼の手を握って、私は自分の足で立ち上がった。