――鳴り止まない、歓声を浴びる。

「っ、!」

歌い終わった後の僅かな静寂を覆い尽くすように、会場中を大歓声が埋める。俺は、その大きさに圧倒されて、少しよろけそうになったけれど、それを隠すよう、足に力を入れる。
横を見れば、晴れやかな表情で大きく腕を振る輝さんと、歌の途中で眼鏡をかなぐり捨て、素顔のままで観衆に応える薫さんがいた。


――俺も、観衆に応えなければ。

そう思い手を振ろうとした瞬間、耳にはっきりと声が届く。

『――翼さん!』

顔を向けると、舞台袖につむぎさんが親指を立てて笑っている。

『つむぎ、さん。』

その笑顔を見ると、何故だか居ても立っても居られなくなり、俺は舞台袖へ走っていく。そして周りの目を憚らずに、彼女を思い切り抱き締める。

俺、頑張りましたよ。見ててくれましたか。つむぎさん、つむぎさんに伝えたい事がいっぱいあるんです。聞いてくれませんか。
抱き締めながら、矢継ぎ早に告げる。彼女は抱き締められたままで、表情は伺えなかった。


『つむぎさん、俺…。』


すうと息を吸った瞬間、つんざくような音が鳴り響く。


かみな、り。なんで、今、雷が。
どうして。ここは屋内のはずなのに、なんで、どうして、こんなに大きく雷鳴が聞こえるのか。

俺は舞台袖とはいえ、ステージの上だということを忘れ、呆然と立ち尽くす。

『――。』

誰かが呼んでいる声がする。輝さん、それとも、薫さんだろうか。
わからない。かき消すように雷鳴が聞こえるから、何も聞こえない。

『―さん、』

腕を、引かれる。だけど俺は根が張ったようにその場から動けずにいた。
辺りが暗い。照明は、いつ消えたのだろうか。

(あれ…ぷろ、でゅーさーさん?)

腕の中にいたはずの彼女が、居なくなっている。
さっきまで、そこに居たはずなのに。

『つ…さん、』

彼女を、どこに、失ってしまった?
呼吸が荒くなり、心臓が早鐘を打つ。


――また、嵐の中で大切なものを失ってしまった?
そう思うと、粟立つように全身が震えた。

『つば…さん!』

助けて、誰か。
この暗闇から、俺を、引き上げて下さい。


誰でもいい。ここから連れ出して欲しい。そう思うと俺は、暗闇に向けて無我夢中で手を伸ばす。


『翼さん!』


何かが、手に触れる。その瞬間、辺りがばっと光に覆われる。
雷?それとも別の何か?考える間も無く、意識は真っ白になった。





「――翼さん?」

耳に声が届く。重いまぶたを上げると、ぼんやりとした視界に、ベッドに起き上がったつむぎさんの顔が見える。…なんだか心配そうな表情だ。

「大丈夫ですか。少し、うなされていたみたいですけど。」

熱はないですよね、そう言いながら俺の額に手を伸ばす。触れる手は、少しひやっとしていたけれど、合わさったところからじわじわと熱を帯びていき、そこに彼女がいることを教えてくれる。普通で当たり前のことなのに、それだけで、酷く安心している俺がいた。


「――嫌な、夢を見たんです。」

額にあるつむぎさんの手を取ると、少し頭を下げたまま身を起こす。ベッドのスプリングが、ぎしりと軋む音がした。

「ステージで、輝さん薫さんと歌い終わった後に、舞台袖にいるつむぎさんに伝えたいことがあって、駆け寄って抱きしめたら、急に、雷が鳴って。」

言いながら、つむぎさんの手を確かめるように両手で握る。

「…辺りが、真っ暗になって、つむぎも、いなくなって、俺、また嵐で、何か、失ったんじゃ、って、思って。」

俯いた視界がぼやけ、こぼれていく。

「…つむぎさん、そこにいますよね?」

確かめるように顔を上げると、つむぎさんに抱き寄せられた。
華奢な腕を精一杯伸ばし、俺の頭を抱えるように。彼女はなにも言わずに、ただじっと抱きしめている。

つむぎさんの心臓の音が、とくとくと
耳に伝わる。辺りが静まり返っているせいか、酷く心地よかった。



「……私は、翼さんになってあげることは出来ません。」

しばらくしてから、ぽつりとつむぎさんが呟いた。

「私は、逢沢つむぎだから、柏木翼になれないし、貴方の抱えている過去も、全てを理解することはできないし、ただ聞いてあげることしか出来ません。」

そういうと、つむぎさんは少し身体をずらし、膝枕のように俺を横たえる。
彼女は見下ろし、俺は見上げる形で、互いの視線が交わる。

「…それでも私は、貴方のことを支えたいって思います。だから、…何か食べたいものがあれば作ってあげたいし、行ってみたいところがあれば、一緒に行きたいです。だから、その。」


一瞬、何かを考えるようにつむぎさんが口をつぐむ。

「翼さん!」

意を決したような表情で、彼女は告げた。

「1人で、抱え込まないでください!一緒に、荷物を持ちますから!」


――なんで、こうも容易く言ってくるのか。歳下であるはずの彼女が、とても、大きく見えた。

「…あり、がとう。つむぎさん。」

本心からこぼれたその言葉に、つむぎさんは瞬きをすると微笑んだ。


――いつか、俺の抱えている荷物と向き合える日が来るだろうか。もしその時が来ても、俺は逃げずにいられる気がした。

だって、隣にはつむぎさんがいるから。


そう思うとなんだかほっとして、また視界がぼやけていく。
今度の涙は、安堵の涙だった。




(涙を拭うその指が優しくて、俺はこの人を好きになって良かったと思った。)


title:誰そ彼
image song:ポルノグラフィティ『ギフト』