――ウエディングドレスを着てから、どのくらい経っただろうか。
あれから私は、スタッフさんに連れられながら写真撮影をしていた。

最初は着慣れないドレスな上に、いくら『立っているだけで良いですよ!』と言われてもとガチガチに緊張していた私。
その緊張を見抜いたのであろう道夫さんから気持ちを落ち着かせる呼吸法や、綺麗に見える身体の向かせ方を教わったり、類さん自ら「プロデューサー、そのcute hairstyleにdecorate the flower!」と、髪に花を飾り付けてくれたことで、我ながら単純なものではあるのだが、緊張がほぐれていった。

緊張がほぐれた結果、辺りを見回す余裕まで出てきた。そうして、見知った顔が1つ少ないことに気づく。

(…次郎さん、いないな。)

撮影がない時は控え室にいるのもなんら不思議なことではないのだが、目の届く距離に、彼がいない事が、少しだけ寂しかった。

「逢沢さーん、顔の向きこちらでお願いしまーす!」
「あ、はい!」

――今は、集中だ。小さく頭を振ると再度私はカメラに向き直るのだった。







「逢沢さんお疲れ様です。次の撮影で最後になります。」

スタッフさんに声をかけられ、私は我に帰る。目の前には、扉を開かれたチャペル。そしてその中では、

「や、待ってた。…もう少しで待ちくたびれる所だったよ。」

撮影用のタキシードに身を包みながら、いつもの調子で笑う次郎さんが待っていた。
周りでスタッフさんたちが準備をしている間、私は少しだけ話をすることができた。

「つむぎちゃんお疲れ様。くたびれてない?」
「…立っているだけでしたけど、くたびれました。モデルさんって、こんなに大変なんですね。」
「ははっ、素直だねぇ…。これでも簡単な方だと思うけど。でも、もう少しだから、おじさんに付き合ってよ。」

そう言いながら恭しく礼をされる。ただそれだけの動作なのに、いつも以上にどきっとしたのは、きっと衣装のせいだろう。

「…最後まで、よろしくお願いします。」
「任されたよ、花嫁さん。」

そういうと、私は頭に上げていたベールをそっと降ろされる。それが撮影開始の合図だ。



私の顔を見せないためのベールだから、勿論、私の側からも多少見えにくくなっている。だから、立ち位置への誘導は、視界のはっきりしている次郎さんへ任せっきりになってしまうのだが、私の手や肩への触れ方が普段より優しい気がする。慣れていない私へ気を使ってくれているのが、よく分かる。それが何だか嬉しくて、私はリラックスして撮影に臨むことができた。

の、だが

「じゃあ山下さん、少し逢沢さんのベールを持ち上げてください。」
「っ、!」

聞こえてきた言葉に、動揺した。顔は、出さない約束ではなかったのか。

「……大丈夫、つむぎちゃん。」

俺を信じて?
私が動揺したことが触れていた肩から伝わったのだろう。耳元に小さく声が届いた。

そうだ。今の撮影は次郎さんを信じて動いている。……だったら、私のできることは、彼を信じることだ。
答える代わりに、私は小さく頷いた。


顔の前に影ができると、そっとベールが持ち上がる。開ける視界に入る光が少し眩しくて、思わず目を軽く瞑る。

「だーいじょうぶ。視線だけ、こっちにくれない?」

上からかかる声に顔を上げる。少しだけ上がったベール越しに見えたのは、次郎さんの口元だけだったけれど、それが私の大好きな次郎さんの口元を形どっていた。だから、見えなくても今の彼がどんな表情をしているのかが、私にはすぐわかった。

(次郎、さん)

きっと今の彼は、とても優しく微笑んでいる。それこそ、本当に花嫁を慈しむように。例え、今だけの仮初めのものであっても、私はそれが嬉しかった。



「はい、オッケーです!」

監督さんの声が響き、辺りにスタッフさんたちの声が満ちていく。遂に今日の全ての撮影が終わったのだ。

「あー……一時はどうなるかと思ったけど、終わった終わった。」

そう言いながら、次郎さんがベールを上げてくれる。

「どうだった、撮影。」
「あの、色々緊張しましたが……楽しかったです!」
「はは、それなら良かった。おじさんも、つむぎちゃんにお願いした甲斐があったってもんだよ。」

本当にありがとうね。そう言いながら次郎さんが頭を下げる。


「私の方こそ、皆さんのお役に立てて本当に良かったです。」
「……またさ、いつか着てくれたら嬉しいなー…なんて。うん。」
「モデルさんの代役はもうしませんよ?」
「いや、そうじゃなくて…あのね、」

はてと首を傾げる私に、次郎さんは何やら口ごもると、ぐいと私を抱き寄せ、耳元に囁いた。

「今度は、俺が選んだウエディングドレス、着て欲しいなー…なんて。……直ぐにとは、言わないけどさ?」
「っ、」


ずるい。いくらなんでもずるくないか。それってつまり、その、


「……だから、ここは予約ね。」

身体を離すと私の手を取り、薬指へ軽く口づける。その動作は流れるように行われたからあっという間の出来事だったけれど、私の心にしっかりと刻み込まれた。


「必ず、受け取りに来てくださいね?」


私の言葉に彼も照れたように笑い、唇の動きだけで"約束"と呟いた。

――このドキドキは、胸の奥にしっかり忘れずに覚えておこう。
そう遠くない未来。いつかきっと、純白のドレスに身を包むその日が来る時まで。


(きっとそれは、遠くない未来。)


title:誰そ彼