ヒロイン≠P。同棲設定。


今日は、朝から大忙しだった。
超大型台風の接近に伴い、海沿いを中心に交通渋滞が発生。管轄外ではあったが、俺も応援要員として整理に駆り出されていた。

(――雨、やまないな。)

車のフロントガラスに勢いよく叩きつけられる雨を眺める。
今夜から明日にかけてもっと降るとのことで、もしかしたら緊急で呼び出されるだろうか。そんなことをぼんやり考えながら俺は帰路に着いた。



「ただいまー。」
「あ、おかえり英雄。夕飯ちょうど出来たよー。」

玄関を開けると、おかえりという言葉と共にふわりと良い匂いが鼻をくすぐる。…今夜は揚げ物のようだ。
遅く家に帰っても、彼女が夕飯を用意して待ってくれている。最近習慣となりつつあるそれが、今日はなんだかいつも以上にじんわり沁みた。

「なんだ。今日は揚げ物か?」
「そうだよ。今夜はコロッケ!台風だから。」
「……なんだそりゃ。」
「え、英雄知らないの?台風の日にはコロッケ食べるって。」
「初耳だな、それは。」

そう言いながら俺はテーブルに着く。ソファの上には、つむぎのカバンと何やら入った袋が立てかけてあった。どうもつむぎも帰ってきてそんなに時間は経っていないようだ。

「そういや、今日は出かけるっていってたが大丈夫だったか?凄かっただろ沿岸部。」
「凄かった!って、あれ、なんで知ってるの。」
「沿岸の交通整理に駆り出されてた。」
「え、髪濡れてない?!先にお風呂行かなくて大丈夫?!」
「だーいじょぶだ、」

今にもタオルを持って飛んできそうな勢いの彼女を苦笑気味に手で押し留めると、ソファの上にある袋に手をかける。
どうやら、今日行ってきたのはライブか何かだったのようで、袋の中身はそのパンフレットだった。

「――これって、」

表紙を見て、どきりとした。

「あ、今日見てきたの。友達に連れていってもらったんだけど、すごい良かった!」

つむぎが興奮気味に話しながらコロッケの載った皿をテーブルに置いた。

アーティストの名前は、Jupiter。まさに今日俺が立っていた現場近くでアイドルがライブをやっていたのだ。

「…お前、前から知ってたのか?」
「んー、名前は前に聞いたことあったかなー。だけど今日のライブで凄い好きになっちゃった。」

そう言いながらいただきまーすと手を合わせる彼女につられ、俺も手を合わせる。
今日のライブのこういいとこが凄かった、格好良かったと興奮気味に話すつむぎに相槌を打ちつつ、俺は揚げたてのコロッケをかじる。だけど心はここにあらずだった。

(……すげーな、たった一度でこんなに魅了させられるものなのか。アイドルって。)

感心すると同時に、少しだけ、面白くなかった。
出会った頃から何かアイドルを追っかけてたわけでもなく、ミーハー気質を持たない彼女が"好きになった"といったのだ。……Jupiterと俺に対する好きは、それぞれ違うというのに。

楽しそうに笑う彼女を見ながら、ぼんやりと考える。

もしも、もしもだ。

「――なあ、俺が。」

(アイドルになりたいって言ったら、どうする?)

……なんて言ったら、つむぎはどんな顔をするだろうか。
見てみたいと思ったが、すぐに思いとどまった。

(…何考えてんだかな、)

強面の俺に、アイドルなんて似合うわけがないのだから。


「……英雄?」
「え、」
「今日、食欲なかった?」

箸、止まってるよ?そう言われる。視線を下げると、かじりかけのコロッケが、皿に転がっていた。

「あ、いや、すまん。ちょっと考え事してた。」

そういうと誤魔化すように口にコロッケを放り込む。
きょとんと不思議そうな彼女に突っ込まれる前に、俺は慌てて話題を変える。

「そういや、今日現場で変なこと言う奴がいてさ。」
「変なこと?」
「その……俺の笑顔が、悪くないって。」

そう言いながら、脳裏に例のバイク乗りの顔が浮かぶ。あいつは、何故そんなことを俺に言ったのだろうか。不思議で仕方がなかった。

「なんで、変なことだって思うの?」
「え、」

なんでって、

「……怖いだけだろ俺のなんか。」
「あー…そりゃ、笑顔を頑張ってる英雄のはあんまり見れたものじゃないけどさー…。最初の頃は、私も怖かったし。」
「だろ?」
「だけどね、」

そう言いながらつむぎ箸を置いて、お茶を飲む。

「私好きだよ、貴方の笑顔。」
「……嘘だろ。」

思わず口をついて出た言葉に、つむぎはぱちりと瞬きをする。

「そんなことで嘘言ったって仕方ないじゃない。……あとは英雄が気づくだけだよ。」

気づく?気づくって何に。
ぽかんとしている俺を尻目に、食事の終わった彼女が隣に座る。

「…誰にだって得意不得意はあるものだよ。英雄はそれがたまたま笑顔だっただけで。」

そういうとつむぎは俺の手を取り、ふっと微笑んだ。

「でもね、人から褒められるってことは、決して悪いことじゃないよ。だから、…私は自信を持ってほしいなって思う。」

そう祈るように呟くと、一度俺の手をぎゅっと握った。

「応援してるよ、私。」

何を、とはつむぎは言わなかった。
だけどその言葉の中には、沢山の意味がきっと含まれている。そんな気がして、


だから俺は、

「――なあ、つむぎ、」

言いかけた言葉を、もう一度言ってもいいだろうか。
今度こそ、ちゃんと音にして、君に伝えたいんだ。


(此処が、未来の分岐点。)