山下次郎。元化学教師の現315プロ所属のアイドル。 出会った頃には、当たり前だが恋愛感情なんて抱いてなかった。 だけど、仕事を共にこなしていく中で、私は彼へ恋に落ちた。 許されるはずはないのに、新しい一面を知れば知るほど、好きになっていって。…一体、彼にはいつ気づかれてしまっていたのだろうか。 次郎さんと初めてしたキスは、コーヒーの苦い味がした。事務所の給湯室で、たまたま2人でコーヒーを飲んでいた時だったから。 顔を近づけたのは、一体どちらからだっただろうか?もしかしたら同時だったのかもしれないが、もう、よく覚えていない。 1回キスしたところで踏み止まれば良かったのに、卑怯にも私は軽く次郎さんの服の袖をつまんで引っ張った。小さく、彼の身体が震えた気がしたけれど、気づかないふりをした。 「ねえ、プロデューサーちゃんさ、…そういう事すると、色々都合良く考えちゃうよ。おじさん。」 「……次郎さんは、なんにも思ってない女の子にも、キスするんですか。」 「…意地悪なこと、いうね。」 おじさん逃げ道なくなっちゃうじゃん。そう言いながら次郎さんの表情は真剣で、私の頬を撫でる手は、どこか壊れ物に触れるようだった。 「……次郎さん、」 「なぁに?」 「私、…プロデューサー失格です。」 「どうして、そう思うんだい。」 「…すきに、なっちゃった。」 そこまでいうと、こらえきれなくなった涙があふれた。次郎さんは、何も言わずに指の腹で拭ってくれた。 「こら、…泣くこたぁないでしょ。」 「だっ、て……私、プロデューサーなのに、次郎さんのこと、好きになっちゃ、」 いけないのにを言う前に、次郎さんに抱き寄せられる。ゆっくりと大きな手が、私をあやすように撫でた。 「……同罪でしょ、俺も。」 「じろー、さん。」 「言わない、つもりだったんだけどね、…本当。だけどさ、ごめんね、悪い大人で。」 好きだよつむぎちゃん。そう耳元に囁く声とともに軽く頬に唇が触れる。ああ、どうしてこの人は、こんなにも、優しいのか。優しいけど、じわじわと、私の理性を溶かしていく。 「ずるい、ですよ。」 「……ずるくていいよ。俺は、君が欲しいから。」 そういうと、次郎さんはもう一度私にキスをした。今度は、少ししょっぱい味がした。 ▼ その日の仕事は、どうなったかよく覚えていない。きっとそつなくこなしただろう。知らない天井を見上げている私には、それを思い返す余裕なんてなかった。 私に触れる次郎さんは、どこまでも優しかった。初めてのはずなのに的確に良いところを責める大きな手に翻弄される。私は何度も甘ったるい声をあげ、次郎さんは満足げな表情を浮かべながら、何度もキスをたくさん落としてくれた。少しくすぐったかったけれど、それですら私にとっては幸せを感じる行為だった。 「…つむぎちゃん、どした?」 また涙出てる、そう言いながら目元を拭われる。無意識に泣いていたようだ。 「なんでだろ…今とても幸せなんですけど、ほっとしたのかな。」 「おや、幸せとか可愛いこと言うね。そういうところも凄い好きよ。俺は。」 「……あの、面と向かって言われるとその…恥ずかしい、のですが。」 「え、あれだけやっておいて今いうの。」 「……。」 「こーら真っ赤な顔で黙るのはやめようか。」 おじさんもなんか照れるんだけど。そう言いながら、私の身体をぐいと抱き寄せる。 「…俺ね、今日改めて、つむぎちゃんを好きになって良かったなって思ってんのよ。こんなに可愛い姿見せられちゃったらさ、手放すなんて、ほんと…無理だから。」 「じろー、さん。」 「……アイドルとしては、良くないこと言ってるんだろうけどね。」 わがままでごめんね。 次郎さんはそう呟くと、耳元に軽く口付けた。 「…私、次郎さんの事、好きです。」 「知ってる。俺も好きだから。」 「そばに、ずっといても良いですか。」 「さっき言ったでしょ、おじさんもうつむぎちゃんを手放す気なんてないから。」 「……無かったことに、しなくて、良いですか?」 「こら、そういうこと言うと怒るよ?」 口調とは裏腹に、次郎さんは私の左手を取ると包むように握った。 「ねえ、つむぎちゃん。…これからの時間を、俺にくれませんか。」 「…私で、良いんですか。」 「君じゃないと、駄目だよ。俺は。」 その言葉で、また涙がこみ上げてきた。肩書きにしばられて思いを隠す必要は、次郎さんの前ではもう必要ないのだ。 ああ、この人を好きになって良かった。 「次郎さん、私、これから先も、貴方の隣で、朝日が見たいです。」 そういって笑うと、次郎さんは照れたように笑い返してくれる。そして、お互いに確かめるようにキスをした。 もう離れたくない。そう、思いを込めて。 (朝日が昇るまで、あと数時間。) image song:藤田麻衣子『恋に落ちて』 → |