マリオネットの少女

 それはある夏のこと。
 イギリスの首都ロンドン郊外に、ある小さな建物があった。ところどころひび割れた、薄灰色のウォーラム孤児院。
 孤児院の庭では多くの子供が、太陽がさんさんと照る中、水遊びをしていた。
 子供特有の甲高い声が、あたりに響き渡る。その中に一人、ぼうっとしている少女がいた。青白い肌に、ざっくばらんに切られた長い黒髪。少女は、一目で分かるほど、異様な雰囲気を纏っていた。まるで、人形のような……。

「シア!」

 それは少女の名前だった。シア・ランドール。間もなく十一歳になる、孤児(みなしご)。
 名前を呼ばれ、シアはつい、と視線を動かした。長い髪を纏めた女性が、そこにはいた。彼女はこの孤児院の院長で、ミス・ウォーラムと呼ばれている。
 ミス・ウォーラムはシアを見て、くい、と顎を動かした。どことなく、偉そう。

「あなたにお客様よ」

 そう言って、彼女は建物の中へ戻っていった。偉そうではない。文字通り上から目線の態度だった。
 シアは音もなく立ち上がり、建物の中へと向かった。長い黒髪が風に揺れる。つう、と汗が頬を伝ったが、気にする素振りは一切見せなかった。



 シアが孤児院の客室へと向かうと、部屋の前でミス・ウォーラムが立ち止まっていた。シアは彼女を、空虚な瞳で見つめる。
 ミス・ウォーラムは不機嫌そうにシアを見て、……切り替えた。今から会うのは、お客様。シアのことなど気にしてはいられない。コンコン、と戸を叩いて、客室へと足を踏み入れた。

「お待たせいたしました、ミスター・スネイプ」

「いえ、こちらこそ突然押しかけて申し訳ない」

 そう、黒色のローブを纏ったスネイプは、ぶっきらぼうに言い放った。夏なのに、真っ黒なローブ。見ている方が暑い。
 ミス・ウォーラムは少しだけ眉を寄せる。シアとスネイプ。雰囲気の似た二人と、自分。何となく居心地が悪かった。心の中でそっとため息をついて、ミス・ウォーラムはスネイプに訊く。

「ご要件は何でしょう?」

「こちらを」

 スネイプはそう言って、シアに純白の封筒を差し出す。宛て先には「ウォーラム孤児院──シア・ランドール」と書かれていた。
 シアはたっぷり三十秒ほどそれを見つめ、そっと受け取った。(なお、その間にスネイプは、幾度か手を引っ込めようかと考えた。)
 シアは受け取ったものの、封を開ける気配は一切ない。静かな、気まずい空間で、ミス・ウォーラムは口火を切った。

「……で、こちらは何でしょう?」

「ホグワーツ魔法魔術学校の入学許可証です。ミス・ウォーラム。あなたは魔法というものをご存知で?」

「……それは、もちろん」

 知ってはいた。ただし、信じてはいない。
 スネイプは彼女の考えを知ってか、腰から杖を取り出し、軽く振った。すると、部屋の中を淡い光が舞う。まるでダンスを踊るかのように、光は交差し、離れ、そして……消えた。
 ミス・ウォーラムはただ呆然とその光景を見つめていた。それはシアも。二人の状態には、少しだけ違いがあるけれど。

「……これで、信じてもらえたでしょうか? 魔法を使えるのは、一握りの人間のみ。そして、このような魔法の才能を、彼女も持っているのです」

 スネイプはそう言って、シアを見た。
 シアは彼の視線を受けても、どこ吹く風。ただただ、スネイプの辺りをぼうっと見つめていた。

「……なるほど。分かりました」

 ミス・ウォーラムはそう言って、頷いた。けれども、シアについては半信半疑。

「本当に、彼女に魔法が使えるので?」

「ええ、間違いありません。詳しくは話せませんが、ある方法によって、使える子供たちは分かるので」

 スネイプはチラリ、とシアを見た。シアは相変わらず、ぼうっとしている。

「魔法も信じてもらえたようですので、次の話へ。ホグワーツ魔法魔術学校とは、魔女及び魔法使いを育成する学校です。入学は実質義務ですが、一応選択権があります。なので今、入学するかしないか、返答をいただきたい」

 ミス・ウォーラムはシアを横目で見て、たっぷり十秒、考え込んだ。

「……もし、入学した場合、お金はどうなるのでしょう? やはり、必要ですよね? うちにはそんなお金ありませんが……」

「それについてはご安心を。奨学金制度があり、必要なものに関しては中古で買える分のお金が支給されます。それは卒業まで有効で、返済の必要もございません。ちなみに、ホグワーツは全寮制のため、一年のほとんどを学校で過ごすことになり、帰宅の義務があるのは夏休みの1ヶ月半ほどです。いかがでしょう?」

 スネイプは眉を上げながら訊いた。
 ミス・ウォーラムはふむ、と頷いて、考え込んだ。やがて、彼女はシアを見た。

「……シア、どうします?」

 シアは無言で、手元にある封筒に目を落とした。その顔からは、何も読み取れない。
 重い沈黙が、部屋を満たした。
 ミス・ウォーラムは心の中でため息をつく。居心地が悪い。
 一分、二分……。ミス・ウォーラムが十分くらい経ったと感じた頃(実際はそれほど経ってはいない)、やっとシアの唇が動いた。ゆっくりと、けれどもはっきりと。

「……行きます」

 そう言って、シアは顔を上げた。スネイプの瞳とぶつかる。
 真っ黒な瞳に射抜かれて、スネイプはたじろいだ。どこにでもある、自分とも同じ、黒い瞳。けれどもシアのは違った。どことなく空虚で……まるで、何もかもを、見透かされているかのような……。
 スネイプは小さく頭(かぶり)を振って、切り替えた。

「………そうか。では今から入学に必要なものを買いに行ってもよろしいでしょうか? 日暮れまでには戻ってくるつもりですが、もしかしたら遅くなるかもしれません」

「ええ、大丈夫です。あと質問なのですが──」

 そうして、二人はシアのホグワーツ入学に関して幾つか確認をし、終わると、スネイプが立ち上がった。

「買い出しに行く。ついて来い」

 そう言って、一人でスタスタと歩いて部屋を出る。その後を、慌ててミス・ウォーラムが追った。客の見送りをしないなんて、有り得ないこと。シアはノロノロと、歩いて行く。
 パタン、とシアが扉を閉めた音がやけに大きく響いた。
 この日、一人の魔女が、魔法界へと足を踏み入れたのだった。