おかえりなさい

重厚な扉を前に連日張り詰めていた緊張が緩み身体から力が抜けそうになり慌ててシャンと背筋を伸ばしてノブに手をかけた。
全く人使いの粗いあの穏健派と揶揄される実状とはかけ離れた評判を持つ若き当主の顔が浮かび辟易してしまう。気づけば舌打ちをしている始末。
ギィ、と短く唸りをあげ開かれるドアから漏れる室内の匂いに懐かしささえ感じるようになってしまうほどここにいるのかと改めて自分に落胆する。

「ただいま戻り…ぐっ…」

ドアが完全に開ききる前に視界を黒い影が遮った。
そして間髪いれず胸の辺りに突如襲いかかってきた衝撃に息を詰まらせているとその黒い影にぎゅうと羽交い締めにされてたちまち身動きがとれなくなる。

『お帰りなさい骸さん!』

ぱっと顔を上げて一瞬泣いているのかとすら見間違えるほど潤ませた瞳を向けられれば喉元まで出かかっていた苦言が喉奥へと引っ込んでしまう。
身体を拘束していた腕が離れ、ほっと息をつく間もなくずいっと差し出された手に今度はガシッと顔を掴まれすりすりと頬を擦りよせてきた。動く度に当たる黒いトンガリ帽が容赦なく顔に突き刺さる。
先程の影の正体はいうまでもなくなまえだ。今日はいつもの支給された制服ではなく帽子に合わせた黒いワンピースを着ている。
箒こそ持っていないもののまるで絵に描いたような魔女を模した衣装を身に付けジャック・オー・ランタンの形をしたプラスチック製の容器を携えてにこりと楽しげに口を開いた。

『トリック・オア・トリート!お菓子あげますからイタズラさせてください!!』

例年通り頭の痛くなる台詞を口にしながら獰猛な小動物のごとく襲いかかろうとしてくる。どうどうと抑えながら迫りくる唇から逃れると不満そうに眉を歪めた。

「お菓子は要りません。これからボンゴレへ報告に行かないといけないので先に部屋で待っていてください」
『ちょっとくらい報告が遅れたってツナさんは怒りませんよ!それよりイタズラ…』

ワキワキと指を動かしながら獰猛な光を宿したままの瞳に毅然と立ち向かう。

「お断りします」
『口ではどう言おうと身体は正直!ならば身体に聞くまでです!おりゃあ!』
「ちょっ、こんなところで…やめなさい!」
『いやです!』

鼻息荒くベルトに手をかけるなまえの手を引き剥がそうとしたが『いやです!いやです!』と繰り返すばかりで引く気配がない。
そんななまえと数分にも及ぶ攻防に遂にこちらが折れてしまった。

「…わかりました。ひとまず部屋に戻りましょう」
『ふふふ!挑むところです!!』

ベルトを掴んでいた手を離し意気揚々と腕を絡めていたなまえの動きが不自然にピタリと止まった。
それから思い出したように『お帰りなさい』とはにかみながら踵を上げて軽く唇をつけられた。
…いや、だから人通りもあるここでそういう事をするなと今まで何度も言っているのだが全く通じてない。
それより何より頭とは裏腹に喜んでしまっている自分に情けなく思いながらもこそばゆさと気恥ずかしさでぼそぼそと小声で応じてしまっている現状に項垂れたくもなる。
腕を引かれながら上機嫌に部屋へと向かうなまえを見下ろしながらこっそりと息をついた。

*
部屋に足を踏み入れた瞬間、静かに戦いの火蓋が切って落とされる。

『骸さん疲れたでしょう?お茶を入れますからソファーに座っててください』
「いえ、ボンゴレへ報告に行かねばなりませんのでお構い無く。君こそ寛いでいてください。ああ、そういえば土産があるんですよ。甘いもの好きでしょう?」

土産を手渡すと嬉しそうに目を瞬かせる。しかしそれも一瞬のこと。

『一緒に食べましょう!それからツナさんのところに行っても遅くないですよ、ね?』

なまえも退く気はないようで食い下がってくる。確かに今回は少し長くここを離れていたのでなまえと顔を合わせるのも久しい。

「では、一杯だけ…」
『はいっ!』

満面の笑みを浮かべて茶を淹れる用意をすべく足取り軽く給湯室へ向かっていく。その後ろ姿を眺めながら力なくソファーに腰かける。
結局のところ折れるのはいつも自分なのだ。

*

茶を用意してきたことはいい。買ってきた土産を広げ旨そうに食べ始めたなまえとのひとときの団欒は楽しんだ。しかし、息を荒げて迫ってくるのはどうしてなのか。アルコールの類いは多少は使用されているのかもしれないがここまで乱れることはない…筈だ。

「お茶だけの約束だったでしょう?」
『ううーん、骸さんに酔っちゃったみたい…』
「何を馬鹿なことを…」

預けてくる身体を押し退けて今度こそ立ち去ろうとすると『だって、』と小さく口を尖らせた。

『10日間ですよ。月曜日からずっと骸さんに会えなかったんです』
「なまえ…」

寂しかったのだろうか。日数に直せばたかだか10日だが、なまえと出会ってからそんなに離れたことはなかったような気がする。
肩に置いていた手を背中に廻そうとしたところで『ぐふっ、』となんとも形容のしがたい声をあげたなまえにピタリと動きが止まる。

『もう久しぶりに骸さんの匂いを嗅いだら身体が火照っちゃって火照っちゃって…』
「………」

自分が馬鹿だった。
そうそう愁傷なことをいうような娘ではなかった。
廻していた腕を完全に引っ込め、然り気無くこの場から立ち去ろうとしたところでまたもや小さく声をあげた。もうその手には引っ掛かりません。


ALICE+