気まずい時間
どどどどうしよう。むっちゃ気まずい。私トラックになんて跳ねられてないし神様にも会ってない。それどころかコンビニでおやつのマシュマロとショコラミントを買ってテンション高めに帰宅していたというのにどうしてこうなった。
対峙するふたりの坊っちゃんにシリアスな雰囲気のお屋敷。最近原作で見ていてぬおおおおっ!とテンションのあがった光景に今は気まずさしかない。どうしてエリザベス達ときゃっきゃウフフしている団欒の場や社交会のような頑張れば紛れ込めそうな人混みの中ではなかったのか。よりによってこんなシリアスな、そして展開のまだわからない場面に遭遇してしまったのだ。
タナカのじっちゃんが回想を始めた辺りで私の知識は終了している。
みんなは登場したシエル・ファントムハイヴに視線が釘付けだが私は見つからないように精一杯身を縮めるだけ。
不意に聞こえてきた「どうして…」という驚愕と混乱の声に、ほんとどうしてだよねーと思わず同意しそうになって、ん?と首を傾げた。
この場にいる女性はメイドのメイリンだけだったはず…。なのに私の耳に聞こえてきたのはメイリンの訛りの強い言葉ではなく洗練されたものだった。動いちゃいけないことはわかっていたがそれでも気になって声のした方をそっと窺うと肩口まで伸びたサックスブルーの髪が見えた。んん?こんな人いたかな?いくら記憶を手繰り寄せても見覚えどころか心当たりもない人物に困惑していると、ゆっくりと動いた赤い瞳が私を捕らえた。ぱちりと瞬きをひとつして「あら、」と血色のいいぽってりとした唇からこぼれ落ちたおっとりしているともとれるつぶやきにその場に居合わせた者達の視線が一斉に反応した。

「なんだ、お前は!」

坊っちゃんとシエル・ファントムハイヴの重なる声に使用人達の慌てたような悲鳴と怒声。
そしてタナカのじっちゃんのどこまでも冷静な視線と悪魔で執事な彼に喉元に突きつけられた銀細工の美しいカトラリーに気を失いそうになったところで、坊っちゃんに守られるようにそっと距離を置く見知らぬ少女と視線がかち合うとびくりと身を固くして大きな乳がふるりと震えた。………あれ、私この人のこと知ってる気がする。正確にいえばそのたわわに実った乳なのだが。いやいや落ち着いて。そんな筈は…だって彼女はこの場には存在しない筈の存在。ええい、いくら考えたところで私の頭では答えなんて弾き出される訳がない。ならば、と私はここでひとつ賭けに出ることにした。

『クロエちゃん!』
「、はいっ!」

大きな声で名前を呼ぶと反射的になのだろう、少女は返事を返した。どうやら私の推測通り彼女はクロエ・ファントムハイヴ。このファントムハイヴ家の長女のようだ。
執事によって喉元を圧迫している一転の曇りもないカトラリーがギラギラと余計なことを言うなと脅してくる。しかし私とて負けるわけにはいかない。

『昔、この辺りに住んでいてよく遊んだの覚えていない?私がお父様の仕事の都合で引っ越してしまって以来すっかり疎遠になっていたのだけれど、久しぶりにこの辺りを訪れてふと一番始めに出来た大切なお友達の貴女のことを思い出していても立ってもいられなくて来てしまったの。ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんだけど』
「おともだち…」

戸惑ったように視線を泳がせ記憶の海をさ迷っているらしい。彼女は幼い頃、厳格な家に生まれきっと制限された中で生活していたのだろう。そうであれば夢見がちな少女の多くのように空想上のお友達のひとりやふたりこさえている可能性がある。どう転ぶのかは不明だが私はこれに賭けるしかない。
気味が悪くなるくらいの沈黙の後、クロエ・ファントムハイヴの口から「もしかして、ライラ…?」とぽつりと呟く声が聞こえてきた。

「ああ、ライラ!なんということでしょう!こんなことが起こるだなんて…」

熱に浮かされたようにふらふらと私の方へ近づこうとするクロエちゃんに坊っちゃんが「姉さん!」と制止をかける声も悲しいかなクロエちゃんの耳には届いていないようだ。しかしこちらにとっては好都合。

『ずっと会いたかった、クロエちゃん!』
「ええ…ええ、私もです」

涙すら流しそうな勢いでぎゅうっと抱き締めてくるクロエちゃんに応えつつそっと心の中で謝罪する。ごめんね、クロエちゃん。私本当はライラじゃないの。でも今日から貴女のライラになる。
ぎゅっとクロエちゃんの甘い香りのするマシュマロのような乳に顔を埋めながらこの場にいる全員の視線を一身に受け止めた。うん、気まずい。



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