2 - 不審者なヒーロー
いったいどのくらい眠っていたのだろう。
まだ少しチクチク痛む目をゆっくりと開いて、体を起こそうと思ったけどまだだるくて無理だったので顔を少し上げて周りを見渡す。
天井、壁、家具、どれも見慣れたものばかり。
つまりここは私の部屋。
絶対そこらへんで行き倒れていると思ったのに、無事に帰って来られたという奇跡に驚きを隠せない。
やるわね、さすが私!と自画自賛すると、くぅ〜とおなかが鳴った。
ここのところ忙しくて週末に買いだめしようと思っていたから食材のストックがあるか、考えてみても冷蔵庫の中身が思い出せない。
まあ何もなかったらコンビニでも行けばいいかと思い、だるさの残る体を無理矢理起こしたその時、部屋の扉が音を立てずに開こうとしているのが目に入る。
私は一人暮らし。
当然家には私しかいないはず。
こんな状態で親や友達なんて呼んでるはずもない。
まさか泥棒!?と思いながら戦える状態じゃない体でどう撃退しようかと悩むと、男の人が一人入ってきた。
「気がついたのかカラ松ガール。まだ熱があるんだから寝てないとダメだぞ」
不審者(?)に普通に声をかけられてびっくりした。
青いパーカーにジーンズというラフな格好のその人は、手にお盆を持っている。
水の入ったグラスと小鉢みたいなのが乗っている。
どっちもうちにあるもので間違いない。
「ほらまだ熱があるじゃないか。多少下がったからって油断してるとまたぶり返すぞ」
躊躇なく自然な動作で額に触れるその人の手は大きくて優しくて、なんだかひどく安心してしまう。
ベッドに戻され、そのまま目を閉じてしまいそうな安堵感に、ハッとして我に返る。
(いやいやいや!なに安心してんの私!?知らない人だぞこの人!!?)
手を払いのけ、戻された体を起こした私はそのままの勢いで男の人の頬を叩く。
ぜんぜん力が入ってなくてぺちっと軽い音がしただけだけど、男の人をびっくりさせるだけの力はあったみたいだ。
「あなた、だれ?」
声の掠れは少しマシになったみたいだ。
全快にはほど遠いけど喋れるようになったくらいには回復している。
「ふっ、忘れたのかカラ松ガール。俺は静寂と孤独を愛する男。罪深きギルトガイ。松野カラ松さ」
どこから出したのかわからないサングラスを顔にかけ、どや顔でニヒルに微笑む不審者ー改め松野さんに若干の苛立ちを感じる。
(この状況でよくふつうに……いや、ふつうでもなかったけど、よく自己紹介なんかできたわねこの男)
不審者を見る目でじろっと睨みつける私の視線に気付いたのか、松野さんは慌ててサングラスを外す。
別にサングラスが嫌だったわけじゃないのだけど。
「ノンノン!誤解してるなカラ松ガール!俺は泥棒でも不審者でもないぜ。ほらこれ、覚えてないか」
人差し指を左右に振りながら松野さんがポケットから出したのは、キーホルダーのついた鍵一つ。
可愛らしいキャラクターのついたその鍵は、間違いなく私の部屋のものだった。
「なんで、あなたが私の部屋の鍵持ってるんですか」
「なんでって……カラ松ガールが俺に渡したからだろう」
「そんなわけ……」
そこまで言ったところで、うすぼんやりとだが記憶がよみがえってきた。
もう力もなくて倒れそうになったあの時、男の人に体を支えてもらって。
意識朦朧としていた私は、何をとち狂ったのかポケットから部屋の鍵を取り出してその人に渡したのだ。
ご丁寧にマンションの場所まで指差して、部屋番号まで教えた気がする。
危機管理能力皆無。襲われたとしても文句の言えない被害者ぶった加害者。
自己嫌悪に陥るには十分すぎるほど、あの時は判断能力が欠如していた自分こそひっぱたいてやりたい。
よくよく見るとそのパーカーの色も覚えている。
青い色。私を助けてくれた人と同じ色。
つまりこの人は泥棒でも不審者でもなく、間違いなく恩人だ。
「叩いてすみませんでした」
「え、いや!仕方ないさ。カラ松ガールは一人暮らしみたいだからな。レディの部屋に見知らぬ男がいたらそりゃ警戒しても無理はない」
口数は多くないのに顔がうるさいし、いちいち言動が普通じゃないけど、意外と紳士だ松野さん。
そういえば名前を聞いたのに自分が名乗っていないことに気付く。
それにずっと気になっていたこともある。
「松野さん、ずっと気になってたんですけど、なんですかそのカラ松ガールって」
「ふっ、俺はまだカラ松ガールの名前を知らないからな。そう呼ばせてもらっている」
「いやいやいや。私、藤澤仁菜といいます。普通に呼んでください」
勝手に変なネーミングで呼ばれても困る。
「オーケー。なら…………藤澤さん」
「なんですかその間は。変なの」
名前を呼ぶだけなのにたっぷり間を取って言われ、それが変にまじめでおかしくて笑ってしまう。
なぜ笑われたのか解せないという顔をしている松野さんに詫びて、おとなしく体をベッドに戻す。
体力が戻ってないからか、力尽きるのも早いみたいだ。
ふーっと息を吐きだすと、忘れていたのを思い出せるかのようにお腹の音が鳴り響く。
小さい音だったけれど、静かな部屋ですぐ近くにいる松野さんにもしっかり聞こえていたようで、顔に熱が集まりだす。
お腹の音をこんな、すぐ間近で人に聞かれるとか恥ずかしすぎる。
「食欲出てきたのか、よかった。りんご擦り下ろしてきたけど、食べれそうか?」
お腹の音を聞かれて喜ばれる日が来るとは思わなかった。
松野さんが持ってきてくれたお盆から小鉢を下して中を見せてくれる。
持ってきてくれた小鉢の中身は擦り下ろしたりんごにハチミツをかけたものだった。
子供の時に風邪をひいたときよく母親が作ってくれたものに似ている。
松野さんのイメージとは、はちみつりんごがなんだかミスマッチだけど、素直に嬉しい。
「おかゆとかの方がよかったか?」
「ううん、嬉しいです。ありがとう」
「よかった。なら薬と水と一緒にここに置いておくな」
お礼を言うとなぜだか松野さんが嬉しそうで、お盆をベッドサイドテーブルに乗せて「またあとで来るよ」と行って部屋を出て行った。
「なんか変だけど……いい人、なのかな?」
ぜんぜん松野さんが何者かわからないし、考えなきゃいけないことはまだまだ多いけど、それはもう少し回復してから考えよう。
食べるものを食べて寝てしまおうと思い、体を起こしてサイドテーブルのお盆から小鉢を取る。
擦り下ろしたりんごがとろりとしたはちみつと混ざって美味しそうだ。
スプーンで一口掬って口に入れると、甘さが広がってくる。
はちみつかけすぎな気もするけど、喉にはよさそうな気がする。
ぺろりと食べ終わって小鉢を戻し、水の入ったグラスと薬を取って飲み干す。
薬は市販のものではなく、うちの近くの病院で出してもらうものと同じだった。
松野さんは病院にも連れてってくれたみたいだ。ぜんぜん記憶にない。
「ほんと、何から何まで世話になったんだなあ、私」
元気になったら何かお礼をしなきゃなと思いつつ、ふとあることに気付いた。
なぜ、ぜんぜん気付かなかったのか本当にわからないけど、今気づいてしまった。
「私……なんでパジャマ着てんの?」
倒れた時は会社帰りだったからブラウスにタイトスカートという通勤スタイルだったはず。
なのに今着てるのはどう考えても寝るときようのラフなスタイル。
もちろん自分で着替えなんかできるはずもない。
つまり、そう、私を着替えさせたのは間違いなく……松野カラ松しかいない。
「……世話しすぎだから〜!ほんともうやだぁ……」
怒る気力なんか起きるはずもなく、ベッドへと三度沈んでいく。
次に松野さんが来たときにどんな顔して話せばいいのか、そんなことを考えながらゆっくりと眠りについた。