流浪の子







 自分、冨岡義勇は、自慢でも何でもないけれど、齢十三の頃から鬼狩りとしての仕事をこなしてきた。毎日けたたましい烏の指示に従って各地に赴き、そこに巣食う鬼を斬る。それを何年も続けていると自然に力は付き、また数をこなす内に――納得はしていないけれども――実績がいつの間にやら残されていった。今年で十八を迎える自分だけれども、きっとその生活はこれからも続いていくのだと思う。
 これまで経験してきた数多の仕事の中には、内容の薄いものから濃いものまで多岐に渡り、鮮明に覚えているものや、風化して希薄にしか覚えていないものもある。

 義勇自身、鬼に対する同情心や哀れみなどは無く、斬ったとしても後悔も何も抱かない。むしろ人を喰らい、何年も何百年を生き永らえる鬼は憎く、文字通り滅殺されるべきと思うばかりで。しかし、その出来事だけは、後悔のような――記憶の奥底に仕舞い込むのを躊躇うような、そんな複雑なものを持っていた。
 ごく一般の、田舎に住む幼い娘らしい着物と髷を結った姿。満月の下で、赤黒い血が、涙が、自らの刀身が。きらりと綺麗に輝き反射したあの日のことは、きっと苦々しい思い出というもので。この釈然としない想いをそのままに、奥底で静かに居座り続けるのだろう。鬼を斬ることにも、夜静かに眠りに着くにも一切支障をきたさずことなく、義勇がこの在り方でいる限り消えることなどないのだ。



 未だに燻るその経験をしたのは、義勇が鬼狩りになって間もない頃。まだ十代前半と、少年といえる年齢の頃であった。その頃――鬼殺隊に入った頃には既にこの性格は形成されていたので、特筆するような点はないけれど、まだ剣の腕は今と比べても遥かに未熟であった。

 その日は、夏の、茹だるような暑さを経験した日の夜だった。日が暮れて夜になった途端、掌を返したように涼しくなって、これなら任務もやりやすいと少し前向きなことを考えたのを薄ら覚えている。

 その夜、義勇は鬼を一匹殺した。凶暴化していて、眉間に皺を寄せ、眼光を刃物のように鋭くし、獣のように唸り声を上げ、弱かった鬼だ。警邏の途中、彼女が自身の一家を喰い殺しているのに、遭遇した。
 きっと、鬼に成り立てだったのだろう。術も使わなければ、体術だって単調なもので、義勇を殺そうと、ただ藻掻くような手つきで拳をただひたすら突き出しているだけのような、そんな有様。簡単にその鬼の首を、己の刀で刎ねた。

 その鬼は獣のように唸り、自身の着物が乱れるのも、髷が解けるのも気にもとめず、ただ義勇の殺意をその顔に宿していて。正にそれは、鬼の形相だった。
 血の匂いもひどくて、理性もなにもないその有様は義勇にとって不快感しか感じないものだったけれど。しかしその鬼は、顔の造形は悪くなく、体を変化させていなければ歳は十七、十八の頃合いの少女。清楚な着物の柄から、きっと人間の頃は清らかで美しい――そんな女性ではなかったのだろうかと、ふと思った。一瞬しか確認できなかったけれど、家の中で冷たくなっていた青年は、兄ではなく、鬼の年齢も考えると結婚相手か何かではなかったのだろうか。
 なんて、考えつつ、何を思っているのだと冷静に窘める。今は戦闘中。戦いに集中せねばと刀を握り直し、そのまま彼女の首を撥ねた。

 これで、この一家は全滅した。しかも全滅の犯人は鬼となったこの家の一員の者で、その鬼も狩られた。なんともいえない気分だった。鬼により家族を一度、家族同然の者を一度と失っている義勇としては、なんともいえない出来事と、結末。
 しかし、どう嘆こうともこの家屋に、温かな団欒の雰囲気はもう戻らないのだ。

 そう思いながら、家屋の中を覗くと、全滅をしたわけではにようだった。一人の少女が、凄惨な血の中で荒く呼吸をし、こちらを見つめていた。
 目の前で起きていた殺陣に、少女はひどく怯えていた。当然だろう。人が刀で、同じ人の形をしたものの首を斬ったのだ。

 少女に何者かと尋ねると、彼女はさきほど義勇が殺した鬼の義妹だと答えて。義勇は顔には出さなかったけれど、はっとしてしまった。
 少女の目の前で、自分は家族の首を刎ねたのだ。



 決して、鬼を斬ったことを後悔したわけではない。しかし、目の前の、自分と大して歳の変わらない少女から、家族を奪ってしまった。それが、義勇の頭に浸透するにつれ、なんともいえない感情を生む。憐憫などではなく、後悔の念でもなく、後ろめたさだった。


「…刀、」


 ふと、少女の口から小さな呟きが漏れた。少女は珍しそうに、己の前に屈む義勇の刀を眺めてくる。軍人とは違う義勇が、何故そのような物を持っているのか。疑問に思ったのだろう。
 てっきり罵詈雑言やら、憎悪を向けられ浴びせられても可笑しくはないと思っていた義勇。その第一声は、拍子抜けするものだった。


「……俺は、鬼を斬ることを生業としてる」
「…鬼? じゃあ、姉は、鬼だったのかしら」


 鬼だから姉を斬ったのよね、と少女は義勇の顔を覗き込む。はきはきとした言葉遣いだったけれど、その声は静かに揺れていて、自信がないようだった。彼女はさきほどまで起きていた出来事と、姉について知ることに、怯えている。
 けれども義勇は、気の利いた言葉など浮かばなくて。気まずい気持ちを抱えながら、少女に声を返すしかない。


「鬼になった」
「それで、母さんや父さんを殺した」
「……そうだな」
「…不思議ね。私の姉は、人間の振りをして生活していたのかしら? 兄に嫁いできたときも、鬼であることを隠して、私たちを殺す機会を窺っていたの?」


 だんだんと少女の声に感情が籠り、上擦っていく。

 少女が生き残り、また家族が彼女の姉によって殺されている点からきっと、あの鬼舞辻がここを訪れたとは考え難い。どこかで姉が遭遇し、鬼にされ、家族のいるこの家に戻ってきたのだろう。
 突然のことだったのだはずだ。凶暴化した姉が突然家族を殺し始め、それから喰らい始めた。それを血みどろの中、彼女が延々と見続けていたのだとしたら、姉に疑心を抱くのも、不思議ではなかった。

 少女の気の動転をなんともいえない見ていた義勇は、徐に手拭いを取り出し、彼女に向けて放り投げる。返り血を全身に浴び続けた姿を見続けるのは、少々忍びない。


「…人食い鬼は、鬼の血を体に取り込んで増える」
「血…」
「あの鬼は弱かった。成り立てだった」


 小さく少女は血、成り立て、と復唱する。それから、義勇から渡された手拭いを握りしめて、少し頭が冷えたのか。その意味を理解したらしく、「なら、もともとは人間だったのね」と、小さく確認するように言う。「あの優しい姉は、偽りではなかった」彼女は嘆息し、考え込むようにその口をいったん閉じる。恐らく、もう過去の人となってしまった姉を思い浮かべながら。


「…どうしてこうなったんだろう」


 その声に、もう感情の昂りはなかった。脱力するような、嘆くような、弱々しい声。
 手拭いを握りしめ、二の腕に顔を埋めながら、絞り出すような声を出す。それを義勇は、何をするまでもなく、ただただ眺めていた。


「姉は優しかった…兄さんも、父さんも。こんな目に遭う人じゃないのに」
「…」
「私なんかよりも、幸せになるべきだったのに。私が身代わりになればよかったんだわ」
「…」


 優しい人へ突如訪れた理不尽へのやるせなさを零し、少女は死ねばよかったと嘆く。
 その思いは、義勇も同じだった。幸せになるはずだった自らの姉や、強く立派な剣士になれただろう友を想うと、この隊服に袖を通すたびに、その考えはよぎる。かといって、彼女に義勇は同情する気持ちも、慰めたいという思いは沸かなかった。きっとこの娘は、この想いを一生抱えて生きていく。その想いを、この姿勢のまま彼女が背負って生きてゆけるとは、到底思えなかった。理不尽なこの境遇に、ただ嘆くことしかできないこの少女が。
 そう思うと、義勇の口から自然に言葉がついて出た。


「いつまで、そのように蹲ったままでいる。みっともない」
「……え、」
「お前には他にすべきことがあるだろう」
「……」
「お前は身代わりになることすらできなかった」
「……」
「だからと言って、そのようにその状況に甘えているだけならばお前はただの愚か者だ。死んだ家族の弔いにもならない」


 そんなことを言われるとはまったく予想していなかったのだろう。少女は絶望に乾いた目をこちらに向け、茫然とこちらを凝視してくる。
 我ながら、傷心の、少女に向ける言葉にしてはとても酷く、配慮の足りないものであったと思う。家族を殺され、姉は鬼になった挙句目の前で首を刎ねられるという仕打ちがあった少女に対し、愚か者などと言うのは、まるで追い討ちをかけるもので。そんなことを自覚していながらも、義勇は言うことを躊躇わなかった。


「他にすべきこと、」


 しかし、気丈にも彼女は義勇の言葉を復唱し、考え込むような素振りを見せた。それから、「そんなものが、あるのかしら」とすこし困惑を滲ませつつも、まっすぐこちらへ目を向けてくる。
 さきほどまで、自分が身代わりになればと考えていた彼女なのだ。それほどまでに自分の価値を卑下してしまったのに、改めてほかの自分の価値を見出そうとしても、簡単にはできないだろう。

 義勇も、この少女が自分に対して新しい道標を見つけられるかどうかはわからない。人の未来を占うことが出来るわけでもないのだから。けれども、自分が身代わりによかった――自分が死ねばよかったなどと、考えることはなくるだろう。成すべきことをこれから模索していくなら、その考えをこの少女が持つことはないだろう。義勇はそう考えると同時、自分の様に――姉と親友の代わりに死ねたらと、今でも考える自分のようには、なってほしくはないと、心のどこかで願っていた。自身の境遇に、絶望ではなく、別のよすがを抱いて、生きてほしいと。

 あるのかと、半信半疑で尋ねてきた彼女の瞳には、目を合わせなかった――立ち直れないままの自分には、答えられない疑問だ。それから暫く目を逸らしたままでいると、少女は少し決意を固めたように、目を伏せる。


「――、」
「それで、私たちが報われるなら、そうしましょう」


 そうか、といつもよりも小さな声で返事を返す。消え入るような声だったけれども、この静かな空間にいる彼女にはよく聞こえただろう。

 ――それから義勇は、藤の家紋の家に少女を保護させたのち、その少女と関わるのをやめた。それゆえに、彼女がその後どうなったのか、義勇は知らない。藤の家紋の家で暮らしているかもしれないし、どこかの家の養子になったかもしれないし、もしかしたら嫁に行っているかもしれない。
 お互いの名前を知るわけでもないから、連絡のしようもないし、そもそも取り合うつもりもなかった。きっと彼女は、新たな生き方を見つけているだろうから。それに、自分のような者が、干渉するわけにもいかない。
 別に、彼女に特別な想い入れがあるわけでもないから、どのような生活をしていようが何の問題もないのだけれど。でも、自分のようになっていなければいいと思うのだ。

 ――懐かしいことを、思い出した。何故、このことを思い出したのだろう。片隅に居座り続けているこの思い出だけれども、つねに頭に浮べているわけはないのに。
 ひとつ、その原因と思われる可能性が高いことがあったといえば。似たような目つきをした娘と、ふと目が合ったくらいである。


20190814

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