闇の中での邂逅
私はホテルに戻った後、夕食の後に入浴し、二階のバルコニーに出て涼みながら、今日の出来事を思い返していた。
『大変な一日だったな…』
あれから、帰りの電車で疲れた私は、やっぱり寝てしまった。
そして私は案の定、彼に起されたのだが、その時は何も言われなかった。
もしや寄り掛かっていたのかと訊いても、素っ気なく「別に」と返されただけ。
あの時の彼は何となく不機嫌に見えた。
『…まさか…私はまた、何かやらかしたのかな?』
折角もう一人の彼がフォロー(?)してくれたのに。
もしかして…涎付けちゃった、とか?…あ、有り得るかも…?
確かめに行って、もしそうなら謝らないと。
明日は班行動だ。他の人達にはそんな内容は、間違っても聞かせられない。
今日中に行った方が良いけど…もうすぐ消灯時間だしな。
今、彼を目当てに男子部屋に突撃なんてしようものなら、後が恐ろしい事になる。
バフッ!
不意に頭の上に柔らかい衝撃を感じると共に、白い物が降って来た。
足元に落ちたそれを拾い上げる。
『…何だ? これ、枕じゃん。…何でこんな物が…?』
上を見上げたら、何やら四階辺りの真上の部屋が騒がしい。
窓が開いている。…あそこは確か、男子達の大部屋だった筈。
……枕投げか。落とすなよ。
私は溜息を一つ吐くと、枕を持って廊下に戻った。
※※※
私が当りを付けた部屋は、やはり男子達の大部屋だった。
『ちょっとー、誰!? 窓を開けたまま枕投げすんな!!』
「あ、綽名ちんー、それ、犯人は峰ちんー」
『紫原君のクラスだったの? てか、青峰君とクラス一緒だったっけ?』
「ううん。ちがうよ〜。峰ちんが遊びに来ているんだよ。それよりもさーお菓子持ってない?」
『お菓子って…来る時にあげたでしょー!?』
「もう食べちゃったよ。綽名ちんのお菓子は飲み物だよ」
『失礼な! 良く噛んで食え!!』
バフッ!
『わっ!?』
飛んできた枕を瞬時に避けたら、紫原君の腕に当った。
「おい、紫原! おめー、何一丁前に女子と話してんだよ?」
「もー、峰ちん止めてよー! 綽名ちんも避けないでよ!!」
紫原君は、私を枕が飛んで来る方に押しやった。
『ちょっと!? あんたねぇ、少しは女の子の盾になってやろうとか思わないわけ!? そのでかい図体は何の為にあるのよっ!!』
「綽名ちんなら、峰ちんを軽く捻れるでしょー?」
『あんた、か弱い私を何だと思っているのよ!?』
「か弱い女子は、自分で"か弱い"って言わないよ〜」
「おいおい痴話喧嘩かぁ? どっちでも良いから、かかって来いよ!!」
青峰君の投げた枕は周りを巻き込み、他の居合せた男子達も枕投げ戦線に加わり、
辺りは混戦の様相を呈し、収拾が付かなくなってきた。
私は飛んで来る枕を避け、時折やむを得ず応戦しながら、窓を閉めようと移動していた。
この年頃の男子は、暴れたら手が付けられない。
私が全ての窓を閉め終わった時、「やべぇ、先公が来たぞ!!」
そう誰かが叫んだのを機に、呆れる程の素早さで、彼等は皆布団に潜り込んでしまった。
紫原君なんかは、頭まで被り、足が出てしまっている。
あ、布団から出た手が、枕元の菓子袋を引っ張り込んでら。
なんてのんびり観察している場合じゃなかった、私こそ、ここに一番居てはいけない生徒の筈。
流石に男子の布団に入る訳にはいかないので、私は咄嗟の判断で手近な押入れに飛び込んだ。
私が押入れの臥間を閉めた一瞬後に、扉が開いた音がした。
間一髪だった。
でも、私が飛び込んだ先には既に先客がいた。押入れの中は狭い。
私は、部屋を歩き回っている先生に気付かれまいと奥に身体を寄せ、その先客と密着する態勢になり身動きが出来なくなった。
先に入っていたのはどうやら男子らしかった。
がっしりした筋肉が触れた先から感じられた。
相手は私の腰に腕を回し、私を両脚で挟み込んだ。
うう…これって、まるで抱き締められているみたい。
誰かも分からない相手に…
胸の辺りに何やらもぞもぞと動く感触がした。
私は小声で抗議する。
『ちょっと…! どこ触っているのよ!』
「おめー、女か…もう少しここは育った方が良いぜ」
『手をどけて! このセクハラ野郎…っ!!』
「馬鹿! 動くな。…気付かれっぞ」
私は口を噤み、身を固くした。彼に耳元で囁かれて、背中がゾクゾクする。
「まだ…部屋にいやがる。何時になったら出て行くんだ?」
やだ…この状況に心臓の鼓動が大きくなっていく。恥ずかしい。
私は、この状況を何とか紛らわそうと彼に小声で話しかけた。
『…ずっと歩き回っているみたいなんだけど』
彼はふわぁ、と大きな欠伸をした。
「やっべ。…俺、眠くなって来たわ」
そう言うと同時に、身体に重みがかかった。
『えっ? まさか…ちょっと!?』
私は慌てた。こんな時に、どういう心臓してんだ? こいつは!
「すぅ……」
私の頬を彼の髪の毛が擽り、首筋に彼の息がかかる。
ど…どうしよう!? まだ先生の足音が聞こえる。動けない。
「おい、お前、これは何だ!?」
先生の声が聞こえ、私はビクリと身体を揺らす。
「えーまいう棒だけどー」
のんびりした声は紫原君のだ。私は安堵の息を吐いた。
…見付かったのか、菓子w
「菓子を布団の中に入れるな!! 寝る前に菓子を食べるな!!」
「えー…良いじゃん〜これ位ー」
「布団が菓子クズで汚れるだろ!! ちゃんと鞄の中に仕舞え!!次やったら没収するからな!」
「ちぇー」
息を殺していたら、次第に足音が遠ざかり、扉の閉めた音の後に忍ばせた声が聞こえた。
「…先公行ったぜ。皆もう出て来て良いぞ!」
私はホッと息を吐くと、身体に回された腕を外し、寄り掛かった彼の身体を押しやった。
早く外に出て、部屋に戻らなくちゃ。
臥間の取っ手に手をかけた時、再び私は後ろに引き戻された。
『え…っ!?』
今度は背中側から腰に腕が回された。頭の上に彼の顎が乗る。
「すぴー…ううっ…もう食えねぇ…」
寝惚けているらしい。私を抱き枕代りにするなよ…
私は再び腰に回された腕を外し、やっと外に這い出る事が出来た。
外に出た時、私は後ろを振り向いたが、暗がりでその男子の顔は分からない。
ただ闇の中で薄っすらと、長くて浅黒い引き締まった筋肉質の手足を、無造作に投げ出しているのが見えただけだった。
……でもあの声、あの話し方。…そしてあの身体。…まさか…アイツじゃないだろうな…?
今更わざわざ戻ってまで確認する気にもなれず、私は頭を一つ振ると部屋の扉に手をかけた。
※※※
「苗字」
部屋を出た時に、赤司君に声をかけられた。
『あ…赤司君!?』
吃驚したが丁度いい。さっきの事を確認してしまおう。
『あの…』
ところが赤司君は険しい顔をして、私の言葉を遮った。
「苗字、ここは男子部屋だ。消灯時間過ぎてまで一人でいるのは感心しないな。僕が部屋まで送って行こう」
『えっ!? 良いよ! 一人で戻れるから!!』
赤司君に夜、部屋まで送られたなんて他の女子達に知られようもんなら、どんな事になるか、考えただけでも恐ろしい。
私は赤司君を振り切り、慌てて部屋に戻った。
そして余りにも慌てていたものだから、私は根付を落としていた事に気付かなかった。
※※※
-青峰side-
「おい、青峰! いい加減出て来いよー」
俺は目を覚ました。
「っくあ〜っ! …暗ぇな…んーっ」
大きく伸びをしたら、伸ばした拳が天井を打った。
「…ってぇ。ありゃ?」
拳に感じた痛みで、漸く意識がはっきりした。
押入れの戸が開けられていて、外から四角に切り取った光が目を射た。
そうか。俺は先公に見付かりそうになって……そして誰だか分からないけど女が入って来て…
俺はいつの間にか寝てしまったらしい。
女は既にいなくなっていた。
あの女の匂いと抱き心地が良かったから、つい気持ち良くなって眠ってしまった。
「…ちっ。出る時に顔見てやろうと思ったのに。誰だったんだ? …アイツは」
外に出ようと這い出した手に、何かが絡まった。
「…何だこりゃ? ストラップか?」
指に絡み付いたのは、ピンク色の玉の付いた紐の様な物。
そのまま握り締めて外に出る。
これ、どう見ても女物だろ。…もしかしたら、アイツのかもしんねーな。
俺が部屋に戻ろうとドアを開けたら、目の前に赤司が立っていた。
「どわっ!? 何で赤司がここにいるんだ!? おめー、紫原に用でもあんのか?」
「大輝か」
赤司は無表情に俺を見返した。
俺はこいつのこんな表情が苦手だ。
赤司は俺の手に目を止めると、驚いた様に目を見開いた。
「……大輝、それは何だい?」
「んー? それって?」
「その…左手で握っている物だよ」
俺の握った左手からは、紐が零れ出ていた。
「………」
俺は黙って左手を開く。
「これは……どうしたんだ?」
「どーもこーもねーよ。先公から隠れた時、一緒にいた女が落としたんじゃねーか?
どー見ても女物だろ、これって。ここは男部屋で押入れに入った女はアイツ一人だ」
俺の台詞を聞いた赤司は物騒な光を目に湛えた。
「その…女は誰なんだ?」
「誰かは知んねー。中は暗くて顔も見てねぇからな。…赤司は心当たりあんのか?」
「…ああ。その女子は俺の知り合いかもしれない。それは持ち主に返すから俺に預けてくれないか?」
赤司がそんなに女子の事をあれこれ言うのが珍しいから、俺は好奇心が抑えられなくなった。
俺は赤司の取ろうとした手から、その玉を避けた。
「誰だよ、その女って? そいつの名前を教えてくれたら俺が直接返してやるよ」
俺がからかった瞬間、ヤバいと本能が告げる。辺りの温度が急速に冷えて行く様に感じた。
「大輝」
赤司の左右の異なる色の瞳が鋭く光る。
その瞬間、俺の手の中の玉は、赤司に握られていた。
「なっ…!? てめぇ…っ!!!」
今、こいつは何をしやがった!?
俺の反応出来ない速さで、俺の手から奪いやがった!?
俺が茫然としている前で、赤司は表情を戻し、玉を軽く掲げた。
「では、これは持ち主に返しておくからね。彼女の落し物を見付けてくれて礼を言うよ、大輝」
赤司は小憎らしい位に悠々とした態度で去って行った。
※※※
-名前side-
次の日の朝、私はポケットやら鞄やらを引っ繰り返していた。
『あれ…? どこにやったんだろ…?』
赤司君と一緒に買った根付が無い。
どこかに落としてしまったのだろうか?
『……うう…っ』
私は落ち込んだ。
一緒に買った記念の品をすぐに無くすなんて。我ながらどうかしている。
班で行動し、皆で神社に行ってお神籤を引いた時は、以前の様な不可解な出来事は起らなかった。
私はホッとしながらお神籤を開く。
中吉、と出ていた。
『願望、一部叶う。失物、意外な所から出る。恋愛、友人関係に縁あり。 学問、試験良し。旅行、思いがけない出来事が起こる…』
当たっているなら、どこか意外な所から出て来ても良い筈だけど…?
私はうろうろと手水舎の辺りを探った。
ここに来たのは初めてだから、出て来る筈も無いのだけど。でも意外って書いてあるし。
買ったのは水と縁の深い神社の参道の店だったからと、当てずっぽうに水の近くを探してもやはり無駄だったらしい。
私は落胆して溜息を吐いた。
「苗字、ここにいたのか」
『…赤司君?』
赤司君は私を見ると、ふ、と口元で微笑った。
何となく嫌な予感がして、私は顔を顰める。
彼は、瑪瑙の根付を携帯に付けていた。
「君の買ってくれた根付は、早速使わせて貰っているよ。君はどこかに付けたのかい?」
『……ええと。まだ…決めてない、かな?』
まさか無くしてしまったとは言えない。私は苦笑いして誤魔化そうとした。
でも、彼は正しく私の心の中を読んだとしか思えない正確さで、核心を突いてきた。
「……それとも、まさか無くしてしまったとかじゃないよね?」
『……っ!? どうしてそれを!?』
私は驚いたあまり正直過ぎる反応をしてしまい、赤司君は深い溜息を吐いた。
「…全く君は。昨夜の男子部屋で落としたのに気付かなかったのか? 迂闊にも程があるぞ」
彼は、私に根付を返してくれた。
私は礼を言って受け取ると、赤司君に怖々と確認してみた。
『…昨日の帰り、電車で寝てしまってごめんね? …それであの…もし、私が制服に涎とか付けてしまったなら…』
赤司君は意外そうに目を瞬いた。
「……別に僕は苗字が寝た事を怒ってなどいない。あの時寝たのは君だけじゃないからな」
『……へ?』
「ああ…いや、何でも無い。忘れてくれ」
寝たのは…私、だけじゃない…?
って事は……もしかして、赤司君も……??
うわぁ…それは何てレアな。…見逃すとは惜しい事をした。
私がまじまじと赤司君を見たら、彼は私を軽く睨んだ。
「苗字…僕の顔に何か付いているのかい?」
私は慌てて言い訳した。
『ああ、いや! …赤司君も居眠りするんだな、って。
…でも、私の寝顔は見られたのに、赤司君のは見れなかったなんて不公平な気がする…』
彼は首を傾げると、不意に私の傍に寄って来て耳元で囁いた。
「……そんなに僕の寝顔が見たいなら、僕を落としてからにするんだね? 苗字にはまだ早いよ」
『なっ!?』
彼は妖しく瞳を細めて微笑み、私の頬を一撫でして去って行った。