紅と金とstranger
『赤司君…さっきまでの貴方とは違う人ね? ううん。……どっちかと言うと、昔に戻った…?』
赤司君は口の両端をゆっくりと上げて艶やかに微笑んだ。
「君には分かるかい? そう、俺は赤司征十郎。さっきまでの僕も赤司征十郎だ」
『…何それ。人格交代? 貴方は二人いるの?』
彼は頷いた。
「そう、赤司征十郎は二人いる。でも俺は、まだ出るつもりはなかった。
まだ…負ける訳にはいかない。……彼等が俺を倒すまでは」
『彼等? …一体何があったの?』
私は眉を顰めて重ねて問う。
「俺は克服しなければ。父からの軛を…自分が剋される恐怖を」
彼はすうっと瞼を閉じると頭をぐらつかせた。
私は慌てて倒れそうな彼を支え抱き止めた。
『赤司君!? しっかりして!!』
ここは山の中。
救けを呼ぼうにも携帯は圏外、麓まで下りないと連絡も取れない。
……どうしよう?
途中のどこかに電話か、人がいればいいのだけど。
でも今の私には、どこに行けばいいのか分からない。
私は力の抜けた彼を抱き支えながら、先程の事を考えていた。
赤司征十郎は二人いる。…でも片方―昔の赤司君は、まだ出るつもりはないと言った。
一体、彼に何が起こったの?
バスケ部も…黒子君が言った様に変貌したのなら、それと関係しているのかな?
風が吹き、辺りの木々は騒めいた。
何かここには、見えない力が満ちて来ている様な気がする。
私の前世が見えた事と言い…ここに長く止まらない方が良いのかもしれない。
私に凭れていた彼が、僅かに身動ぎするのを感じて、私は顔を上げた。
「……苗字…?」
『…赤司君、大丈夫?』
薄らと目を開けた赤司君の瞳は、片方が金色になっていた。
"彼"は…覚えているのだろうか?
「僕は一体、どうしたんだ…?」
ぽつりと自身に洩らし、ああ…そうか、と呟いた。
「もう一人の僕が出て来たんだね?」
彼の確証を持った疑問に、私は無言で頷いた。
『大丈夫? 歩ける?』
彼は軽く頭を振ると、口元に自嘲の笑みを浮かべた。
「心配ない。…この場には、尋常ではない力が働いているみたいだ。
先に行こうか。…苗字、そろそろ離してくれないか?」
私は、まだ彼を抱き締めたままだった。
我に返ってゴメンと呟き、慌てて彼から離れる。
そんな私を見て彼は苦笑した。
「…何だかここに来てから、僕は珍しい体験ばかりをするね。…苗字は、僕の事を避けているとばかり思っていた」
『べ、別に避けてなど…!』
そりゃ、幾分か…いや、結構苦手…だけどね。別に彼が悪い訳ではないけれど。
「ならいいが」
確かに…私は彼に悪い意味での先入観を持っていた。
途中まで漫画を読んだ私のイメージの彼は、鋏のインパクトで刷り込まれている。
更に悪い事に、親の期待値がプレッシャーになっていたから、無意識に反抗していたのかもしれない。
…だから実際の彼を先入観無しに、フラットに向き直ってみようか?と初めて考えた。
どんな人とも実際に付き合ってみないと分からないのだから。
私は決心すると、彼に向き直った。
『…どんな人かは実際に、当ってみなければ分からない。私は、良い友人になれたらいいと思ってる』
「友人…ね。僕には必要無いものだ」
赤司君は整った口元を軽く歪めた。
…じゃあ私は彼にとって、偶々居合せただけのクラスメイトか。
別に彼に特定の感情を傾けている訳ではないが、一緒にいるのにも関わらず、必要ともされない、
彼に拒絶されて、友人にすらなれないと考えると、心の奥底が冷えていくのを感じた。
※※※
私達は西門まで辿り着き、貴船に入った。
朱塗りの灯篭が続く石段を上って行く。
『貴船…かぁ。確か丑の刻参りで有名な神社だよね』
「本来は水を祀る神社だけどね。…ここは縁切りと縁結びでも有名だよ」
『…縁切りと縁結び…? どっちもなの?』
「悪縁を切り、良縁を結ぶって事じゃないのかな。縁結びは結社の方だそうだが」
本宮でお参りした後に、私は興味深い物を見付けた。
『…水占い、だって。珍しくない?』
「やってみるかい? 君は何にでも興味を持つね」
彼は小さくクスクス笑った。
お神籤の紙は一見、枠と項目だけで、他には何も書かれてない。
水占の斎庭の神水に浮かべると、文字が浮き出て来ると言う仕掛けだ。
私は、何気なく斎庭の水面を覗き込んだ。
不意に、風も無いのに水面が揺らぐ。
その水面に映し出された影は徐々に像を取り始めた。
私は驚きつつも目を凝らす。
見えたのは、かつて私がいた世界。
もう記憶も薄らいでいた、私のいた部屋だった。
クラリと眩暈に襲われ、私の意識は水の中に引き込まれる。
「苗字!!」
いきなり私の身体は後ろに引かれ、赤司君に背中を預けていた。
「消えろ!!」
赤司君の一喝で激しく水面が波打ち、水柱が立った。
『きゃっ!?』
私は吃驚してよろめいたが、赤司君に後ろから抱えられて支えられる。
「…大丈夫か? 苗字」
彼は私の顔を覗き込んだ。
『…今のは……一体…?』
私が彼の目を見返すと、彼はオッドアイを妖しく光らせた。
「何かは分からない。が、君が連れ去られそうだったから、僕が叩き返してやった」
『叩き返したって…何を!?』
「僕の目の前で苗字を、むざむざと奪われる訳には行かないからな」
……今更だけど。…赤司君って…何者!?
…それに、奪われるって…?…突っ込むのも怖いから、私は何も聞かなかった事にした。
※※※
それから私達は斎庭に近付く気にならず、神社を出て通りを歩いた。
私は通りの土産物屋の前で足を止めた。
「何か欲しい物があるのかい?」
『折角来たから、何か面白い物は無いかと思って』
色々と見ている内に、桜柄のトンボ玉の根付を手に取った。
透き通ったピンク色が可愛いかも…
「…見せてくれ」
赤司君に手渡すと、彼はそれをしばらく見つめ、握り込んで持って行こうとした。
『えっ!? それ、気に入ったの?』
赤司君には、些か可愛らし過ぎると思うんだけど。そんな趣味だとは意外だった。
しかし、私が自分用に選んだのを持って行くってのはどうなんだ?
彼は、足を止めると振り返った。
「これは僕が買おう。君にプレゼントさせてくれ」
『えっ!? それはちょっと…!!?』
悪いから、と続けようとしたら、彼は眉を跳ね上げた。
「……ここまで一緒に来た記念だ。…それとも僕からでは受け取れないのか?」
ええと…これは何て言ったら良いんだ…??
私は抗議をしようと開けた口を一旦閉じて、少し思案してから口を開いた。
『…なら、私も赤司君のを買わせて。それで交換するなら良いよ。…これなんかどう?』
私が示したのは、紅と金色が溶け合った色合いの瑪瑙玉の付いた根付だった。
彼は、少し首を傾げて不思議そうにそれを凝視した後、口許を緩めてゆっくりと頷いた。
「…何となく、君が僕をイメージしたのは伝わったよ。喜んで受け取ろう」
※※※
一通り周った後、まだ少し時間があった。
私と赤司君は山歩きの疲れを癒すべく、少し休憩を取る事にした。
私達が入ったのは、川沿いの茶屋だった。
案内された席は窓辺で、そこからは涼やかな音を立てた渓流を見下ろせた。
『あっ、黍団子がある! 珍しいし、これにしようかな?』
私は燥いだ声を上げる。
お品書きを見ていた赤司君は、小さく呟いた。
「湯豆腐もある。…僕はこれで」
湯豆腐?
確かに京都の湯豆腐は美味しいけど…お茶屋で頼むにしては変わってるな。
『赤司君、湯豆腐好きなの?』
「ああ。良かったら君も食べるかい?」
『…そうね。甘い物でも良いなら、黍団子と交換しようか?』
お互いに一部取分けていたら、彼は楽しそうに口を綻ばせた。
「こういうの…初めてだな」
『…え? もしかして、取分けて食べるのが?』
「そう。君といると、僕は初めての体験ばかりする」
こうして話していると、赤司君なのに、普通の少年に見えてくるのが不思議だ。
『バスケ部の人達とは…こう言う事…しないの?』
「君は誤解している様だな。…バスケ部は仲良しクラブではないよ」
『……でも、チームメイトでしょ?親睦は図っても可笑しく無いと思うけど』
私がそこまで言うと、彼は猫の様に瞳を細めた。
もしかして…地雷だった? 冷たいものが背中を伝う。
「帝光バスケ部に、そんな甘ったれた了見は必要無い。
僕らはもう引退したが、これから皆、進路が別れる。…彼等は倒すべき敵だ」
敵…ライバルと言うなら、そうなのだろう。
彼は黙りこくった私に構う事無く、更に冷たい声音で言葉を続けた。
「僕は…頂点に立つ。邪魔をする者は容赦しない。僕は…全てにおいて一番でなければならない」
私は、恐る恐る口を差し挟んだ。
『…赤司君……努力して頂点に立てるのって、凄い事だけど…いつもそれでは疲れない?』
彼は目を瞠った。
「その様な事は考えた事も無いな。僕は勝利をする事が当然だ。
父はいつも一番を僕に求めるが、僕はそれを当然と思いこそすれ、苦痛に感じた事は無い」
私は、この世界の、黒子君や赤司君の行き着く先までは分からない。
でも僅か中学生にして、彼をここまで歪ませてしまった元凶は、彼の環境…
周りを取り巻く大人達にある事を理解し始めていた。
なお悪い事に、彼はそれを疑問に思わない。
自分を守る為に反抗せず、受け入れて。
幸か不幸か、周囲の期待に応え得るだけの器量を持ち、大人達の彼への要求は際限なく膨れ上がる。
その結果、自らを分裂させる程にまで追い詰めてしまったのではないか?
私は彼の歪みを理解しても、正す事は出来ない。
…それは私の役割ではない。
出来るとしたら…かつてのチームメイトのみ。
私は黙って彼の言葉に注意を傾ける。彼はフッと自嘲気味に微笑んだ。
「…不思議だな。苗字はバスケ部ではないから、最初は関わる事もそうないと思ってた。
なのに、今はこの様な事まで話している」
『それは…逆に関わりがないから、じゃないの? 私はさっき話した様に、ここの世界の者じゃないから。
言ってしまえば、通りすがりのストレンジャー。吐き出したい事があるなら、穴に向って叫んでしまえ的な』
「穴…ね。…苗字は自分の事を過小評価し過ぎだな」
拒絶されたと思ったら、今度は過小評価だって?
彼の私への評価を掴みそびれて、私は内心で困惑していた。
※※※
店を出て駅に向っている時に、先を歩いていた赤司君は不意に足を止め、口を開いた。
「……さっきの話だけど。君は
苗字さんは……俺の友人だ」
振り返った彼の瞳は、両方共燃える様に紅かった。
私は息を飲んで立ち竦む。
彼は、さっき買って交換した瑪瑙の根付を目の前に翳した。
「…もう一人の俺も、そう思ってるよ」
奴は絶対に言わないだろうけどね、と軽く含み笑った彼は、背中を向けて再び先を歩き出した。
私は…ストレンジャーじゃなくて… 友人…?
彼の言葉が頭の中で反芻する様に響いた。
……あれ?
…何だろう。
今まで心許なかったのが、ストンと収まって…少しだけホッとした私がいた。
私…ここに居ても良いの…かな?
「苗字、何をしてる? 急がないと電車に間に合わなくなるぞ」
振り返った彼の瞳の片方は、金色に戻っていた。
私は慌てて彼の後を追いかけて走り出した。