If-帝光編(一年)


プロローグ


私は今、小学四年生。
今日はピアノのジュニアコンクールで、ドキドキしながら舞台裏に向かっている。
勿論、母も付き添ってくれてる。

この世界で生まれて初めて、大きな会場で弾くのでかなり緊張している。
私は深呼吸を繰り返した。……大丈夫。何度も繰り返し練習した。
暗譜で一度も間違えなくなるまで。

私は白いドレスを着込み、髪には白地に金色と水色のペイズリー柄の刺繍の入った、お気に入りのリボンが揺れている。
準備は万端! 私は意気揚々と舞台裏のドアを開けた。


ドアを開けた途端、私はそのままドアを閉めそうになった。
後ろにいる母がドアを押さえる。
「名前、どうしたの?」
『………』

ドアを開けて真っ先に目に飛び込んで来たのは、鮮やかな緑色の髪の美少年。
…しかも眼鏡かけた下睫毛バシバシの。

……何で反射的に回れ右をしそうになったのか?

私の記憶に掠ったものがあったからだ。……いやいやいや。そんな事は有り得ない。
昔、転生前に読んだ某少年漫画…バスケを扱っている漫画の登場人物をそのまま縮めた様な存在がいるとか。
きっと気のせい…他人(?)の空似だろう。……それにしても些か似過ぎではないのか?

私は漸く気を落ち着けた。
見ると、その少年が取り乱しているのが分かった。
彼は、母らしき女性に、頻りに何かを訴えていた。

「ラッキーアイテムが無くなってしまったのだよ…!!
今日の蟹座の順位は最下位…無いと、今までの苦労が水の泡になってしまうのだよ…!!」
「真太郎、落ち着いて…!!」


神様、……私、帰っていいですか?


「今から急いで買って来るから…ならいいでしょ?」
「もうすぐ出番なのだよ! 一番後ろに回してもらうのだよ。でなければ間に合わない!!」
「お店…近くにあるかしら? タクシー呼ばなきゃ…!」

一番後ろって。もう小学生部門はプログラム進んで後ろも無いけど。間に合うのかな…?

私の母も驚いたみたいだ。
「……何だか大変ねぇ」
『……うん』

私も蟹座なんだけどな。…今日のおは朝は観てなかった。
ラッキーアイテムって何なんだろう? …少し気になる。
しかし。好奇心は猫を殺す、のである。即ち、関わったら負け。

『…あの。そのラッキーアイテムって何ですか?』

私の声で、彼等は初めて私の存在に気が付いたみたいだ。
「ああ、騒がせてしまってご免なさいね。この子はラッキーアイテムが無いと落ち着かないのよ」
「ラッキーアイテムは……っ!!!」

緑髪の彼は、私を見るなり目を光らせた。
それだ!!!!
『えっ!?』

彼は私を指差していた。
「その…ゾウリムシ柄のリボン、なのだよ!!!!」


…………
………………
……………………

…い、いかん、一瞬気が遠くなりかけた。
おは朝の破壊力パねぇ。何だよ、ゾウリムシって!?
私は気を取り直して反論する。

『ゾウリムシ!? 失礼にも程があるわよ!!!』
気に入っていたのに、ゾウリムシにするとか!!蝶柄を蛾だと言われるより納得いかない。

彼は眼鏡をかけ直して反論する。
「それはどう見てもゾウリムシなのだよ。この突起なんかは繊毛その物だろう」
『ペイズリー柄はゾウリムシを発見する前からあるのよ!! 気持ち悪い事言わないでよ!!!』
「俺にとっては、それはゾウリムシのリボン。ラッキーアイテムなのだよ。……だから、それを貸して欲しいのだよ」

何でそーなるの。つかゾウリムシ言うな。

『……はぁ』

お気に入りのリボンを悪気なくディスられた上、それを貸せとか。
テンションガタ落ちだ、どうしてくれる。
…………

私の苦虫を噛み潰した様な表情を、私と彼の母は気がかりそうに見ていた。
このやり取りを見て、流石に貸してくれとか言えないらしい。

私は件の漫画で、彼がおは朝を信仰している事とか、ラッキーアイテムに拘る事は良く知っていた。
だから彼が今、本当に困っている事はよく分かっていた。
彼は本気なだけなのだ。

私は長い溜息を吐いた後、髪からリボンを解いた。私の髪が流れ落ちる。
私は憮然と彼にリボンを差し出した。

彼は目を瞠った。
『……使って。お気に入りを貸すんだから下手な演奏したら、ただじゃ措かないわよ?』

彼はその時、初めて口許を軽く綻ばせた。
「ああ、人事を尽くして来るのだよ。…礼を言う」
私は、その表情に一瞬で魅せられた。

美少年の微笑みヤバい。天使かよ。
思わずショタに宗旨替えしたくなったぞ。

※※※

彼の演奏は素晴らしいものだった。
その次に出る私が暫く惚けてしまった程だ。

その彼の次に出るなんて…イヤでも比べられてしまうじゃんか。

出演者は演奏が終わると、待機する側と反対側の袖に行く事になっていた。
だから私の髪は母のシュシュで緊急的に纏められ、リボンを返して貰う時間は無かった。
すぐに私は出て行かなければならない。

私は動揺していた。
自分の事まで考えずに、彼にアレを渡してしまった。
あれが蟹座のラッキーアイテムなら、私は……どうなるの?

余計な事を知るべきではなかったかもしれない。
てか、あれはゾウリムシなんかじゃねーーーよ!!!!

色々この直前で起こった事に頭がグルグルしていた。
何とか始めは滑り出せたものの、集中力を欠けさせた私は、途中の苦手な箇所で止まってしまった。

どうしても思い出せない。焦れば焦る程、頭が真っ白になっていく。
会場の微かな騒めきが聞こえて居たたまれない。

もう…駄目だ。

私は立ち上がると、客席に一礼して袖に駆け込んだ。


彼にリボンを貸す時に偉そうな事を言ってしまった手前、彼とは視線すら合わせられなかった。
彼から返す為に声をかけられる前に、私は逃げ出した。
あんなに練習しても、人前で演奏出来なければなんの意味もない。

私は母と合流した後、そのまま結果も聞かずに会場を出た。
通っていた教室も別のに替え、もう二度と発表会に出る事さえなかった。

そして、彼に貸したリボンと共に、黒歴史として記憶の底に封印した。


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