あなたって暗闇ね


 ピンポン、ピンポン。ピンポンピンポンピポピポピポピポピピピピ!


「はーい、はいはーい、今出ますから待ってくださいー!」


 しつこく、しつこく、それはもうしつこく呼び鈴が鳴り続ける。それは明らかに加速度と苛立ちを持って部屋中に響いていた。

 あらゆる物の位置を正確に把握したリビングを急ぎ足で抜けながら、名前は溜め息をついた。

 もう、しつこい人だなあ。出るって言ってるじゃん。これで宗教の勧誘とかだったら怒るからね。

 インターホンの通話ボタンを探り、カチリと押す。


「はーい」
「俺。開けて」


 オレオレ詐欺顔負けの台詞が、名前の返事をほぼ遮るかたちで飛び出してきた。

 その声を聞いた瞬間、名前の脳裏に愛しき顔が浮かぶ。
 忘れることなどなかった。間違えるはずなどない。鼓動が騒ぐ。胸のうちの鼓動に打たれ、張り裂けてしまいそうだ。

 開いた唇が震える。その名を口にするのが、少し、怖くさえあった。


「…………悟、様?」
「他に誰がいんだよ、早く開けろって」
「……でも、」


 名前は逡巡した。
 会いたい。会えない。会いたい。会う資格なんてない。会いたい。会っては、いけない。

 揺れ動く心の狭間で、しかし身体は本能に忠実であった。気づけば名前は玄関で鍵を回していた。







 数年ぶりにまみえた名前に、悟は数秒言葉をなくした。場違いにも程があるのだが、それでも思わずにはいられなかった。

 ──綺麗になったな。

 目元に残った傷や、悟の姿が映らぬその瞳は例えようもなく痛々しい。それなのにそれを軽々しく凌駕する、女としての、人間としての美しさがそこにはあった。

 それが、年齢により開花したものなのか、視力を失ったが故のことなのか。悟には図りかねた。

 こくり。生唾を飲む。あわせて上下した喉元を自覚しつつ名前を見つめていると、名前はゆっくりと口を開いた。唇が震えているのがわかる。


「悟様……なんで、」
「いやオマエこそ何してんだよ。いつまでも待ってるとか言ってたくせに」
「う、ぐ」


 ぐうの音も出ません、と項垂れる名前の頭頂へ、「……バーカ」と呟きぽすりと手のひらを落とす。名前は未だ震えの残る唇で、自嘲じみた笑みを浮かべた。


「ふふ、馬鹿だよねぇ。……ね、悟様、お顔触ってもいい?」
「ん」


 ぶっきらぼうに返事をする。ゆっくりと伸びてきた手が、悟の輪郭を確かめるようになぞる。


「相変わらず綺麗なお顔。でも、ちょっと痩せた? ちゃんと食べてちゃんと寝てる? ……忙しいんでしょう」
「オマエは自分の心配しとけよ」
「……わたしは元気だよ」


 そう笑った名前は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 頭頂から後頭部へ手をずらし、そのまま引き寄せてみる。軽く力を加えただけで名前の身体は容易く傾ぎ、悟の胸板にぽすっと着地した。

 その刹那、名前の身体が緊張で強張る。それに構わずより一層力を込めると、名前は観念したように僅かにだけ体重を悟に預けた。


「……あーあ。せっかくあの家での生活も、悟様のことも記憶の奥の奥にしまって、そんな生き方をする心構えが整った頃だったのにな。なんで、来ちゃうの」
「……名前」
「寂しくなっちゃうじゃん……」


 ちいさな粒がぽろぽろと頬を転がり落ちる。それは悟の胸をじわりと濡らした。


「でもね、でも、会えてうれしい。わたしの世界は真っ暗になったけど、でも、悟様がいるだけでこんなに明るい。こんなに明るい暗闇があるなんて、わたし知らなかった」
「……ほんと、バーカ」


 胸にうずまっていた顔を上げさせる。目尻を拭い、そのまま傷跡へと指を添える。

 それから悟は一人頷き、名前の手を引いた。


「よし、名前。ちょっと来い」
「え、ど、どこ行くの」
「いーから」
「ま、って、見えないからゆっくり……! っ歩くの怖いの」
「あん?」


 見えない、という感覚が悟にはわからない。目隠しをしていたって、悟には見えてしまう。

 その恐怖心を理解してやることは、できない。

 尻込みする名前の腰へ手を回し、ひょいと持ち上げる。その身体を肩に担ぎ、悟は歩き出す。


「んじゃこれでいーね」
「わ、よ、よくない〜〜!」







 白昼堂々と白煙を燻らせ、硝子は可笑しそうに「へえ」と呟いた。


「何それ? 見た目は完全に誘拐だけど」
「コイツが怖いだの重たいから降ろしてだのうるせぇのが悪ぃ」


 名前を高専へ連れてくる道中の騒がしさに苛ついた悟は、うっかり名前を気絶させてしまっていた。

 完全に力の抜けた体躯を肩から降ろして横抱きにし、硝子の前へ腰を下ろす。顕になった名前の顔を見て、硝子の目がすうっと細まる。


「……変な傷だな」
「治せるか? 視力は完全に持っていかれちまってる」
「傷跡は、たぶん残る。視力は……やってみっか。あ、勿論高くつくけどいーよね」
「ああ」


 名前を見下ろす。
 呼吸に呼応し穏やかに上下する胸元。腕の中のぬくもりに、酷く安堵する。

 この体温を、よく二年以上も手放しておけたものだ。


「で、誰? この子」
「俺んだよ」
「そりゃ見りゃわかっけど……オマエの何? こんな大事そうにしちゃって」
「何って……」


 ──何だろうな。

 考えてみて、言葉に詰まる。
 確かなことは、二度と手放さぬということ。それ以外の心を言葉にしようとしても、上手く言い表せない。

 それきり口を噤んだ悟を見遣ってから、硝子は反転術式のため名前へと手を伸ばした。







「はい終わり。やっぱ傷は消えなさげ。見えるようにはなってると思うけど」
「サンキュ。……名前。……名前、起きて」


 しかしなかなか起きない。誰だこんなにスコンと意識飛ばしたの。いい腕してんじゃん。

 はじめこそそれなりに優しかった揺さぶりは、時を置かずにゆっさゆっさとしたおおきなものへなっていた。ついでに鼻を摘んだり頬を伸ばしたりしていると、ようやく名前の睫毛がぴくりと揺れる。


「……、…………ん」
「名前」


 薄らと開く眼裂。どこか宙を彷徨った視線が、時間をかけて焦点を結ぶ。それは明らかに悟に結像していて、悟の胸を瞬く間に安堵が占める。


「…………悟様?」
「……名前」
「な、んで? 見える……」


 信じられないといった面持ちで穴が開くほど悟を見つめてから、名前は周囲へと視線を巡らせた。次第に見える実感が伴ってきたのか、感極まった様子で目に涙を浮かべている。


「わたしの目、悟様が……?」
「いや、コイツ」
 悟が親指で硝子を指す。
「どーもね」
 硝子はぴらりと手のひらを翻し挨拶をしてから、名前の目を診始めた。

 視力は不自由ない程度まで戻っていること。傷跡は消せないこと。

 突然のことだったが、名前は冷静に硝子の話を聞いていた。


「すごい……魔法みたい。こんなふうに誰かを治すことができるんだ……あ、悟様、なんで笑ってるの」
「いや、仮にも御三家に仕えてたヤツの台詞とは思えねぇなと思って。魔法って……ククッ」
「だってほんとに魔法みたい。呪術ってすごいね。……あの、硝子様……見も知らずの小娘をお救いくださり、本当にありがとうございます」
「うん」


 満足そうに笑んだ硝子へ丁寧に頭を下げてから、名前は顎に軽く手をあて、首を傾げ思案を始めた。


「これからどうしようかな。悟様のご実家に戻るわけにはいかないし、何か仕事探さないと」
「これまではどうしてたんだ?」
「あ……千代ちゃんが仕送りしてくれてたの。けど元に戻ったからには何かしないと。働かざる者食うべからずってね」


 悟は呆れて溜め息を吐いた。

 名前には選択肢がないのだ。
 親からの仕送りの元、普通の学生生活を送り、必要があるのなら少しバイトなんかをして、同年代の友人に囲まれながら過ごすという選択肢が。

 物心ついた頃から悟のために生きてきた名前には。


「ここにいりゃいーじゃん。こんだけ広いんだ。雇用なんて腐るほどあんだろ」
「ここ、って……高専でしょ? わたし、ほんのちょーーーっと呪霊が見えるだけだもん。その他には付き人スキルしか持ち合わせてない。こんな若造、雇ってくれるかな?」
「雇わせるよ」


 雇うだの雇わないだの、もう少し子どもらしい会話をしたかったものだが、これが名前たちの生きる世界だ。

 こんな世界を、いつか変えたいと思う。


「そんでさ、もうちょいでかくなったら補助監督でもやりゃいい。俺専属の」
「専属なんてあるの?」
「あんじゃね? なんてったって俺、特級だし」
「……悟様はそれでいいの? わたしきっと、永久就職しちゃうよ」
「前にも言ったじゃん。一生俺んとこにいろって。まぁあと少しで俺も十八だし、そしたらこっちに永久就職だな」
「……え」
「あれ、でも女子の婚姻年齢って十六? 十八だっけ? 詳しく知んねーけど……まぁいっか。結果的には変わんねぇし」
「…………え?」













【あなたって暗闇ね】終

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