砕硝子音
「だいじょーぶ? 風邪ひいちゃ、う……」
(ワォ……もしかしてもしかしなくても名前ちゃんって、)
観測史上最大の至近距離で名前の顔を見て、とあることに気づいた天童は、好奇心のままに名前の眼鏡を外した。
「? どうしました?」
やっぱり、だ。
大きな目だとは思っていたけれど、なんて綺麗なのだろう。厚い眼鏡に隠れて、おまけに名前の人柄もあってか、みんな気づいていない。
すごく、すごく綺麗な目だ。
「あの、メガ、ネっ……?!」
天童が名前の眼球に息を吹きかけた。フッ、と鳴った直後、反射で名前の瞼が閉じる。
「わ、な、にす」
「目、綺麗だなーって思って」
「?? それより今ので眼が乾いて、ひー、涙が……」
──ぱりん。
砕ける、音がした。
美麗に短く響く高音。今まで聴いたどの音よりも、最高に美しい。
ふむ。さてさて、どうしよ。
天童は悩む。自分が抱えた感情に対し、珍しく悩んでいた。
(いつのまにか、好き、になってた?)
足繁く通っていたのは、面白かったから。名前と話すのが。名前と過ごす時間は何の変哲もないようで、全てが斬新で、快感だった。
(……好き、だったんだねェ)
「名前ちゃん、さ、キス、したことある?」
眼球を潤そうと流れた涙を携えて、瞬きを繰り返していた名前。その黒眸が天童を見る。きょとんとした表情。こんなに呆けた表情は、初めて見た。
「キスって、」
「そー、そのキスであってるよ」
返事を待たずに後頭部を抱える。眼鏡が毛布の上に落ちる。零れた涙を舐めとり、そのまま強引にキスをした。顎を持ち上げ、押しつけるように唇を重ねる。
腕が勝手に名前の身体に回る。状況が飲みこめないのか、名前はかちこちに硬直している。
やわらかい。筋肉は強張っているというのに。女の子特有のやわらかさが、天童の欲を掻き立てる。
舌で唇をこじ開け、天童の長い指が背中のホックにかかったところで、名前は突如として再起動した。天童の腕の中でじたじた身じろき、ぱっと顔だけが離れる。
「っさす、がに、びっくりするです」
「じゃなきゃ困るって」
名前の反応に、上がった体温に、心拍数に、天童は安堵する。ちゃんと、こういう感情があってよかった。
賭けだったのだ。
名前相手に、駆け引きも何もあったものじゃない。これでうんともすんとも反応がなければそこまでだと。先ほど瞬時に腹を括っていた。
もしかしたら、もうここに来られなくなるかもしれない。話せなくなるかもしれない。二度と自分を見てくれないかもしれない。
だけど、らしくもない憂慮を想うよりもただ、欲望に忠実でありたかった。求めたかった。名前が欲しかった。
くちゅん、小さなくしゃみ。
ああ、そうだった。風邪をひかせてはいけない。そろそろ帰さなければ。
もう見慣れた星空を見上げる。
小さな身体を抱きしめたまま。
「名前ちゃん、俺たちさ、このままこうして一緒にいるのも悪くないんでない?」
「悪いとおもったことなんていっかいもないです。……名前だって、ちゃんと覚えてるです」
「んんー、まいったなァ。それ、どういう意味?」
砕硝子音 ✽ ガラス細工の結膜の 終