砕硝子音
しんとした静寂のようで、しかしよく耳を澄ますと、夜の気配は音を立てるものなのだと。この場所で天童は知った。
その静寂に耳を傾け、意味もなく訊ねる。
「名前ちゃんってさ、欲しいものとかあるの」
「んんー、眼鏡がなくっても、望遠鏡がなくっても、星が見える視力がほしいです」
「それは日常生活においては、見えすぎちゃって不便ってやつだネ」
「そうですか?」
「そうですヨ」
不意に名前が立ち上がり、眼鏡を外して夜空を仰いだ。「やっぱり、見えないです」そう呟いて、眼鏡をかけ直す。
ふたりの間を、ひときわ強い夜風が吹きぬける。数多の星が瞬く。その下に佇む姿を、天童の双眼が見つめ──
「って名前ちゃんパンツ! パンツ見えてるよ?! しかもお星さま柄! 風強いから気つけて?!」
「んー、お星さま、かわいいですよねえ。さとりんもおそろい柄にするですか?」
「いやそういう問題でなくって」
諦めの中に、呆れの中に、一片の優しさを溶け込ませた溜め息が、天童の唇から漏れる。その吐息を気にした素振りを一切見せず、名前は毛布の元へと戻った。
「ところでさ、その毛布はどっから持ってきたの」
「おうちからです」
「家から? わざわざ?」
「おうち、そこです。そこ」
そこ、と明後日の方向を指差されても分からないのだけれど。まあ、きっとそこらへんなのだろう。へえ、と返した天童に、名前は首を傾げる。
「さとりんも寒いです? 入りますか?」
「へっ?」
なんの
(へえ……)
シャンプーだろうか。控えめな、それでいて確かに香るそれに、女の子らしい意外な一面を見たと失礼なことを考える。
名前を異性として特別に意識したことはなかった。なかったのに。これは、この感じは、一体何だというのか。
天童は誤魔化すように口を開いた。
「名前ちゃんも泣くの?」
「? もちろんです」
「へえ、意外。どんなとき?」
「いちばん最近だと、うちのワンコにお気に入りのクッション食い千切られたときです」
「ぶっ」
「なんで笑うですか」
「ぶははっ、だって、超普通以下!」
「普通も以下もないです、悲しかったです」
笑う天童に、名前が向き直る。
──あなたも、泣きますか?
眼鏡の向こう。大きな瞳が、真剣に天童を見つめている。問うているのだ。「楽園」の喪失に、涙しなかったのか、と。
「どうだろうねェ」
咄嗟にはぐらかした。
答えてしまえばそれまでだったのに。はぐらかしてしまった。
問には、同情も労わりも何もなかった。それが大層気持ちいい。纏わりつかず、深入りもせず、なのに何故か温度を持っている。
無意識に彷徨った視線を自覚し、そのまま空へと泳がせ大四辺形を探してみる。
隣で名前がもそもそ動いた。寒がりな犬のように身体を縮こめ、ごく僅かにだけ天童に身を預けている。
「名前ちゃん?」
「……すみません。でも、こうするとあったかいです」
生足スカートに加え、屋上に来てから結構な時間が経っている。そろそろ帰宅どきかもしれない。
ぐず、と鼻をすする音がして、天童は名前を覗きこんだ。