灯雪


※夢主の出てこないファンタジーです。
【風鈴】と【地球との恋の紡ぎかた】の間、空白の期間の及川徹、という設定です。




*

 そのひとはひとり、空を見ていた。

 そのさまを、生まれたばかりの【わたし】は、空のずうっと高いところから見下ろしていた。

 濃く、深く、澄んだ夜空。

 痛いほど冷えた冬の夜の。

 こんな夜に生まれてよかった。
 星がこんなに綺麗。つんざく冷気にきらきら浮かんで、揺れるように瞬く。深い海の底に沈む、宝石みたいに。

 ……海?

 海なんて見たことないのに。
 どうして知ってるんだろう。

 そういえばそう、空も、星も、宝石も。知らないはずなのに──知っている。

 ……不思議だ。

 でも、怖くはない。自分の存在とはそういうものなのだと受け入れることができた。

 わたしの生はとても短い。ただ地上に降り積もるだけで終わるいのち。

 それでもよかった。
 だってそういうものだから。そういうものなのだと、知っているから。

 だけど、見つけた。

 まるで、空の先の宇宙を。いや、もしかしたら、それよりももっと先の何かを見つめるみたいに。

 ひとりで天を仰ぐひと。

 美しいひと。

 そんなに遠くを見つめて。
 誰を、想ってるんだろう。

 ……誰を?
 へんなの。なんでそのひとが【誰か】を想ってると思ったんだろう。

 ぴゅう、と風が吹いて、加速度を持って地上が近付く。それを勿体なく思った。せっかく見つけた生きる意味。少しでも長く、そのひとを見ていたかった。

 そのひとの口から昇る白い靄が、寂しく闇に紛れていく。鼻の頭にはじわりと赤味が差している。

 あたためてあげたい。

 あたたまったら、笑ってくれるかもしれない。

 そんなに寂しい顔をしないで。
 そんなに哀しい瞳をしないで。

 見ている方が辛くなるような。

 ……そうか。誰かを想っていないと、こんな表情にはならないんだ。寂しくて、美しい。愛しさが込み上げる表情。

 だからわたしは、このひとが。誰かを想っていると思ったんだ。そう理解する。

 わたしは人間じゃない。彼らからは見向きもされない存在。だから、気付いてはもらえない。見てはもらえない。わたしはこのひとの瞳に映ることのないまま、生を終える。

 それでも、わたしはこのひとのために生まれた。

 できることは無いに等しいけれど、せめて。このひとが見上げる先にいる、【誰か】へ。祈る心地で呼びかける。

 きっとあなたじゃなきゃ、このひとのこころをあたためてあげられない。

 とっても寒そうなの。

 あたためてあげたい。

 あたためてあげたいのに。

 わたしは冷たいから。このひとに触れたら、凍えさせてしまう。触れたら、このひとの熱を奪って。そうして溶けてしまう。

 跡形もなく。

 だから、ぬくもりを持ったあなたに。
 このひとの隣にいてほしい。きっとあなたが、このひとのしあわせの行き着く先だから。


 ──…

 
 もちろん返事は返ってこなくて、随分近くなったそのひとの輪郭を見つめる。

 わたしはあなたに、何もしてあげられない。

 でも、それでも。

 落ちるならあなたのところがいい。短い命のなか、見つけたあなたのところ。だからどうか、風、吹かないで。このまま真っ直ぐ落ちたいの。

 ──ああ、もう、触れそうな距離。

 こころのなかで、ゆっくり手を伸ばす。

 あなたの瞳がずっと、美しいままでありますように。あなたが、あなたの想うひとと。共に在れますように。

 そう願って。

 そっと目尻に寄り添った。

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