灯雪

*

 ザク、と雪を踏む音がして振り返る。見慣れた顔が見慣れた表情をしていて、少し安心した。


「もー岩ちゃん! 遅い! 忘れ物取りに戻るのに何時間かかってんの?! 俺凍えちゃったじゃん!」


 たぶん冷たい言葉で適当にあしらおうとしたんだと思う。面倒くさそうに俺を見た幼馴染が、しかし言葉は発さずに怪訝そうに眉間に皺を寄せた。いや、皺はだいたいいつも寄ってるから、皺が深くなった、が正しいかな。


「? どしたの」
「……お前、何泣いてんだ?」
「……へ?」


 何を言われているのか理解できず、取り敢えず頬を擦ってみる。微かに指が湿る感触がする。ああ、これ、さっきの。


「雪だよ。さっき目んとこに降ってきたんだ」
「雪?」


 岩ちゃんは空を見上げて、「超晴れてんな、星スゲェ」と溢した。


「ね。こんな空なのにひと粒だけ降ってきたからさ、珍しいなと思ったんだ」
「ああ、たまにあるよな。何つーんだ、天気雪?」
「かもね」


 ──彼女のことを考えていた。

 岩ちゃんを待つ間、昇る吐息を追って見上げた夜空。ふいに浮かんだあのひとの面影。もう手の届かない場所にいる、愛しいひと。

 途端に心臓を鷲掴みにされて、苦しくて。痛みを逃すのに必死だった。思い出にするにはまだ鮮明すぎる記憶が、時折こうして牙を剥く。
 
 そんな時だった。

 やけに綺麗な雪だった。夜空のなかを漂う真白な。ふわふわと音もなく、俺のところに落ちてきた。

 暗闇に灯ったその雪は、凍えたこころに寄り添ってくれたみたいだった。


「そいえば、全然冷たくなかったな」
「あん?」
「雪、冷たくなかったんだ。なんでだろ」


 まだ、先程の痛みが消えない。
 気取られないようにあっけらかんと笑ってはみたものの、岩ちゃんいつにも増して変な顔してるから、何か気付かれちゃってるかもしれない。

 でも、何も聞かずにいてくれる優しさが嬉しかった。同時に少し擽ったくて、それを隠すために揶揄ってみる。


「ねえ岩ちゃんってさー、実は俺のこと凄い好き、っぶ?! 痛ッ! ちょっ何すんの」
「お前がいつまでもシケた面してるうえに、気色ワリィこと言おうとすっから」
「だからって何もこの美しい顔に雪玉ぶつけなくたって、っぶえ! 痛いし冷たい! せめて! せめて顔はヤメテ!」
「顔以外どこにぶつけんだよ」
「ヒドイ! 鬼!」


 泣けたほうがどんなに楽だろう。そう思ったこともある。大声を上げて。涙が枯れるまで。

 でもできなかった。したくなかった。そうしてしまえば、涙に紛れて彼女との日々が消えてしまいそうだったから。

 さっきの雪。冷たくなくて、涙みたいに溶けて。まるで俺の代わりに、泣いてくれたみたいだ。まあ今や岩ちゃんのせいで、顔面雪でぐっちゃぐちゃだけどね!

 笑って語れる日が来るといいのに。
 いい日々だった、と過去にして。

 ぐじぐじ落ちてしまった気持ちがなんだか情けなく思えてしまって、その気持ちをこれでもかと込めて特大の雪玉を作る。


「ふん!!!」


 と、大声で。
 岩ちゃんのお顔目掛けてぶん投げた。













 
 灯雪 + 深藍の底、星渡の涙

 終

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