キヲク、
「木兎さん」
「お?」
「俺、今日先に帰ります」
登校して、授業を受けて、昼飯を食べて、また授業を受けて、そして部活を終えたあとのことだ。
疲労感や充足感が漂う部室の中。汗の浸みこんだサポーターを脱いだ直後の木兎さんに、俺は声をかけた。
「え、なん」
「じゃ、失礼します」
「着替えんの早ッ!」
木兎さんが「早」あたりを発する頃には、既に後ろ手に部室のドアを閉めていた。
ドアの向こうから「あかーし?! コンビニは?! アイスは?!」と大声が聞こえる気がするが、きっと全然まったくもって気のせいだ。
練習後、ほぼ毎日寄るコンビニ。空腹に耐えかね、渇きに耐えかね、いつの間にか習慣化した寄り道。なるほどどうやら。今日の木兎さんは、アイスが食べたい気分のようだ。
でも、今日は俺はパスで。
ていうか、真っ先にコンビニのことを問うてくるあたり、さすが木兎さんとしか言いようがない。
鞄を肩にかけ直し、俺は早足で歩く。
秋の気配が遠くに漂う、暮れなずむ街。足元に長く長く伸びた影が、もうじき夜へと溶けていく。
灯った街灯が次第に存在を主張し始める、梟谷学園にほど近い公園。ジャリ、スニーカーの底で、細やかな砂が小さく音を立てた。次第に温度を下げていく晩夏の空気が、公園を取り捲いている。
入口のポールの横で、俺はポケットに手をつっこみ首を巡らし、彼女の姿を探す。
(………いた)
巡らせた先。きい、揺れるぶらんこ。ふわりと揺れるスカートの裾。ぶらんこに座る彼女の、うしろ姿が目に入る。
──今日はぶらんこ、か。
口の中で呟いて、彼女の元へと足を向ける。
彼女は待ち合わせ場所に公園を選ぶことが多い。そして大抵俺よりも先に来て、どこかの遊具に乗っている。
「名前」
ぶらんこの吊り具、彼女が掴んでいるより僅かにだけ上。手と手が触れるか、触れないか、の瀬戸際を、声をかけるのとほぼ同時に両手で握る。
前に傾いでいたぶらんこがちょうど戻ってきて、彼女の背中が、ぽすんと俺にあたった。
「っわ、京治くん?! びっくりした……もう、先に声かけてよ」
俺に凭れたまま。首を斜め後ろに反らし、見上げてくる名前。彼女の瞳に、季節の狭間、時間の狭間の空が映っている。
正面から吹いた微風が、彼女の前髪を攫った。煽られた前髪をそっと撫でつけてやりながら、俺も名前を覗き込む。
「ごめん、待った?」
「……ふふっ、それ、言ってみたかったんでしょ」
目を細めて少し笑んで答えた俺に、彼女も破顔して。「いま来たとこだよ」と優しく答える。
ふと、彼女の目が何かを捉えたように動く。つられて俺も、空を仰いだ。
「……もう秋、か」
「ね、秋の匂いだね」
再度、吹きつけた微風に、秋が香る。
日ごと、高くなる空。上空で俺たちと同じに吹かれ、梳かれた雲が美しくなびく。
「……巻雲、ってやつ?」
「絹雲って言ったりもするやつ、だね」
きれい、彼女は呟いて。何かを堪えるように目を閉じ、息を吸った。垣間見えたのは愁色だ。
ああ、俺も今、同じこと思ってたよ。
季節の移ろいは、風流であると同時に。どこか一片の愁いを含むものだ。
「名前」
「うん、」
見下ろした俺にしっかりと目を合わせて、彼女は目元を和らげた。
名前はいつも、事象の美と、その裏の哀を見つけてくる。俺の見つけるそれと同じ色をして、しかし遥かに淡く美しい。
俺はそれを、名前ごと抱きしめるのがたまらなく好きなのだと、最近気がついた。
「焼きいもに、栗に、秋刀魚も食べようね」
「梨と柿も」
「うんうん」
あとはね、カボチャに舞茸でしょー、と指折り秋の味覚を並べる彼女。その言葉をやわり、遮ってみる。
「ねえ、名前」
「んー?」
見つめあって、数秒。
俺が視線に含ませた意図に気づいてくれたのか。彼女はなんとも複雑な顔をして、それから歯切れ悪く答えた。
「……う、……ここじゃ、だめ」
だめ? 首を傾げ、もう一度覗き込む。
だめ、です、と苦笑いが返ってきた。
「…………」
「ふふっ、そんな顔しないで。わたしもほんとは寂しいの」
彼女の人差し指が、俺の眉間をそっと押す。その手を一度だけきゅっと握ってから、俺は名残惜しくも身体を離した。
胸のあたり、彼女の頭があったところ。
ほんのりあたたまっていた場所が、風に曝される。
仕方ない。あとで、苦しいって言われるまで抱きしめてから、キスしてやろう。
そう考えた、刹那のことだ。
ふと視線のようなものを感じ、振り返る。