風鈴


「これ、全部?」
「そう、ぜんぶ」


 夏の太陽の仕事は早いもので、会話に精を出している間にからっと乾いた服を身につけて、俺たちは名前さんのアパートに来ていた。

 名前さんがジャージを脱いだ時に一抹の、いや、一抹どころじゃない寂しさが過ったのは内緒だ。

 とまあ、それは置いといて。

 女の子のひとり暮らしのアパートなんて、夢がたくさん詰まってるはずなのにね。理想と現実は総じてかけ離れるもので、彼女の住まいは冗談じゃなくおんぼろだった。あまりのボロさに、ねえ、俺の部屋に住む? と言いかけて、何度口を噤んだことか。

 そんなアパートだけど、部屋の中は──別世界だった。

 圧倒的なのだ。存在感が。部屋中に飾られた、置かれた、絵の。


「徹、カルピスでいいー?」
「あ、俺やるよ。ていうか名前さん、真っ先にシャワーとか行かないの」
「シャワー? 徹入りたいの? 全然勝手に入っていいよ」


 この人には、ないのだろうか。女の子としてのなんたるか、が。これじゃまるで、俺のほうが女子力高いみたいじゃんか。

 このままじゃいけない。なんたるか、を取り戻さなくてはならない。

 冷蔵庫にかかった手をそっと、しかし確実に外して、そのまま抱えるように抱き上げる。


「ん、ん?! どこいく徹!」
「お風呂!一緒にはいろ」
「は、……い?!」


 名前さん抱っこすんの、今日二回目だなあ。ぼんやりとそんなことを考えながら、腕元の彼女を見る。

 名前さん、やっと慌ててくれた。やっとほんの少し、俺がペースを握れた。


「待って待って、こころの準備が」
「散々煽っておいてよく言うよね、名前さん見たときの岩ちゃんの顔、気づいたでしょ?」
「う」
「俺もね、見た目のとおり男の子だよ?」
「う、ん」
「はい、だからね、一緒に入ろーね」


 名前さん、俺、──不安なんだよ。

 落ちかかった泣言を落とさないように。未だばたばたしてる彼女を抱え直す。

 ねえ、名前さんはどうして、見も知らずの俺を受け入れてくれたの?

 聞きたくて、でも、聞けなくて。

 鳩尾らへんで渦を巻くのは、まぎれもなく「不安」と呼ぶべきものだ。そんな自分のちっぽけさに舌打ちしたくて、それを隠すように名前さんにあたる。


「……っ、そんなに痕、つけないで」


 彼女の語尾はいつも、強請るみたいに僅かに上がる。びっくりするくらい白い肌。そこに散っていくのは、俺の赤痕だ。


「い、た……ちょっと徹、吸いすぎ、……っんん」


 桃の入浴剤が香る、ぬるいぬるいお湯。その中で抵抗を示す口を、うるさい、と塞ぐ。そのままお腹に回していた手を滑らせて、沈ませるのはやわらかな双丘。


「やっ、……ん」


 胸板を力なく押していた手。その力が更に弱々しくなる。キスの隙間の甘い声に、俺は堪らなくなってしこりを摘む。

 優しくしたり、強くしたり。角度を何度も変えて、彼女の身体が一番震える場所を探す。

 唇は離してあげない。喘ぎ声以外出せなくなるまで、離してあげないよ。

 次第に、俺の腿に乗る名前さんの身体が熱をもってくる。合わせて火照ってきた彼女の頬に、俺の笑みが零れる。

 硬くなったしこりを口に含む代わりに、俺は自分の指を彼女の口内に這わせる。


「ん、むう……っ」
「名前さん、もっと舐めて」
「だって徹の指がね、おっきいっていうか太いっていうか、上手くできな……んーっ!!」


 俺は咄嗟に指を二本に増やし、捩じ込む。

 なんてこと言うんだ、この人は。ちょうどいいところに乗ってるんだ。俺の俺が、さっきからどうなってるか知らないわけでもあるまいに。

 繰り広げられた必死の攻防。

 あまりの激しさにお湯が半分になったことは言うまでもないし、甘かったはずの雰囲気が一変したことも言うまでもない。

 そんな死闘の末、俺の指を口内から引き抜いた勝者名前さん。は、小さくガッツポーズを見せつけてから、甘えるように頬ずりをしてくる。


「徹、ごめん」
「もー! 許さない!」
「違うの、ごめんね?」
「名前さんあのね、可愛く言ってもだめ! 男の子にもいろいろ事情ってものが」
「もう、違うんだってば!」


 すりすりしていた彼女の柔頬が離れたかと思うと、小鼻をむぎゅと摘まれる。途端、間抜けた鼻声になる。


「何ひゅんの」
「だって聞いてくれないから。あのね、不安にさせてごめんねって」
「な、……んだ、バレバレ?」
「徹は、わかりやすすぎ、ね」


 散々つけられたキスマークを、指でなぞって困ったように微笑む。

 思い出すのは、先刻の。


『イケメン君って呼ばないで』


 それは情けない、俺の怯え。


「ずっとちゃんと、言いたかったの。でもね、なんて言ったら伝わるのかわかんなくて」


 自由な彼女が、束の間見せた逡巡。それはきっと、──彼女の怯えだ。


「ここだとマジメなお話できないから、お風呂あがってから、っわ! また?!」


 のんびり待ってなんていられなかった。ざぶんと彼女を抱えあげる。今まで「来るもの拒まず去るもの追わず」だった俺がこんなにも求めてしまう彼女に、胸のうちで問うてみる。

 ねえ、名前さん。
 その目に映る世界の中で、俺はどんな場所にいて、どんなカタチで、どんなをふうに息をしてるの?


「及川さんね、名前さん抱っこすんの癖になるかも!」
「え、及川さん、って、誰」
「ちょっと! 俺! 俺だし! こんな時にボケないでくれる?!」


 抱えた彼女をバスタオルで包む。なんだかんだおとなしく抱っこされてくれた彼女が、どさくさに紛れ、俺の鎖骨の下にひとつ。

 刻んだのは、お揃いの真っ赤な吸痕。

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