月のおもて
「木兎さん、帰りますよ」
「うおあああッ?! あ、あか、赤葦、急にびっくりさせんな!」
柄にもなく余韻に浸っていた木兎は、突如かけられた聞き知った声に、文字通り椅子から飛び上がった。
音楽室の入り口。ドアに凭れ腕を組み、呆れ顔の、木兎のお迎え役。赤葦京治。
「なんでお前はいつも! いつもそうなんだ!」
「……そうって?」
「急にぬうっと現れやがって!」
「赤葦くん、ずいぶん前からドアのとこにいたけどね。……ああ、木兎、後ろ向いてたから」
「え、名前、気づいてた? いつも?」
こくりと頷く名前。木兎が何事かを言おうとしたが、すかさず赤葦が口を挟む。
「木兎さん、休憩終わるまであと三十秒です」
「くう……!」
なぜか悔しげな声を漏らし、赤葦のもとへ向かった木兎は、ドアのレールを跨ぐ直前、名前を振り返った。
「名前、今日もサンキューな!」
「……、……はやく練習戻んな」
「おう! またな!」
木兎が必ず、最後に発する音。名前はそのみっつの音が好きだ。返事の代わりに、ひらりと一度、ゆっくり手を振った。
その微笑みを見届け、木兎は体育館へと戻っていく。
木兎を先に行かせた赤葦は、毎度の台詞を口にする。
「名前さん、いつもすみません」
「謝ること、なんてないよ」
いつもは、「赤葦くんも、大変だね」と返ってくる答え。しかし、今日は違った。赤葦は口元に微かな笑みを浮かべる。
「名前さん、木兎さんがここに来る理由、知ってます?」
「ううん。木兎、話さないから」
何度か聞こうとしたことはある。なのに不思議と別の話に流れて行って、そしてそのまま戻ることなく流れて行くのだ。
「……知りたいですか?」
「……ううん」
「ですよね。……でも俺も、木兎さんの気持ち、わかりますよ。それじゃ、また」
ひとり、残った名前を、満月になりきれなかった月が照らしていた。
ぱた、ぱた。
上履きの音が響く。音が止まった先は下駄箱。名前は上履きからローファーに履き替える。
コツ、コツ。
ローファーの音が響く。しかしそれは五回ほどで鳴りやんだ。月明かりに輝く、銀色のミミズクヘッド。そのシルエットを玄関の向こうに捉えたからだ。
梟なのか、木菟なのか。
木兎はまだ気づかない。
その姿を見て、名前は想う。
このひとはいつだって、月の表側に立っている。みんなに見える側。太陽を反射する側。いや、木兎自体が太陽のようなのだ。
月とは違う。太陽とも違う。
新しい
どうしようもなく、魅力的な惑星。
「木兎、まだいたんだ」
名前の声が好きだ。名前の奏でる音みたいな、美しい声が。その声に一瞬だけ目を閉じ、木兎は勢いよく振り返る。
「おう! たまたまだ! たまたま! 今週末、試合あるからよ、練習終わんの遅えの」
「ふうん、そう」
欠けた月を、瞳に映した木兎と名前は、欠けた部分を埋めるように、ぽとりと言葉を落とした。
「なー! 観に来ねえ?」
「ねえ、観に、………」
月のおもて + 餅つく梟は恋をした
(に)
終