追憶
どの程度の時間が経ったのか。「ふふ、京治ってば酷い顔」と冗談めかした名前の声で、京治は我に返った。
「ほら、クッキー。食べないの? 甘いもの食べると元気になるよ」
「え、ああ……はい」
「早く食べないと溶けちゃうよ、せっかく美味しいお店のなのに」
「済みません……って、」
「んはは、溶けないよ。普通のクッキーだもん」
動揺を容易に見抜かれてしまい、京治は俯く。クッキーの包装を強く握り締める手が見える。
見縊らないで下さい、と伝えたかった。そんなにヤワじゃありません、と。だから貴女は余計な心配をせず、あわよくばいつか、俺の願いを叶えて下さい、と。
その細い身体を抱き締めながら、伝えたかった。
パキ、と音がする。
京治の手の中で、クッキーが割れた音だ。
自分はこんなにも不甲斐無い。
手は、こんなに大きくなったのに。
名前はゆっくりと立ち上がり、京治と太陽の間に立った。青空の中に、逆光で名前の輪郭が光る。
「ねえ京治。一緒におでかけしよっか」
「……お出掛け? 外出って事ですか?」
「うん。来週一日だけ、外出許可取ってあるの。……んふふ、こんなに脱走してるくせに今更外出許可? って顔してるよ」
たんたん、たん。
京治の目の前で、名前は軽やかに、それでいて穏やかに地面を蹴る。数歩進んで、大きく両手を広げながら振り返る。
名前の笑顔。遠い横顔。無邪気な声。翳る瞳。ちかちか、きらきら、眩しい金平糖。万華鏡を手渡す温かな体温。
その全てに、京治は惹かれた。
「その日で、最後にしよう。わたしたち」
この残酷さに、惹かれた。
──狂おしい程に。
*
幻だったのかと思う時がある。
あの日。あの時。名前と過ごした刹那。水面の乱反射。木漏れ日の石段。金平糖。万華鏡。
名前の存在を証明するものを、京治は何も持っていない。名前と京治、二人を知る人物は誰も居ない。京治の瞼の裏側にしか、名前は居ない。
それでも確かに、京治の隣で。笑っていた。小指に感じた熱い体温を、今でも思い出す。
京治が生きたのは。
煌めき過ぎた、──夏の幻。
追憶 + 幻影
終