そのひと、


「……それは、信頼に誠実が返ってこなくても、信じ続けられるっていう自己満足? というか自己暗示?」
「僕は(皮肉を込めて)健気な自分への自己満足、って意味で言ったつもりだったけど。自己憐憫も少し入ってるかもね」
「もう、捻くれてるなあ」
「煩いよ」
「でもそっか、穿って見れば、返ってくるものが裏切りだとしても、"それでもいいと思えるほど貴方を想っています"っていうアピール的なものとも言えるか……」


 ああ、嵌ってしまったな、と思う。
 いくら考えたって答えなどないのだし、考えたところで何かが大きく変わるわけでもないのに。

 だってそもそも彼氏いないし。

 何故、名前はこんな事を一生懸命考えるのだろう。


「もういいでしょ。信じるのは信じる側の勝手。それに応えるかどうかも勝手。信じられた側には、別に応える義務も義理もないんだし。裏切られたって嘆くのは、これだけ信じてるんだから相手は裏切らないべきだ、っていう押し付けじゃないの」


 自覚はあった。喋り過ぎている。何を、ムキになっているんだ。自分には全く関係のない話のはずなのに。

 それでも月島は考える。
 自分が少しでも信頼している相手から、裏切られる時の事を。今なら恐らくは、──怒りを感じるだろうか。相手に期待した自分を、情けなく思うのだろうか。

 その感情は人それぞれで、悲嘆、絶望、憎悪、諦め、様々あるだろう。

 裏切りだなんて、胸糞悪い。

 そんなの、最初から信じなければいいのに。


「だから僕はあんまり信じたくないけど」
「……傷付くのが、いやだから?」
「…………は?」


 今度は月島が名前を凝視する番だった。


「雑誌の質問の投稿者のひとも、傷付くのが怖いんだろうなって思ったんだ。怖いよね。だから"信じたいのに信じられない"っていう予防線を張ってるんじゃないかな、自分を守るために」
「……何が言いたいの」


 まるで自分が臆病者だと言われているような気がして、自然と月島の語調は強くなった。

 それに気付いたのか、名前は「あっ、別に月島のこと言ってるんじゃないよ、それが悪いとも言ってないし」と慌てて加えた。

 
「わたしはどうかなあって思っただけ。好きなのに信じられない、なんて苦しい気持ちを持つ日がくるのかな。相手よりも……自分のこと、守ろうとしちゃうのかな」
「……何うだうだ考えてるのかと思ったらそういうこと。いるんだ、君にもそういう相手が」
「へっ?」


 自分の指先ばかりを熱心に見つめていた名前が、パッと顔を上げた。みるみるうちに顔が赤くなっていく。


「いや、あの、その、いるんだけどいないっていうか」
「は?」
「や……その、わたしの片想い、だから。……だから、わたしが勝手に想像しちゃってるだけっていうか、なんというか」
「……ふうん」


 胸の奥がズクリと疼く。

 ただ、四年間クラスが同じなだけの、ちょっと縁がある同級生。こうして話したり、時折名前から送られてくる他愛もないメッセージに返事をするだけの。

 そのはずだ。

 名前が誰を好いていようが関係ないはずだ。名前が誰との未来を想像してこんな事を考えていたって、巻き込まれた月島には迷惑なだけなはずだ。そうだ、課題だってちっとも進んでいないのに。

 なのに、何故。

 何故、こんなにむしゃくしゃしているんだろう。

 これじゃあまるで。

 まるで──



「……さっきの」
 名前の呟きで、月島はハッと我に返った。

「裏切られても構わない、っていうふうに。わたしは思えるのかなって考えてみたの」


 月島は視線で先を促す。


「思えたらいいな、とは思う。それくらい一心に想える相手がいるなんて、ある意味幸せなのかもしれないし。そう思える強さを持っててほしいと、自分に期待しちゃう。……でも、思えないかもしれない。わかんないな。そう思えると、そう思える自分であると、信じていたいだけかも」
「……そう」
「ただ、もしわたしを大切に想ってくれるひとがいるのなら、そのひとの信頼には誠実に応えられる自分ではいたいと思う。……そんな自分だといいなあ」


 何を心配してるんだ、と月島は思う。

 君は、僕と違って。
 君がそうありたいと願っているような人間だよ。


「あは、考え過ぎて、いっそのこと人間不信になっちゃいそう」
「そういうのを本末転倒って言うんだよ」


 廊下から声がする。「おはよーっ、今日の体育バレーだって」とか「やべえ弁当玄関に置いてきちまった」とか。

 それまで静かな教室に二人きりだった。だからか、隔絶された空間から急に日常に引き戻された感覚がする。

 それを少し、疎ましく思った。

 月島のクラスのドアもガラッと開いて、陸上部の男子が入ってくる。名前は彼に「おはよー」とひらひら手を振った。


「そういえばね、これは弟の国語の宿題に付き合ってる時に見つけたんだけど。月島、"ひたむき"って漢字でどう書くか知ってる?」
「馬鹿にしないでよね、小学生の漢字でしょ」
「あはは、さすが。……直向きって書くんだね。真っ直ぐに向く。すてき」


 名前に真っ直ぐに想われる相手は、誰なのだろう。名前のこの真っ直ぐな想いを、無下にするような相手だったら。

 それは酷く、許し難い。

 ……いや、何を考えてる。
 許すとか許さないとか、そんな事言う立場ではないはずなのに。


「なんだか話したらちょっとすっきりしたなあ。ありがとね」
「僕は何もしてないけど」
「ふふ。じゃあね、課題頑張って」


 なんだ、課題の事、忘れてなかったのか。せめて謝って行ったららどうなの、と思ったけれど、やはり不思議と嫌な気持ちではない。

 今度は女子二人が教室に入って来た。教室の気温もいくらか上昇したようで、もう月島が来た頃の冷たい空気は感じられない。

 名前が軽やかに立ち上がる。

 遠くなっていくその、後ろ姿を。

 月島は無言で追った。














 そのひと、 + ひたむきなり

 終

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