その炎は雷を呼ぶか


「おー、久しぶりだなあ、どした?」
「……なんでいるの」
「なんでって、俺んちだし」
「ちっがーう! なんで! こんな時間に! いるの?!」


 ついつい勢いがついてしまった。
 わたしのお母さんといい旭といい、なんでこんなぽやっとしてるんだ! まあ、そこがまたいいところなんだけど!

 旭はというと、いや体育館が途中までしか使えなくて、とかなんとか律儀に説明してくれている。

 その胸にむぎゅ、とタッパーを押し付ける。


「これ、お母さんが持ってけって」
「ん? ああ、ありがとう。いい匂い」
「それじゃあね」
「えっ、ちょ、ちょっと待って」


 呼び止められてしまった。

 わたしは罪悪感でいっぱいで、何に対してなのかまったくわかんないけど嫉妬なんかもしてて、とにかくかっこ悪いの! 旭の顔が見れないの!

 なんて言えるはずもなく、視線を逸らしたまま「な、なに?」と答える。


「なんで上がっていかないの?」
「なんでって、なんで?」
「だって、もう随分前になるけどさ、俺の部屋に忘れてった漫画あるよ。今日新刊発売日なんだろ? これまでの巻も読み返したいかと思って」


 全くもって返す言葉がない。
 
 さっきわたしが悶絶しながら読んでいた漫画のことだ。確かに前に、旭の部屋でごろごろしながら読んでいた。

 そしてなんで旭が少女漫画の発売日なんかを知っているのかというと、わたしが勝手に旭の部屋のカレンダーに印をつけたからだ。

 赤ペンで、花丸なんかを。


「俺、このタッパー台所に置いてくるからさ。名前は俺の部屋先行っててな」
「う、……はい」


 旭のお部屋は、二階の一番手前。
 小学何年生の時だっただろう。初めて自分の部屋を得た時の、旭の嬉しそうな顔を思い出す。

 キィ、と開いた先。
 整理整頓、清潔感。

 机の上にはこれから手を付けるのか、英語の教科書。床には部活用品。本棚には、わたしが忘れていった少女漫画が綺麗に積んである。

 漫画に手を伸ばしたところで、旭が部屋に入ってきた。


「それ俺も読んだんだけどさ、かっこいいな、亮くん」
「はっ! 旭も亮くん派?!」


 亮くんとは、新刊でヒロインを押し倒し、あの台詞を言ってのけた推定当て馬の彼である。

 続きを話してしまいたいけれど、やっぱり旭にも読んでもらいたい。自分が読み終わったら持ってこよう。

 などと色んな思いが去来して、何よりも同士を見つけた嬉しさが余って、旭の顔をばちんと振り返る。

 振り返って、久々に真正面から見た旭の顔。旭は最初、少し驚いて。それから切なく目が細まって、「やっとこっち見た」と零した。

 
「あ、その……」
「なあ名前。なんで最近、俺のこと避けるんだ? 俺なんかしちゃった?」
「……避けてない。旭はなんにもしてない。……わたし、帰るから」
「ちょ、っ名前!」
「っ!!」



 ぐっと手首を掴まれて驚いたのも束の間、トンと背中が壁にあたる。旭に半ば覆いかぶされる形で、わたしは帰宅を阻止された。

 なんて大きな手。

 掴まれたところが、熱い。


「……旭、あのね、」
「俺じゃダメなの?」
「へっ?」


 上擦った変な声が出てしまった。
 何故かって、亮くん(何回でも言うけど当て馬の彼だ)の台詞とそっくりだったから。旭はまだ新刊読んでないから知らないだろうけど。

 でも、でも、そんな。
 こんなシチュエーションでそんな台詞。まさか。だってわたしたちは幼馴染で。待って、わたしまだ全然こころの準備が──

 
「俺じゃ相談相手にもなれない? 頼りないかもしんないけどさ、何か悩んでるんだったら……」
「……ああ、そう、そういうこと」
「? え、どういうこと?」
「いや、いいの、こっちの問題なの」


 だよね。そうだよね。
 勘違いしてしまった自分が恥ずかしい。すごく。

 なんだか気が抜けた。わたしのこの罪悪感とか、正体不明の嫉妬とか、もう意地みたいになってしまっている感情が、とてもちっぽけに思えてしまった。


「わたし、もう一体何をどうしたいんだろう」
「え? も、もう少し詳しく聞かないと……」
「旭はこんなに優しいままで、むしろわたしの心配してくれてるのにね」
「……? ごめん、俺、」
「ふふっ、なんで旭が謝るの」


 旭に対して笑えたのはいつ以来だろう。いいなあ。やっぱり、旭の傍は心地がいい。


「謝るのはわたし。嫌な思いさせちゃってごめんね。旭はなんにも悪くなくて、ただわたしが情けないだけ」


 旭は少し迷ったような表情をして、わたしから視線を外した。ずっと掴まれていた手首が自由になる。

 沈黙が流れて、お互いの呼吸の音と、カチカチと鳴る時計の音がやけに際立つ。行き場をなくした視線は、なんとなく自分のつま先に落とした。

 暫くして先に沈黙を破ったのは旭だった。


「……俺さ、後悔してたんだ」
「うん?」
「名前が傍にいるのは当たり前なんだと思ってた。でも最近は、名前の考えてることがわからなくて、なんで離れちゃったのかわからなくて。こうなる前に、なんでもっと早くに気づけなかったんだろうって」


 顔を上げて、はっとする。柔い口調とは裏腹に、旭の目にはとても強い色があった。わたしがこわいと感じていた、あの、強い目。奥に炎の宿る。


「だから次、二人で話せる機会があったら絶対言おうって決めてたんだ」


 旭はどんどん成長してる。
 わたしも、拗れてないでちゃんとしよう。旭がいなくて寂しかったのは、同じなのだから。

 だから、これまでみたく。
 仲良しの幼馴染でいたい。


「……その、名前」
「うん」
「俺たちさ、春高出るんだ。絶対」
「うん。みんな頑張ってるもんね」
「春高に出て、勝って、勝って、そしたら!」


 だんだん口調が強くなって、最後にはぎゅっと手を握られた。思わず「へっ?」とさっきと同じ台詞を言ってしまう。



「おっ、俺と、付き合ってください!」





 








 その炎は雷を呼ぶか + その雷はわたしに落ちる

 終

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