人魚の背骨
17歳、──恋をする。
*
「………さむっ」
びゅうと吹いた寒風に、研磨は竦めた両肩を抱いてひと震えした。
「なんでこんな寒いの」
仏頂面の研磨に、「そりゃお前、冬だもの」と黒尾が答える。「……信じらんない」こんな文句も、今月に入ってもう何回目だろうか。
身体を小さくして、研磨は帰路についていた。彼の周囲では、大きな風の子、もといチームメイトが会話を弾ませている。
「俺、俺!」
興奮気味に話すのは山本だ。「今日、生まれて初めて告白現場見ちまいました!」
「へえ、そんで?」
「それが! それが! 聞いてください!」
なぜか瞳を潤ませそうな勢いで、山本が隣にいた海に縋りつく。「なんだなんだ、どうした」と、相変わらずの穏やかな顔で返された山本は、なんとも悲痛な面持ちをした。
「あの、三年生の、サッカー部の。学祭でも目立ってた人だったんスけど」
「ああ、アイツ。モテるけど彼女作んないもんな。可愛い子だったのか?」
「それが黒尾さん! 可愛い子だったんですけど、逆で! 告ったのが男の方で! フラれたのも男の方なんです! あっさりと! 容赦なく! ばっさりと!」
そりゃ告ったのが男ならフラれるのも男だろうよ。そんなツッコミなど聞こえない様子で、山本は天を仰いで額を抑えてみせた。
「あんなスポーツ万能成績優秀優男風イケメン(憶測)が玉砕する世の中……! 俺は、俺は一体どうしたら……?!」
「「まさかの自分の心配」」
ぎゃいのぎゃいの。
ぴゅーひゅるるる。
変わらずの喧しさと寒さに、研磨がより一層身体を小さくした時だった。視界の端に、なんとなく見覚えのあるシルエットが入った、気がした。
無意識に追いかける。
大きめのベンチコート。頭のほとんどが埋まっているんじゃないかと見紛うほど、ぐるぐる巻きのマフラー。が、家──人違いでなければだけれど──と違う方向へ歩いている。
少し躊躇って、研磨はつま先の向きを変えた。
「……おれ、ちょっと寄るとこできた」
「ん? 研磨?」
「ばいばい」
おーい研磨ー?! と声が追いかけてきて、「また明日」と振り返らずに答えた。
研磨は無言で、ベンチコートの後を歩く。彼女はゆっくり歩いていたけれど、信号の関係で意外と距離は縮まらなかった。
結局そのまま、彼女の目的地だったらしい公園まで来てしまった。住宅街の少し奥にある、静かな公園だ。子どもたちの姿はもうない。
彼女は迷う様子なく、すべり台に登り始める。うんしょ、うんしょ。そんな掛け声が聞こえそうな動作で。
コートからは細身のジーンズが覗いているから、一度帰宅したのだろう。もしかしたら今日は部活が休みの日だったのかもしれない。
すべり台の頂上。
ちょこんと縮こまって膝を抱え、夜空を見上げるその姿。今日は寒いから夜空が美しい。冷え冷えとした濃藍には、低くて大きい、金色の満月。
研磨の位置から見ると、月の中に彼女とすべり台のシルエットが浮き上がるようだった。月の光と街の灯りで、星はほとんど見えない。
「……名前、何してるの」
名を呼ばれた彼女、名前は、手すりに掴まったまま背後を振り返る。「……? 研磨?」と目を凝らして、首を傾げた。
「研磨こそなにしてるの、こんなとこで」
あまり驚いた様子を見せなかったのは、研磨の声に非難の色がなかったからかもしれない。「おばさん心配するよ」と、彼女の問いには答えず付け加える。
彼女は声は出さずに笑顔だけ作って、それから自身の横をとんとんと叩いた。
「研磨も、研磨もここ」
「……なんで」
「だめ? 今日すごく冷えてるから、綺麗だよ」
「……………」
研磨はあからさまに嫌な顔をした。寒いのだ。月なんか見ている場合じゃない。早く帰りたい。やりかけのゲームだってある。
「ね、ちょっと話したら帰るから」
名前がこうして我を張るのは、珍しかった。それに何やら話がしたいらしい雰囲気を察して、研磨は渋々階段を上る。
ざらつく感触の手すりが冷たい。
すべり台なんて、一体いつ振りだろう。記憶を探ってみたけれど、うまく思い出せなかった。