人魚の背骨
「………狭」
「んはは、狭かったね」
「名前、もうちょっと詰めて」
さすがにこのサイズの身体ふたつはギリギリだった。ギリギリでお互いがはみ出ている。
「もうちょっとそっち」
「ふふ、こっちも限界」
ほどなくしてすべり台の頂上に、なんとも不思議な団子が完成した。「おしくらまんじゅうみたい」と名前は笑った。
それぞれ落ち着く場所に収まったところで、研磨は横目で名前の様子を窺う。マフラーからかろうじて覗かせた目は、ぼうっと月を映している。
(……名前?)
*
名前は、研磨が小学生から中学生になる時に隣に越してきた。引越しの挨拶に来て、母親に無理やり玄関まで連れて行かれた。
俯いていた研磨の旋毛に「研磨くんと同い年なのよ、よろしくね」と声がかかって、一瞬だけ目線を上げた。その時視界に入ったのは、
ぺこん。
頭を下げる彼女と。
桜の花びらが一枚。
研磨の足元に、生暖かい春風とともに舞い込んできたことだけは、今でも覚えている。
母親同士は異様に馬が合ったようで、気付いた時には生来の友のようになっていた。どれくらいかというと、ランドや温泉旅行できゃっきゃうふふするくらいだ。
休日は映画に行ったりしていたし、買い物帰りにケーキを買ってきては、研磨の家でお茶をしていた。
おばちゃんのパワーはすごい。
と、研磨はこのときに学んだ。
名前は母たちのようなタイプではなかったけれど、いつもニコニコしていて、とても気配りの上手な子だった。そんな彼女を研磨の母は「娘みたい!」と非常に可愛がった。
多感な時期。もともとお互い控え目なタイプだったから、積極的な交流はなかった。けれど、名前はいわゆるパーソナルスペースの把握が上手いようで、加えて彼女の雰囲気と、慣れ。
諸々が作用して、いつしか研磨は名前と自然に話せるようになっていた。
『研磨、ケーキ、りんごの』
土曜日、部活後に部屋でゲームをしていると、名前はこうして度々、研磨の部屋を訪れた。
『お母さんたち、お父さんの愚痴大会始めちゃったから逃げてきた。一緒に食べよ』
研磨は食べることもあったし、食べないこともあった。その時は、名前が嬉しそうに二個食べていた。
『……体重、気にしてたのに』
『あっ?! ちょっともう食べちゃっ』
『自分で気付かないのが悪いんでしょ』
ゲームを再開した研磨の横で、彼女は決まって悪態をついて、『寝る前に腹筋しよ』と意気込んでいた。
高校生になっても、この関係はたいして変わらなかった。高校もたまたま同じだったけれど、クラスが違えば学校で話す機会なんてない。
だから、研磨と名前のことは、みんな知らないだろうと思う。幼馴染の黒尾も、恐らく知らない。
この関係が何なのかと問われれば。
それに答えるに最適な言葉を、──研磨は知らない。
*
「研磨は、誰かを好きって気持ち、わかる?」
「……は、」
突然の話題だったとはいえ、今の自分は随分と間抜けな顔をしているだろう、と研磨は思う。
「……考えたことない。なに、名前、好きな人できたの」
言いながら、考えてみる。
あれ、好きな人って「できる」って表現でよかったっけ。好き。すき。like。love。
すきって、──なに。
例えば食べ物で何が好きかと聞かれれば、まあ答えることはできる。動物は、色は、ゲームは。
じゃあ、誰がと問われたら。
おれは、なんて答えるんだろう。
そこまで考えてもう一度、名前を見た。彼女は変わらず、ぼうっと空を眺めている。