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わたしはあの子供を探そうと、あちらこちらへと彷徨った。不思議な気持ちだった。人間の姿は蝉とは異なる手と足、髪があり肌があり、蝉のころからは信じられないような姿なのだ。肌は白く、髪は柔らかな茶色がかった黒だった。人間の容姿についての基準は知らないが”わたしの姿は美しい女性のものとなっており、人々の視線を集めたようだ。しかし、室町の世は乱れており、わたしは人間たちにひどい目に遭わされた。女の体というものは蝉のように脆く弄ばれるものらしい。よくわからないことをされたがわたしは何も感じなかった、虫としてのわたしは人間のことは知らないが、もしかしたらわたしがされたことはあまりいいことではないのかもしれない。

人間とは、なんと恐ろしいものなのだろう。それでも、わたしは歩き続けた。あの子供にもう一度会うために。けれどやはり限界はあるもので、何日も彷徨ううちに疲れ果て、ついに道端で倒れ込んでしまったときのことだ。

「この人を助けてあげて」

朦朧とする意識の中で、懐かしい声が聞こえた。目を開けると、そこにはあの子供がいた。わたしは、彼の屋敷へと保護されることとなったのだった。願ってもない幸運にわたしはどこのものともわからぬ神に感謝した。




若君が豪族の子であり、偉い立場にあることを知ったわたしは、なんとか恩返しがしたいと申し出た。そして、どうかここで働かせてほしいと頼み込んだ。賃金はいらないという形で雇われたものの、人間の知識がないわたしは何も知らず、周囲の者たちは呆れ顔を見せた。しかし、わたしの美しい容姿のおかげか、周囲の人々はわたしを助け、少しずつ人間の世界を学ばせてくれたのだった。

夜の帳が降り、屋敷は静寂に包まれていた。月明かりの下、庭の奥へと忍び足で進む影があった。わたしはふと気配を感じ、そっと身を隠す。
影の主は——若君だった。
彼は周囲を気にしながら、小さな池のほとりに立つ。静かに手を伸ばすと、闇の中でほのかに光る蛍が、ふわりと指先にとまった。
その顔には、屋敷では見せない穏やかな表情が浮かんでいるように思う。わたしは思わず息をのむ。若君はこんなにも近くにいるのに、声をかける勇気が出なかったのだ。

「だれかいるの?」
若君がわたしに気がついて声をかけてきて、わたしはおずおずと名乗り出た。見かけたことがあると彼はいい、どうやらなんとなく顔は知っていたらしい。

若君は小さく笑い、「抜け出したことは、内緒にしてくれる?」と少し不安そうに囁いた。きっと怒られると思ってこっそり抜け出してきたのだろう。わたしは頷き、「もちろんです」と静かに答えれば嬉しそうにありがとうと彼は笑う。彼が笑うと、”わたし”は暖かい気持ちになる。

蛍がひらりと舞う。若君はそれをじっと見つめ、手を伸ばそうとするが、なかなか捕まえられない。そんな若君の様子を見て、わたしはそっと手を差し出し、ふわりと光る蛍をそっと手のひらに包んだ。

「若君、どうぞ」

若君の目が輝く。手の中の小さな光にそっと息をひそめるように、じっと見つめていた。わたしは、今なら話せるかもしれないと思い、意を決して口を開く。

「……あのとき助けていただいた蝉です。ありがとうございました」

他の者に教わった人間の礼をする形をとり、ぺこりと頭を下げながらそう告げると若君は驚いた顔をした後、ふっと笑った。

「蝉? そんなことを言うなんて、おもしろい冗談だね!」

あはは、と笑う彼は本気にはしていないようで、やはり信じてもらえなかった。けれど、若君の笑顔を見られたのなら、それでいい。
わたしはただ微笑み、手のひらから蛍を放した。ふわりと舞い上がる小さな光が、夜の闇に溶けていった。
手の中の蛍は、厳密には違うが、人間から見たらわたしとおなじ虫だ。美しい光を放つこの虫はその美しさから若君に愛される命になったのだろう。わたしは同じような虫なのに若君の心をいやせるような存在にはなれなかった。それが少しばかり悔しいけれど、それでも死んで終わるだけだったわたしが人間になれたのだから、これ以上を望むのは欲張りなのだろう。

欲をもてばすぐに命は途絶える。こうして彼の側にいれるだけできっととても幸せ者なのだ。



それ以来、若君はわたしを気に入ってくださり、「一緒に遊ぼう」と声をかけてくれるようになった。
周りの人々も次第にわたしを認め、以前よりも丁寧に接してくれるようになったが、中には「うまく取り入ったな」と嫌味を言う者もいた。それでも、わたしにはよくわからなかった。ただ、若君と過ごせることが嬉しくて、それだけで十分だった。
一緒に蹴鞠をしたり、庭で駆け回ったり——若君が笑っていると、わたしの胸は温かくなった。それだけで、わたしの心は満たされていた。



幸せだった分、だからどこかで清算が行われるんだろう。幸福の裏には不幸がある。



その夜、屋敷の静けさは一瞬にして崩れ去った。
遠くで響く怒号、甲冑が擦れ合う音、矢が飛び交う鋭い音。次第にそれは大きくなり、ついには火の粉が闇に舞い始めた。誰かの悲鳴が聞こえる。瓦が砕け落ち、炎が柱を飲み込む音が腹の底に響く。

わたしは異変に気づき、慌てて廊下へと駆け出した。

「若君……!」

胸がざわめく。最初は何が起こっているのかわからなかった。ただ、屋敷全体に広がる焦げた匂いと混乱に、ここがもう安全ではないことだけは理解できた。夢中で若君のいる部屋へと走る。襖を開けると、そこには寝間着のまま呆然と立ち尽くす若君の姿があった。

「若君! 逃げましょう!」

わたしは彼の手を掴んだ。
若君の顔は強ばり、何かを言おうとしている。しかし、次の瞬間、背後から響いた凄まじい破裂音に、わたしは彼を強く引いた。

「ここにいてはいけません!」

わたしは若君の手を引き、迷うことなく闇へと駆け出した。屋敷のあちこちで火の手が上がる。使用人や護衛たちが次々と切り伏せられ、血に染まった廊下を横切る。燃え盛る炎が道を塞ぎ、逃げ場がどんどん狭まっていく。

「こっちです!」

わたしは焦りながらも、必死に安全な道を探した。だが、どこを向いても炎と刃が待ち構えている。背後で若君の荒い息遣いが聞こえる。彼もまた恐怖を噛み締めているのだろう。わたしは強く彼の手を握り、足を止めることなく駆け続けた。
やがて、屋敷の裏手に続く小さな庭へとたどり着いた。炎の明かりが届かない闇の中、わたしは必死に若君を促す。

「あと少しで外へ出られます……!」

しかし——その時だった。突如として、背後から鋭い殺気が走る。

「危ない!」

わたしは反射的に振り返る。しかし、すでに遅かった。黒い影が素早く駆け寄り、閃く刃が夜の闇を裂く。瞬間、熱い衝撃がわたしの背を貫いた。

息が詰まる。

視界がぐらりと揺れる。足元が崩れ落ちるような感覚がした。

「……あ、わ……わたし……」

わたしはゆっくりと膝をついた。若君の手がまだ掴まれている。けれど、その力がだんだんと抜けていくのがわかった。

「……!」

若君の叫び声が遠く聞こえた。彼がわたしを抱き起こそうとする。わたしの血が、地面にぽたぽたと落ちる。

「しっかりして……! 目を開けてよ……!」

わたしは彼の顔を見上げた。
泣いている。若君が、泣いている。

その顔を見た瞬間、わたしは少しだけ笑った。

「……よかった」

——若君のこと、守れて。

全身から力が抜ける。まるで、糸が切れたように、ゆっくりと倒れていく。
耳元で、遠く火の音が聞こえた。
わたしの意識は、そのまま暗闇へと溶けていった。

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