「ゆき」と「ふゆき」

刀禰平冬樹は友達がいなかった。
その原因は当人の性格どうこうの話ではなく、周囲の人間から見ると冬樹が異質だったからだ。
冬樹は生まれついた頃から、呪いが見えていた。
しかし、親も友人も彼女の言葉を信じる者はいなかった。
彼女が事故に遭ったのはその矢先だ。
交通事故だった。
父親の運転する車でどこかへ向かっていた。
どこへかはわからなかったが、事故の前に道の舗装が完全ではない山道に入ったのを、冬樹はしっかりと記憶していた。
そして、その時に見た呪霊のことも。
「この山は、入っちゃダメだよ」と。
冬樹は両親に伝えた。
しかし、視えない彼らが信じるはずもなかった。
しばらく問答をして、冬樹が諦めて黙ったその時だった。
ハンドル操作が効かなくなったのだ。
ブレーキも、アクセルも。
どう足掻いても、車は勝手にスピードを上げながらカーブへ突っ込んだ。
崖下に車ごと放り出されて車は全焼。
全員即死と思われた。

当時その山には呪霊が住み着いており、呪術師が派遣されていた。
彼らが事故に気付き、車にしがみついていた呪霊を祓ったのだ。
そこで気がついた。
数メートル先に、ドアごと吹き飛ばされた大きな塊があった。
呪霊だ。呪術師はすぐさま臨戦態勢に入ったが、その呪霊は少女を抱えていた。
呪術師は息を呑んだ。 
その少女は、腰から上の左半身を呪霊に喰われていた。
もう助からない。
呪術師は思ったがその心配はすぐに消し去られた。
信じられなかった。
喰われた少女の体が修復されていくのを、確かにその目で見た。
それだけではない。呪霊の姿が少女の中に蒸発するように取り込まれていく。
あっという間に呪霊は消え、少女だけが取り残された。

「……あ、れ…?」

呪術師は咄嗟に少女に駆け寄った。

「どこか痛むところはある?」
「あ、あのね、右足が少し痛い」

見ると、少女の右足首が酷く腫れ上がっていた。
呪術師は少女を抱き抱えると、車の上げる炎が届かない場所まで避難する。

「燃えてる……ねえ、お母さんとお父さん、どうなっちゃうの?」
「…きっと、もう会えない」

呪術師は誤魔化さずに事実を伝えた。
状況からして即死以外は有り得ないと思ったからだ。

「そっかぁ…死んじゃうのね」

表情を変えずにそう呟いた少女に、呪術師は少し驚いた。
そして呪術師は、思わずこう尋ねていた。

「悲しくないの?」

少女は大きな瞳をパチパチと瞬くと、また変わらぬ表情で言った。

「悲しい。とっても悲しい。お母さんが、お父さんが死んじゃうのはね、きっととっても悲しいの。」

呪術師は、黙って少女の話を聞いていた。
その目をしっかりと見て。

「でも不思議。もう会えないと思ってもね、ちっとも寂しくないの。」

***

「お名前言える?」

少女は消防に引き取られ、病院で女性の警官に話を聞かれていた。
少女と話せるなら調べるよりその方が早いからだ。

「刀禰平冬樹。
お父さんは刀禰平克之。大手企業の副社長。
お母さんは刀禰平真巳。専業主婦。
旧姓は片原。」

警官は思わず目を見開いた。
ここまで詳しくわかるとは当然思っていなかったからだ。

「…冬樹ちゃん歳はいくつ?」
「数え年で八歳。」
「難しい言葉をよく知ってるのね」
「お母さんがたくさん教えてくれたの。
それにね、ゆき覚えるの得意なの。」

自らを「ゆき」と自称する少女は、少し誇らしげに胸を張って見せた。
ふと、少女は何かに気がついたように警官に尋ねた。

「ねえ、昨日のお兄さんいる?両目を隠した、優しい声の」
「え?あー、たぶん外に…」

そう言って警官は廊下を覗き、目当ての人物を見つけたのか手招きをした。
入り口辺りで少し話し、警官は冬樹に軽く手を挙げて言った。

「じゃ、またお話聞きにくるね。バイバイ」

冬樹は笑顔で女警官に手を振るが、既に目線は呪術師に移っていた。

「お兄さん、昨日はありがとうございました。
お礼が言いたかったの」
「いや、僕は大したことはしてないよ」

冬樹は呪術師の顔を見つめ、少し目を細めると鈴の音のような声で言葉を紡いだ。

「ゆきはね、刀禰平冬樹っていうの。ゆきちゃんって呼んでね。お兄さんのお名前、聞いてもいい?」
「僕は五条悟だ。よろしくね、ゆきちゃん」

呼び名に満足したのか、冬樹はにっこりと笑った。
すると、急に頭を押さえて言った。

「静かにして。今はゆきと悟お兄さんがお話してるの」

五条はなるべく感情を悟られぬように、驚きを隠したいつもの声音で尋ねた。

「誰と話してるの?」
「かたしろ。悟お兄さんも視たでしょう?
昨日の、ゆきを襲った女の人の形をしたお化け。
それがね、頭の中で話し続けるの。とっても饒舌なのね。悟お兄さんの声が聞こえないから不愉快。」
「…その『かたしろ』は、ゆきちゃんの言うことをちゃんと聞くの?」
「聞くよ。あのね、いくつかお約束したの。
ひとつ、ゆきの言うことに逆らわないこと。
ひとつ、誰も傷つけないこと。
ひとつ、ゆきの許可なく出てこないこと。」

五条が驚いたのは、誰の指導も受けずに自ら呪いを制御していたことだ。
こんなに小さな子供が、自分の力で考えて、与えられた状況下で生きる努力をしている。
その事実に、五条は息を呑んだ。

それから五条は時間の許す限り、呪いに関する最低限のことを教えた。
少しずつ、何日もかけて。

* * * * * * * *

聞き覚えのある鈴の音のような声音に、五条悟は耳を澄ませた。
微かに聞こえてきたのは、幼い少女の歌声。

「―ったちゃらちゃら魚の棚
ろくじょうさんてつ通りすぎ
ひっじょー越えればはっくじょおー
十条とうじでとどめさす」

小さな公園で手鞠をつきながら何かの歌を口ずさんでいたのは、着物に身を包んだ愛らしい少女。
桜の花吹雪に包まれて、まるで今すぐにでも桜に連れていかれてしまいそうに思えた。
少女は五条に気がつくと、顔を輝かせて駆け寄ってきた。

「悟さん!」
「ゆきちゃん、久しぶり〜。
綺麗なお着物だね。どうしたの?」
「あのね、今日は今育ててくれてる叔父さんや叔母さんと、その弟さんや妹さん、従兄弟や再従兄弟。たーくさんの親戚が集まる寄合があるの!
だからおめかししてもらったのよ。
どう?素敵でしょう?」
「うん。素敵だよ」

冬樹は満足したようにふふ、と笑った。
事故から二年。
この時、冬樹は十歳になっていた。
両親を失った冬樹は親戚の家に預けられ、何不自由なく暮らしていた。

「今歌ってたの、何の歌?」
「あ、あのね、京都の通り歌なの。
京都に住んでる叔母さんが教えてくれたのよ。
京都市の中心部の通りの名を覚えるための歌。
何曲かあるんだけど、わたしが覚えたのは東西の通り、まるたけえびすの歌。まん丸の丸に松竹梅の竹、夷川の夷。」
「相変わらず物知りだねぇ」
「ふふ。なにかを知るのってとっても楽しいわ。」

そのとき、遠くから冬樹を呼ぶ声がした。
なるほど、イントネーションが関西の人だ、と五条は感じた。
冬樹には声の主の正体がわかったのだろう。
彼女の表情が一瞬だけ酷く苦しそうな色を見せたのを、五条は見逃さなかった。

* * * * * * *

「悟さん」

背後から呼び止められ、五条は足を止めた。

「お、ゆきちゃん」

もう本格的に気温が下がってきた真冬日だというのに、冬樹は半袖にミニスカート姿だった。

「そんな格好じゃ風邪を引くよ」

そう言って五条は、自分の上着を冬樹に掛けた。

「冬服ね、見つけられなかったんだ」
「…え?」
「叔父さんも叔母さんも忙しくてね、衣替えしてないの」
「家の人みんな?」

その問いに、冬服は静かに首を横に振った。

「私だけ」

その時五条の頭に、『虐待』の二文字が浮かんだ。
見れば、冬樹の首や腕、足。体の至るところに痣があった。

「とにかく、暖かいところに行こう。」

****

五条が話を聞くと、どうやら虐待をしてきた育ての親の元は二日後に去るらしい。
二日くらい平気、とひきつった笑顔を浮かべた冬樹に、五条は何も言わなかった。

「それで、次の育ての親が京都の人で…。
だから、悟さんとはもう、会えなくなっちゃう」

冬樹は苦しそうな顔をしていた。
これまでのどのときよりも、ずっと。
五条はふとペンを取り出すと、手帳に何か記入して破り冬樹の手に握らせた。

「僕の電話番号。携帯買ってもらったら、辛くなったら連絡して?」

冬樹は何度か瞳を瞬くと、目を細めて口を押さえた。
そして、震える声で囁くように言った。

「ありがとう……!」

* * * * * * *

四年後。東京都立呪術高等専門学校にいた五条の携帯が、バイブで震えた。
知らない番号だった。

「もしもし?」
『…もしもし、悟さん』
「ゆきちゃん?久しぶり〜」

聞こえてきた冬樹の声は、四年前よりずっと低くなって、落ち着いていた。
五条は暗すぎるトーンに少しだけ違和感を覚えたが、悟られぬように会話を続けた。

『お久しぶりです。今お時間大丈夫ですか』
「平気だよ〜」

しばらく沈黙が続いた。
冬樹が何と言おうか迷っている、そんな沈黙に思えたため、五条は何も言わずに待った。
そして聞こえてきたのは、細くか弱い声だった。

『助けて、ください……』

五条は驚いた。
今まで冬樹が弱音を吐くところを見たことがなかったからだ。

『あなたしかいないんです……』
「ゆきちゃん落ち着いて、何があったの?」

今にも泣き出しそうな冬樹の声に、五条も多少動揺しながら尋ねた。

『今の育ての親が、借金を残してどこかへ消えて…どこに行ったのかも、どうすればいいのかもわからなくなって…借金は両親の保険金でなんとか返済できたんですけど………もう何も、わからなくて…』
「急に消えちゃったの…?」
『はい…机に「ごめんね」ってメモだけ置いてあって、他に頼れる人がいなくてっ…友達も、親戚も、私にはもう何もなくて……』

電話越しでも、震えているのが伝わってきた。
冬樹はきっと耐えてきたんだ。今までの孤独に、ずっと。

「…ゆきちゃん、東京の呪術高専に来ない?」
『……え?』
「今は京都の方でしょ。そっちにいたい訳じゃないなら、東京においでよ。
今なら僕が教員やってるよ」
『え、……………いいんですか、?』
「もちろん。手続きは僕が済ませておくよ」

今まで震えていた冬樹の声が止み、すすり泣く声が聞こえた。

『ありがとうっ……ございます……!』
「そういうことで、これからは五条先生だからね」
『…!…ふふっ』

まだ涙混じりの声だったが、その声色から苦しさは感じられなくなった。

『よろしくお願いします、五条先生』
「よろしく、冬樹」

そしてその後、刀禰平冬樹は東京都呪術高等専門学校の仲間たちに出会うことになる。

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